37話 暗闇の中で
……ユロがホード神父の居場所を突き止めた時点で、もう勝負はついていた。
ホードが集められる戦力には限りがある。
――既に魔術人形は壊され、ホードが雇った傭兵と共に縄で拘束されていた。
対してユロは傷一つ付いていない。
ホードは戦闘力を持たず、彼が動かせる戦力も多くはない。
対するユロは修羅場を潜ってきた魔術監察官。
あっという間に、勝敗は決した。
だからホードが勝つには、別の、単純な戦力以外の部分に賭ける必要があった。
ユロの周りには教会に集まった信者達が立っている。
彼らは一般市民で、ユロは彼らを傷つけることはできない。
対して信者達も当初の熱が少しだけ収まったのか、ユロを遠巻きに見つめている。彼女の強さを目のあたりにして、不用意に近づけないのだ。
しかしユロから離れることをせず、彼女の行く先を塞いでいる。
彼らの目的はユロの背後にいるカリーナにあった。
異様な空気が流れている。信者達の目は正常ではなかった。
その彼らの視線は、震えて蹲るカリーナに注がれる。
神父曰く、彼女は死ねば幽霊になるらしい。
彼らはそれを見たかった。
目的は結局それだった。
幽霊が存在することを証明できれば――何か、少しでも、自分の人生の苦しみが解放されるのではないかと期待していた。
幽霊の存在を世間に公表して……そうすれば、人間の生き方自体が変わってしまうかもしれない。
……いや、実際の所、具体的な計画は彼らの頭になかった。
とにかく、何でも良いのだ。
今の苦しみを少しでも、一瞬でも、壊せる何かが現れてくれれば良い。
ホード神父は縄で拘束されたまま、静かに彼らを眺めていた。
もう彼には本当に何もできない。
ただ彼らが何を選ぶのかに興味があった。
「……もうやめましょう」
とユロが口を開く。
僅かに声は震えていた。
「道を開けてください。お願いです」
おどおどとした態度は年相応の少女に見えて、ホード達と戦っていた姿はない。
そんな彼女を見て信者の1人が口を開く。
「あんたは関係ないだろ。俺たちを放っておいてくれ」
若い男性だった。痩せていて、足取りもふらついている。
ホードが雇った傭兵ではない、信者として教会に集まった人間のようだった。
「俺たちの好きにさせてくれよ。あんたはもう帰れ」
男の言葉に信者達は頷く。
みながユロに非難の視線を向けていた。
ユロの肩に乗っているドラが何かを言おうと口を開いた。
しかしユロに押しとどめられて黙る。
ユロは震えながらも信者達と向き合う。
「……貴方たちは自分が何をしようとしているのか分かっていますか? カリーナさんを殺して、幽霊にする。その意味が」
男はハッと嗤う。
「分かっているよ。婆さんが幽霊になる。それを俺たちは目撃する……きっと何かが変わる。幽霊の存在が広まれば……何かが変わってくれるんだ。俺のクソみたいな人生だって……」
ユロは首を振る。
「……カリーナさんが幽霊になるということは、今ここにいるカリーナさんを殺すということです。あなたたちが」
信者達の間に僅かに動揺が広がった。
しかし先頭に立つ男は怯まず言い返す。
「知っている。婆さんだって同意済みだ。なんなら俺がやってもいい」
ユロは泣きそうな目で男を見る。
「そうなったら、あなたを捕まえないといけないんですよ」
チッと男が舌打ちする。
「だったら何だよ? 別にどうでもいい。どうせクソみたいな人生なんだ……あんたみたいに恵まれて優れている人間には分からないかもしれねぇけどな!」
男は苛ついて自分の頭をかきむしる。
「分かってんだよ! 意味のないことをしているってことくらい! けどもう後には引けねぇんだ! こんなクソみたいな人生なんだから! どうせ意味のない人生なんだから、せめて一つくらい……とにかく、ぐちゃぐちゃに壊れて欲しいんだよ!!」
幽霊という存在が実在すると分かれば社会は混乱するだろう。
社会の在り方も根本から変わるかもしれない。
人の意識も変わる。
「分かっている……何も上手くいくわけない。けど、もう失うものは何もないんだ。俺たちの人生はとっくに終わっているようなもんなんだから」
「――違いますっ」
とユロは大声を上げて、男の言葉を遮る。
「……そんなことありません。あなたたちの人生は、もっと大事なもののはずです」
男は怒りの目をユロに向ける。
「ああ? お前に俺の何が分かる?」
他の信者達も同様に非難の目をユロに向けていた。
ユロの言葉は、幸せな人間が吐く傲慢な言葉にしか思えなかった。
人の命には価値がある。
あなたは生きているだけで素晴らしい。
自分の命を粗末にしてはいけない。
そんな言葉は自分達には無意味だと彼らは知っていた。
「分かりませんよ、私には。あなたたちのことを何も知りませんから……」
ユロは震えた声で「でも」と続ける。
「人を殺したら、それこそ取り返しが付かなくなります。今ならまだ引き返せるんです……」
ユロはもっと他の言葉を口にしたかった。
もっと自分に力があれば良いのにと思った。
彼らの――いや自分たちの苦しみが完全になくなって、明日の心配がなくなるような完璧な方法があれば良いのに。
自分にその力があれば良いのに。
「……少しだけ私の話をさせてください。私が子供の頃、魔術の師匠の元で暮らしていたんです……そこで、私は酷い目にあってきました」
できるのは、ただ話すことだけだ。
「人間扱いされてこなかったんです。当時の私は自分がただの道具なんだと本気で信じていました……今はもう師匠はいなくて、別の新しい家族がいます」
「……何だよ。昔は苦しかったけど、今は幸せですっていう話か? 諦めなければ幸せになれるっていう話じゃねぇか」
男の言葉にユロは首を振ろうとして、とまる。
「そうかもしれません……私はあなたたちに諦めないで欲しいなんて言えません……私だって昔は……今だって簡単に自分を諦めようとするから」
自分のことをモノだと感じ、家族からの愛情を正しく受け取ることができていない。
「私は今も昔のままで、全然まともな人間になれていない。もう一生、ちゃんと幸せになれないかもしれないって思います。今は大丈夫でも、明日には全部が台無しになっているかもしれない」
出てくるのは悲観的な言葉ばっかりだ。
まともな人間になれないという絶望が一生つきまとう。
「でも、自分のことは大事にして良いはずです」
それでも、少なくとも今は。ユロはそう考えることができた。
「自分の人生を大事にして、自分のために一番良い選択肢を考えて良い筈なんです、私たちは。誰にだってその権利はある。どんな人にも、どんな時でも、絶対に」
ユロは信者達を真っ直ぐに見つめる。
「自分のことを大事にできる選択をしてほしい……お願いです」
もしユロの邪魔をしてカリーナを殺そうとするのなら、その時点で犯罪者になる。
ユロや軍人達に裁かれることになるのだ。
ユロは彼らにその選択肢をとって欲しくなかった。
彼らのことは何も知らないけれど、そう思った。
……ユロの言葉が届いたかは分からない。
いや、単純にユロに勝てないと分かっていたのだろう。
信者達はユロに道を開けた。
泣いていた人もいた。
こうして事件は終結した。




