15話 眠れない夜
夜。ユロは夢を見ていた。
師匠と一緒に暮らしていた時の過去の光景。
5歳の頃に両親を亡くし、唯一、魔術の弟子として引き取ってくれた師匠。
彼と過ごしていた時の、実際に起きたことを夢の中で思い返していた。
つまり、ユロにとってはとびっきりの悪夢だった。
夢の中でのユロもベッドの上で寝ていた。
いや寝ようとしていたが、目は覚めていた。
師匠との魔術の訓練のあとは決まって寝付けなかったのだ。
その日。ユロは師匠に自分の右腕を折られた。
最初は何が起きているのか分からなかった。魔術の訓練で痛い思いを何度もしてきたけれど、師匠自らの手で傷つけられたのはその日が初めてだった。
彼はユロの折れた腕を手に取り、言う。
『いけないな。ユロ。君の魔術の上達が遅いから、思わず君の腕を折ってしまった』
痛い、痛いと言うユロの言葉に師匠は耳を貸さない。
『私の機嫌を損ねる不出来なものはいらないんだよ。分かるね? 私の機嫌を損ねないよう気をつけなさい――干渉魔術で自分の腕を治すんだ』
干渉魔術は人間には使えない。
使える対象はものだけ。
その日。ユロは干渉魔術で折れた骨をつなぎ合わせた。
師匠は優しい声でユロに言った。
『よろしい。合格だ――今日は家の中で寝るのを許してあげよう』
そして夜。ベッドの腕でユロは心の中で必死に念じていた。
――私は師匠の期待に応えないといけない。師匠が大好き。魔術も大好き。師匠のためになることしないといけない。師匠のことが大好き。師匠のためになることしないといけない。師匠のことが好きでたまらない。私は役に立てる。役に立たないといけない。居場所をください、ここにいることを許してください。何でもしますから。
毎晩毎晩。師匠の期待に応えたいんだと自分に聞かせていた。
そう信じないと、とても耐えられなかった。
見捨てられて、独りになるのが、怖かった。
――不思議なもので、言い聞かせている内に、師匠が好きだという感情は本物になっていった。
「――――っ!!!」
夢から覚めてユロはベッドの上から飛び上がった。
『オイ。大丈夫カ、ユロ?』
枕元にトカゲのドラが近づいてきた。
ユロはドラの頭を撫でる。
「…………ああ、うん。大丈夫」
ドラを撫でる手は震えていた。
『大丈夫じゃなさそうだナ。無理するなヨ』
「ごめん」
ユロは溜息をつく。
心臓の当たりが痛くて、胸をかきむしりたくなる。
(……もう7年も前のことなに)
10歳の時に師匠が死に、今の家族に保護された。
それから新しい家族から十分な愛情を注いで貰った。
16歳のときに魔術監査官になり、自立して、お金も稼げるようになった。
(もう乗り越えたと思ったのに。全然ダメだなぁ……)
彼と過ごしていた時間はもう遠い過去の筈なのに。
全然、まだ幸せじゃない。
ユロはカーディガンを羽織って、ベッドから這い出た。ドラもユロの肩に乗っかる。
お水でも頂こうとリビングに向かう。
リビングはまだ明かりが付いていた。
「おん。ユロじゃないか」
「ユロ様。どうかされましたか?」
リビングには幽霊のカリーナと、時計塔の点検から戻ってきた魔術人形のティーゼがいた。
ユロは置き時計に目をやる。時刻は深夜の1時だった。
「あ。ごめんなさい……。少し眠れなくて」
「そうかい。ま、座りなよ」
カリーナに促されてユロは椅子に座る。
ティーゼは厨房の奥に引っ込む。
「すみません。カリーナさん。こんな夜遅くに」
「構わないよ。私も暇だったからね。幽霊だと、夜は暇でねぇ」
「……そうなんです?」
「ああ。最も、朝方の――3時くらいから意識が眠っている時間はあるみたいでねぇ。とにかくそれまでは暇なんだ」
「幽霊も大変なんですね」
「なに。生きている人間ほどじゃない」
カリーナはユロの目元を指さす。
目元は赤くなっていて、泣いた跡が残っていた。
「あ……。ええっと。これは」
ユロが言いよどんでいると、厨房からティーゼが出てくる。
彼女はユロに湯気が立つコップを手渡す。
「ありがとうございます。ティーゼさん」
お礼を言ってコップに口をつける。
温かいミルクだった。
飲むと、一気に体の中が温まる。
ユロを見て、カリーナも笑った。
「ま。恥ずかしがることもないさ。生きていれば辛いことばっかりだ」
「カリーナさんも……?」
「まぁね。生きている間は本当に辛かった。死ぬ時だって、ずっと後悔していたさ。最悪な人生だった! てね。だから幽霊になったのかもしれない」
――ユロはカリーナの家を掃除中に、ある魔術研究の論文を見つけた。
幽霊についての研究論文だった。
その論文曰く、幽霊は生前、強い後悔を抱いていた者がなるという。
そして幽霊である状態を維持するためには、後悔や悲しみといったネガティブな感情が必要だと。
幽霊が抱いている悲しみが解決したとき、幽霊は消滅する。
まだカリーナは幽霊のままだ。
「カリーナさんは……まだ悲しいことがあるんですか?」
「あるよ。でかい後悔が一つ」
「……私で良ければ話を聞きますよ」
ユロは思わずそう言った。
カリーナは笑う。
「あたしはずっと人間になりたかった」
「…………」
「社会に認められる人間に、ずっとなりたかった。でもなれなかった。80年以上の月日を得てできたのは、できの悪い女が1人だけ。もっとマシな人間になれたはずなのに――近くにいた旦那も気にすることなく、死んでしまった――死んでから後悔しても、もう遅いけどね」
カリーナは淡々と語る。
ユロは一層、悲しくなった。
「カリーナさん……」
「なんだい?」
「私。あなたと会ってまだ3週間です。けど、あまり自分のことを酷く言わないで欲しい、って思います」
ユロは幽霊のカリーナしか知らない。
生前のカリーナのことなど何一つ知らない。
けれど、この家には人の匂いが残っていた。
彼女と話して、人となりを知ることができた。
彼女が生きていた痕跡がちゃんとあった。
「ごめんなさい。上手いこと言えないですけど……」
カリーナは首を振った。
「いや、ありがとねぇ。慰めてくれるだけで充分さ。……それに今は別にそこまで、あたしの人生は悪くなかったんじゃなかったと思っているよ」
ユロは「え?」と首をひねる。
カリーナは話を続ける。
「何か劇的な出来事があったわけじゃない。ただ死んでから、自分の人生を振り返ってみると……まぁ、別にあれで良かったんじゃないかと思えたわけさ。旦那に会えた。ティーゼに会えた。それで死んでから、気の合う友人にも会えたんだ。あたしの人生にしては上出来すすぎる。だから、ユロ」
カリーナはユロをまっすぐ見つめる。
「あんたも大丈夫だよ。きっと。いつか辛いことだってなくなる。あんたみたいな良い奴が幸せになれないなんて、そんなバカな話があるかい」
「カリーナさん……」
ユロの側にティーゼも近づいてきた。
彼女はユロの手をおもむろに取る。
「ええ? ティーゼさん?」
「ユロ様。私には人間の感情というものはやはりよく分かりません。その器官が体内のどこにあるのかも知りません。直し方も分かりません」
ティーゼはユロの両手を観察するように、ぎゅっと握りしめる。
「私は以前に――山崩れに巻き込まれ、体をひどく損傷した時があります。体の部位が外れ、復旧が絶望的でした。しかし、旦那様と奥様が協力して私の体を直してくれました。旦那様は『意外となんとかなるもんだ』とおっしゃっていました。だから、ユロ様の損傷している箇所もきっと直ります」
「……ふふっ。何ですか、その言い方……」
ユロは思わず笑ってしまう。
テーブルのうえで黙っていて見ているドラもにやりと笑った。
カリーナもひゃはっはっはと笑う。
ティーゼだけ不思議そうに首を振る。
根拠がなくても。
大丈夫だと、いつか何となると。
誰かが側で言ってくれるだけで、少しだけ救われる。
「ありがとうございます、皆さん」
ユロを見てカリーナも微笑む。
「どういたしまして……ああ、今日は良い夜だ……私も消える日も、そう遠くない気がするよ」
と老婆は笑いながら言った。
その日の夜はユロにとって忘れられない一日になった。
――次の日の朝。
町の時計塔が何者かによって壊された。




