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第十四話 過ち


 距離感の近さは一体どうしたものか。真白は手でビビアンの体を押しやりつつ、ティッシュで鼻をかんだ。不自由を感じさせる鼻詰まりは、薄紙に吹き付けられて、真白は開放感を得る。それは先程からざわついて仕方ない感情を多少は落ち着かせた。紛らわしたのかもしれない。歩は席について何やら話し込んでいる。真白は、丸めたティッシュを擦り寄ってくるビビアンの頬に押し付けた。

「真白ちゃん、素直になってお母さんに鼻をかませて頂戴?」

「絶対嫌だッ」

 押し付けられたティッシュをビビアンは真白の手から抜き取って、もう一方の手をティッシュ箱に伸ばした。真白は箱をビビアンから遠ざけつつ、対の手でビビアンの顔をもう一度押す。覆いかぶさるように寄ってくるビビアンに押し倒れそうになりながら、真白は骨張った頬の感触を感じた。

「意固地ね。お母さん悲しいわ」

「お母さんお母さんって、アンタはアタシの何でもないだろ!」

「こんなに可愛い子が目を腫らしてるのよ?私の母性をくすぐって仕方がないの。真白ちゃんの所為なんだから責任を取ってね、お母さんに鼻をかませて?」

 可愛い可愛いとビビアンはこちらの頭を撫でてきた。掌の重みに圧倒されて、暫し真白は言葉を失った。笑みを浮かべてこうも甲斐甲斐しく。この女は、と込み上げる息苦しさの正体を真白は知らない。気味の悪さは真白の手を動かした。

「やめろ!」

 両手をビビアンの胸についた。バストの膨らみを押しつぶすように、真白は力を込めた。ビビアンの長い金髪がチラつく。彼女は力に押された。真白とビビアンの間に距離が出来た。

「真白ちゃん……」

 明るい声音が一転、ビビアンはひどくか細い声を発した。その調子に、真白は徐に彼女を見やった。胸を押さえて呆然とした様子のビビアンがいる。血色の良い指先が震えていた。

 無意識のうちに真白はベットのシーツを握っていた。意識して、真白は奥歯をかんだ。キュッと心臓が縮んでいる。それがどうしてか悔しかった。こんなもの、といつもみたいに吐いて捨ててしまえないのは、きっと歩の所為だ。真白は、名前の知らない感情にあてられて顔を逸らした。

「……本当に、可愛いわね」

 安堵のような、ゆったりとしたビビアンの言葉に、真白はガバとそちらを見た。微笑む、という表現しか真白には出来ない。正面のビビアンはギュゥと真白が押した部分を大切そうに胸に抱き、口角を緩やかに上げているのだ。真白は目を疑った。何故かビビアンが涙を流しているように見えたからだ。微笑を浮かべるビビアンは、その目尻に涙を浮かべてはいない。見間違えだ。真白は、自分が切なさを感じ、後悔を得ていることに気づいた。

「真白ちゃん、お母さんに鼻をかませて頂戴」

「結局それか!」

 ビビアンが伸ばしてきた手に、反射的に真白は自身の手を重ねた。乾燥してひび割れた指先だ。真白はそれを押し返しながら、しかし先程の様に強く返せないことに驚いた。驚き、だが力を込めようと思えないのは、それはビビアンの垂れた目尻の所為だ。腰まで伸びた金髪が揺れる。この金髪を嫌いになることは出来ない。それでも、緩やかに持ち上げられた口端を直視できない真白は、頭をもたげてビビアンの視界から逃げることしかできなかった。拒絶したというのに、ビビアンは寧ろ安堵を浮かべた。真白にはその意味が理解できない。ただ得た後悔の理由だけはわかった。

 ビビアンの表情に疑問を持ち、自身の後悔に真白は困惑する。こうも心かき乱されて、真白は流した涙を思う。触れている手の感触も、得たいと伸ばした手も、全てが新鮮だ。諦めとは程遠い。

 真白はチラとビビアンの顔を見上げた。こちらの視線に気づき、小首を傾げてみせるビビアン。多くの名前を知った。興味をこうも抱いてしまうのは、初めてだった。

 はっきりとビビアンに向き合おうと顔を上げかけた真白は、ドアが軋む音を聞いた。真白はその重音にそちらを見た。ゆっくりと開いた扉は、奥に白い女を見せる。白髪は長く、前髪の隙間から赤い眼球が覗いていた。女は素早く目を動かし、部屋を見回した。机を囲む歩達を見、やがてこちらを見た白髪は、微かに目を見開いた。視線は、重ねられた真白とビビアンの手に注がれているような気がした。

「ノアちゃん……」

 ビビアンの手から力が抜ける、そっと、居心地悪そうにビビアンの手が真白から離れていった。真白は、先程までとうって変わった行動をとるビビアンを見た。彼女の横顔はバツが悪そうに思えた。不安に瞳が揺れている。ノアと呼ばれた白髪と暫くの間ビビアンは見つめ合い、やがて申し訳なさそうにビビアンが顔を伏せた。垂れた金髪の奥に表情は隠れた。



 緊張感に水が差した。張り詰めた場の空気が霧散し、歩は息苦しさから解放される。そうさせたのは、部屋に入ってきた彼女だ。

 長身の女だ。髪は白く、身にまとう服も白い。ただ一点だけその瞳の赤が派手に思えた。その姿に、歩は既視感を覚えた。脳裏に焼け付いた光景と耳元で囁かれた声がある。歩は、ピタリと何かが自分の中ではまったような感覚を得た。

 彼女の入室は、ジンやダービィ、ポーラの意識を引いた。真白やビビアンもそちらに気を取られているだろう。彼女は室内を見回した。赤い水晶体は、まずこちらを捉えた。視線が重なると、彼女はすぐに目を逸らした。明らかな動揺が感じ取れた。彼女の瞳は、落ち着ける場所を探すように忙しなく動いた。ジン、ダービィと動きポーラに移る。その動きの中に何があったのか、歩にはわからない。ただ何かはあったのだろう。彼女の視線に、机を囲む三人は確かに顔をそむけたのだ。心にやましいことがある、そういっているようだ。彼女は最後に部屋の奥、ビビアンと真白を見た。瞼が大きく持ち上げられた。強くこぶしが握られた。

「ノアちゃん……」

 背後の声は震えていた。恐怖に震えている。歩はそちらに振り返り、声の主を見た。ビビアンは絶望の中にいた。

「……何やってるの」

 ノア、そう呼ばれた赤目の彼女は、静かに怒りを込めてそう発言した。他の感情を押し殺して、ただ怒りに喉を震わせていた。眉間に寄った皺は、しかし自然にできたというには力みすぎていた。そうしようと、自身を誤魔化しているような痛々しさがそこにはあった。だからか、ノアは視線をどこにも落ち着かせない。ジン達一人一人に焦点を飛ばしている。だが歩と真白、そしてビビアンに顔を向けることはなかった。

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