第十八話 街中を縫って
オロール。
昨夜窓ガラス越しに見たこの街は、夜の帳を遥か遠くに吹き飛ばしてしまったかのように煌びやかであった。煌々と色づいたその景色に、真白は微かな高揚感を得た。
しかし、一夜が明け実際に街中を歩いてみると、記憶の中の光景は嘘のように思えてくる。行き交う人々の姿が疎らであったからだ。
それだけではない、とキョロキョロと周囲を見回していた真白は、頭上を仰ぐ。
「なんだアレ?」
こちらの質問に対し、先を行く歩が振り返った。彼は手に持った石ころからまずこちらに視線を移し、やがて真白と同じように顔を上げた。
「……何だろうなぁ」
頭上を見上げると、そこには左右の建物の間に張られた分厚い幕があった。幕は視界の奥、目に見える範囲全ての建物からもう一方の建築物に張られている。通りは薄暗く、ヒンヤリと日陰特有の肌寒さが充満している。
「日除けかな。にしては大仰な気がするけど」
「あの屋敷といい街中のこれといい、ここの住人たちは日焼けを嫌うっての?」
「流石にそんなことはないと思うけど」
苦笑交じりの歩は、弧に歪ませた目元を上から手元へと落としていった。黄色の瞳があの石ころを眺めている。
「それ……本当に行先を示してくれんの?」
どうだろう、と歩も半信半疑といった様子だ。
あの後、真白は老人に魔法とやらを掛けてもらった。細長い棒をヒョイと軽く振ってみせると、真白の髪と瞳の色は、紺と水色に変わった。その様に驚いてみせながら、真白は薄ら寒さを覚える。
チラリと正面の歩の様子を窺うと、彼は老爺に手渡された石ころを覗き込んでいる。
「設定された場所に案内してくれる石、だっけ。完全に信じてるってわけじゃないけどさ、信じませんって切って捨てることがもう出来ないだけだよ」
歩は手の中で小石を弄んだ。その口端が僅かに上がる。彼は再び往来を進み始めた。
茶髪と自身の紺色の髪を見比べていると、真白は不意に足場がグラつくような感覚を得た。ここは自分の知っている場所でもなければ、常識が通用するような場所ではないということを真白は考え、そして頭上の幕のその向こうにある青空を思った。
「だったらここはどこなんだよ」
渡されたものは上下服一式と小さな石だった。
歩は真新しいティーシャツやジーンズの様な物を受け取りつつ、差し出された何の変哲もない石ころを見て首を傾げた。
『これは一体?』
ジンに問いかけると、老爺はやはりといった様子で石ころを示しつつ、ゆっくりとそれが何なのかを説明した。
『魔法石じゃよ。こいつには風の加護が封じられておる。目的地は喫茶ロクロク。見透かすように集中してみなさい。そうするとその石がきっと君達を案内してくれる』
何時になってもいいからここに帰ってきなさい。そうじゃな、日が暮れて外が真っ暗になった頃が望ましいな。ジンはもう一つ魔法石なる物を歩に託し、そう言い残した。
歩はジンの言葉を思い出しつつ手の中にある石に集中した。滑らかな表面がにわかに歪んだかと思うと、次の瞬間にはその輪郭が気化するかのように立ち上がって、歩達を誘った。行くべき方向があちらなのだろう。輪郭は次の角を右側に流れている。
それにしても、と目の前の不思議に驚きつつも、歩は周囲を見やる。
薄暗い往来と停滞した冷たい空気。人々の声や動きに活気はあれど、どこか不気味な雰囲気だ。歩いている最中、ふと気が付いたことがあった。
どれも高さが均一だ。
まるで地面を覆い隠す為であるというかのように、今まで見てきた建物も、視界の奥まで続く建物も、全て高さが同じであった。何かを隠したいのだろうか。それとも何か隠さなければならない物があるのだろうか。
ジンの言葉も気掛かりであった。どうして夜を指定したのだろうか。老人は帰るべき場所を提供してくれた。それを単純に有難く思いつつも、だが夜遅くに帰ってこいというのも何か引っかかる。理由あってのことなのだと歩は思う。
歩はもう一度石ころを見、そして視界の中で左右に揺れる茶髪を見た。尋常ではない力。得体のしれないものがこうして身近な所にある。信じろ、と言うのだろうか。見て聞いたものを嘘だと否定してしまうには、歩は常識外れに触れすぎている。
信じてみるしかない。強く石、魔法石を握る。手の中のそれは滑らかであった。
角を曲がり、そのまま直進すると道幅が段々と狭くなってきた。ビルディングを覗いてみると、テナントが一階から最上階まで詰まっているようで、買い物客や店員などがチラチラと見えた。飲食店からは香ばしいにおいが漂ってきて、美容院の様な風体のお店からはさっぱりとした表情の男性が出てきた。
油が跳ねる音と鉄同士がぶつかり合う音は、人の列を作ってこの通り一番の活気を見せていた。人だかりの奥を背伸びをしながら覗き込むと、賑やかな店内は人でごった返していた。人気の飲食店なのだろうか。ひっきりなしに注文と店員がテーブルの間を行き交い、商品が並べられていく動きは淀みなく、それでいて会計を済ました客が去っていくときは一際大きい声でその背中を見送る。歩は奥の厨房、そこでフライパンを振る大柄な男を見た。男は額に汗をかきながら一心不乱に調理をしている。その傍らにはカタカタと振動しながら風を発生させている扇風機の様な物があった。
歩は建物の側面を斜め上に見た。等間隔に配置された街灯が沈黙している。
「食べていくのか?」
隣に並んだ真白が精一杯背伸びをして店内を見ようとしている。目の前の列には背の高い男の集団がいて、真白は彼等の隙間から中の様子を窺いたいようだった。
「いや、ただ気になっただけだよ」
やがて諦めて脱力する真白にクスリとしつつ、歩は目的地を目指した。
「ここか……」
『喫茶ロクロク』と丁寧な文字が看板に描かれている。その下にはお品書きがあり、その前で足を止めた男女一組が、ややあって店内に入っていった。
喫茶ロクロクは建造物の一階、周囲のテナントの華やかさに隠されているかのようにひっそりとそこにあった。木製の扉には擦りガラスが埋め込まれていて、歩はそれ越しに店内を窺った。店内には人影がある。繁盛しているようだと、厨房とテーブル間の動きを見て感じた。
「ロクって言ったか。アタシ等に一発くれた女は」
へぇ、と含みのある笑いを頬に浮かべ、真白が店の全容を見ている。歩もそれに倣った。
「謝りたいって話じゃないか。威圧するのは良くない」
「だったら何か、無警戒にホイホイとアイツの前に出ていくってのか? 痛い目あわされたんだぞ」
「そうだけどさ……」
真白の警戒心を歩は正しいと思う。もしかすると、と後ろ向きな思考を考えないわけではない。しかしそう悩んでいてばかりだと何も始まらないということも確かだった。
「とりあえず、話を聞くだけでも」
指で入り口を示した。剣呑な雰囲気を纏った真白に通行人が不審な目を向けてきてもいた。立ち止まってじろりと真白は歩に視線を動かした。暫くの間鋭い眼光がこちらを射抜き、歩はジワリと汗をかきつつもその瞳から逃れることが出来なかった。逸らしてはいけない、と警鐘を鳴らす何かが胸中にあった。
「馬鹿な事、考えてるわけじゃないよな?」
低い声は歩の返答を待っている。真白の真っすぐな視線を歩は正面に捉えた。
「……わからないことだらけだ。だからわかろうって俺は俺に出来ることをやってるよ」
歩の言葉に、真白は頷きもせず、表情を崩すこともなかった。ただ息を吐いてにわかに脱力するのみだ。
頬の痛みは昨夜と、遠い過去を思い出させる。痛みは歩に足を止めることを許さない。
「あの……お食事されますか?」
唐突に背後から掛けられた声がある。一瞬、歩は驚いてはいぃッと素っ頓狂な声を出し、やがて冷静になった思考はその声に聞き覚えを得た。
振り返ると深緑色の髪を持つ女がいる。
「……あ」
女は胡乱なものを見るかのような細い目で歩達を見、そしてその顔を見る間に驚きに変える。
「あなたは」
「お前」
「ごめんなさい!!」
歩達がその容姿に昨日の女だと気が付くよりも早く、彼女が深くそして勢いよく頭を下げた。
昼の迫る往来のど真ん中。大音声は人々の注目を掻き集めて幾ばくかの静寂を与えた。歩はその勢いに気おされて碌に口を開くことが出来なかった。




