第七十九話「小さな糸口」
「ルプスはこの壁を壊せなかった」
名無しの言葉にルプスはむず痒そうに口を開く。
「あー、私が閉じ込められた部屋ってここと同じ。じゃあ、確かに壊せないかな」
機械の軍勢に囲まれ、下ろされたシャッター。
それを叩いた感触をルプスは思い出し、あっさりと言い放った。
「つまり、壁を破壊出来るのは輝夜だけ。だけど、上に行くためには崩れた通路を突破する斬撃が必要。だからどうするか」
その言葉に二人の人間が動き出す。
輝夜とダブレス。互いに対し背を向けるように、一人は扉へ、一人はカイへと近づいていく。
「待って。輝夜。今行かれると私たちは…」
「時間はかけない。速攻片をつける」
またもや、爆発に地面が揺れる。
ダブレスはぐったりと脱力し眠っているカイを抱えるように持ち上げた。
「その刀では魔力の補充に時間がかかる。カイを持っていけ。彼女の供給方法は発電所にいる私に聞けば分かる」
「ちょっ、待っ」
瞬間、暴風のような風が吹き荒れる。
名無しが声を発したときには扉は開かれ、輝夜の姿が消えていた。
「だが、全て運次第だ。特殊型が発電所を破壊すればすぐに私たちを追うだろう」
ダブレスの言葉に名無しは頷く。
依然として危機は迫っている。
ただ、可能性としてたった一つ、限りなく小さな糸口はあるにはあった。
標的と成り得る十分に魔力を持った存在はまだ一人いたから。
だが、名無しは頭を振って目線をルプスに移し、その案自体を否定した。
(ルプスを犠牲にするなんて出来るわけない……)
「運に託すしかない」
その言葉にため息をつき立ち上がる一柳。
一柳に自然と目線が移る。
「おいおい。名無し。忘れてないか?俺は運次第とは限らないって言ったんだ。来るぞ。任務に当たる最後のメンバー。最狂災厄の"混沌"が」
その言葉に名無しは目を見開く。
「ッまさか!!」
◆ ◆ ◆
「混沌混沌!!!!」
虹色の目を輝かせ、少年のように無邪気ながらも無機質に近い声で混沌は言う。
ビルの屋上、ただ真っすぐ地平線を眺める混沌の真っ黒な髪が風で揺れ動く。
直後、背後に二つ。
緑色の球体が落下し、割れた。
それは粉々に砕けたと同時、粒子状になって周囲の空気に色をつける。
緑と紫、二つの魔力が混じり合うと混沌の心臓がドクンと鳴った。
目を見開き、右手が暴れ回る蛇のように勝手に動く。ねじれ、鈍い音が響き腕が折れる。
直後、千切れるようにして右腕が切れた。
血が噴き出る。黒と赤の入り混じる服が右足だけ真っ赤に染まった。なのに、表情は変わらない。
「条件三番の混沌」
昂ぶった声でそう言うと、髪がうなじから薄い青色に変色していく。
地面に落下する千切れた腕が、宙にぷかぷか浮いた。
瞬間、手のひらに墨で滲み出るように口が浮かび上がる。
「収束」
その口が女性の声で言葉を放つ。
すると、周囲の魔力が一点に集中。まだ緑と紫が入り交じっているその魔力はトゲのような形になって手の口に近付き、そして喰われた。
「+《プラス》蓄積」
喰った手が拳を作るように握りしめる。
瞬間、腕の中で何かが爆発したかのように断面から血が押し出され地面に飛び散った。
混沌は振り返り、まるで殺人現場かのような血溜まりを踏みながら前に進んでいく。
空中に浮く手を左手で拾い、切断面を無理やり合わせるように勢いよく右腕をくっつけた。
鼓動によって脈打つのが見えるほど血管が浮き出る。
「三種の混沌。享楽の宴。さらなる混沌!!」
前に踏み出した一歩が魔力の渦を生み、屋上の柵を吹き飛ばす。
深い笑みを浮かべながら、混沌は空に飛び出した。
◆ ◆ ◆
「混沌とはまさか、あの混沌か?」
珍しく感情的にダブレスは言う。
「あぁ。あの人間って言っていいのかすら分からない化け物のことだ」
口角が上がり、まるで幼い少女のようにダブレスは笑みを浮かべた。
「でも、特殊型が最下層に到達してからじゃもう」
「奴の魔力放出には制限がない。能力の全てが環境依存。周囲の魔力が混沌であればあるほど力を発揮する。死神と特殊型、残存するキューブの魔力。三種が混じり合うここはまさに彼にとっての楽園」
「制御不可能だけどな」
「まさか、地上からこの最下層まで届くっていうの!?魔力が」
名無しの問いに問題がないと言った様子のダブレスを見て、名無しは確信したように言葉を放った。
次の瞬間、天井に何かがのしかかったかのように激しい音が上から響く。
「近い。もう最下層に」
天井を見上げる名無し。
顔に汗が浮かんだ。
薙ぎ払われるかのように、周囲の壁が次々壊れていくのが分かる。
耳が遠くなる轟音に、何かせずにはいられない気持ちが心の中で渦巻いた。
「あぁ、来たぞ」
落ち着きを取り戻したダブレスの声に名無しは俯き、歯噛みする。
「駄目だった。何もかも遅かった」
拳を握りしめ、絞り出すような声で名無しは言う。
発電所は稼働していない。
外に出れば特殊型に襲われる。
まさに鳥かごの中。
倒れそうな体を無理に支えてる足が崩れ落ちそうになり、ふらつく。
だが、背後から肩を掴まれ体が後ろに引き寄せられた。後頭部がその人の胸に当たり、見上げるようにして顔を見た。
「ルプス」
ニッコリと笑うルプスに体重全てを預けるように体が傾く。
「もしかしたら、そうじゃないかもよ?」
ルプスの目線が名無しから正面に向く。
それに名無しはなぞるように前を見た。
そこには、歪みも濁りもなくただ小さく笑みを浮かべるダブレスがいた。
「素晴らしい。輝夜、混沌。両者とも己の責務を全うした」
「まさか、」
(この短時間で)
扉が開かれ、金属が擦れるギシッという音が聞こえる。それと同時、開かれた扉の微かな隙間から荒れ狂う風が吹き込む。
その風には色がついていた。
漆黒、深い緑みの青、閃光の如き白。三つの色が混ざり合い、各々が自身の色を主張するかのように荒々しい。
まるで激流。
まさに混沌。
絵になるようなその光景に目が奪われるも、扉の隙間から体を見せるスーツ姿の輝夜を見て目に力が宿る。
「発電所の壁を壊してカイに魔力を供給させた。で、いいんだよね?輝夜」
「あぁ、当然その通りだ」
中に入り、さも当然であるかのような無表情で輝夜は言った。遅れてカイも中に入る。
「ついでにリスウェルも拾った。扉のそばに落ちてただけだけど」
優しく握っていたカイの手のひらからリスウェルの人形が現れる。
すると、人形から薄い霊体のようななにかがスライムのように現れる。それはこねくり回されるように形を変え、大きくなり人型となって姿を現した。
「今度こそ皆様のお役に立てるよう努めさせてまいります」
小さく笑みを浮かべ、名無しは光の灯った目で力強く立ち上がる。
「小さな糸口。チャンスは一度きり。だけど、この作戦に全てを賭けよう」
その言葉を聞き、皆がうなずき動き出す。
動けるものは入り口に。リスウェルの分身が倒れた者たちを背負っていく。
「では、ゆくぞ」
一番前で扉の前に立つカイと輝夜。
二人だけが輝夜の合図とともに外に飛び出した。
直後、手のひらを上に掲げ立ち尽くすカイ。
その手から光が溢れると、光線が射出された。
天井を赤く染め、ただ真っすぐ頭上を阻む全てをドロドロに溶かしていく。
小さくなっていく射出音。
それを聞き、遅れて皆が続いた。
天井に穴が開いている。
ルプスの背に乗り、穴の中へ。
頭上に跳んだ。
それだけで体が吹き飛ばされそうになり、精一杯ルプスを掴んだ。
(このまま何もなければいいけど…。いや、それじゃあ駄目だ。最悪を常に考えろ。例えば、特殊型は既に発電所を破壊していて、今一番魔力を放出してる混沌に向かってるとか。私たちの動きに死神が気づいて、)
ゾッと寒気がした。
このままでは取り返しがつかないことが起こる。そんな予感がはっきりと感じた。
「そうだ!!死神は地下にいる私たちを狙って狙撃していた!!」
リスウェルの体を使った壁をすり抜ける弾丸。
あれは狙って撃たれていた。それは弾丸を防いだあたりから撃つのを止めた事から明らかだ。
(つまり、壁を貫通して探知ができる。それに、私たちが下にいなきゃ特殊型を叩きつけること自体意味がなくなる。特殊型の標的も魔力だけ見るなら死神よりも絶対に混沌)
荒れ狂い魔力の奔流が地上から流れているのは今も肌で分かる。
(つまり、)
「死神はフリーだ!!今、奴を封じ込めるものは何もない!!弾丸がくる!!」
体裁を気にしない心の底からの叫び。
それを聞き、一人輝夜だけが体を捻り柄に親指を当てた。
瞬間、横切る階層の奥から幾百の弾丸が視界に入った。




