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第十一話 質問疑問懐疑邂逅


「ごめんなさいね、あなた達のことちょっと気になちゃって、覗きみたいなことをしちゃったわ」

 ビビアンは舌先を唇の間から出して、室内の中央に設置された机の縁に腰かけた。身長が高く、ビビアンは歩の隣に立ってこちらを見下ろしてきた。灯された照明の光が、彼女の金髪に反射している。

「お前たちがうるさくてかなわんからこうして様子を見に来たんじゃわい」

 細身の老爺はジンと名乗った。椅子の背もたれを引いて、老婆を導いている。日に焼けた肌を持つ老人は欠伸をかみしめた。

「まぁ若い頃は仕方ないよ。ワシ等だって色々やってきたからねぇ」

 老婆は柔和な笑みを浮かべながら、ジンに手を引かれて椅子に腰かけた。ポーラは歩の隣を通り過ぎるときに、こちらの手を取ってきた。握手を求められたのかと思い、歩は恐る恐るその手を握り返すと、思ったより強い力でポーラは握り返してきた。ジンとは対照的に肌が白い。杖をついている。

「しかし良かった。大ジジ様が言うに、君たちはトワイライトの使いというわけではないようだ。きっとあの子も安心する」

 がたいの良い男性は、ダービィと名乗った。彼の所作一つ一つを妙に落ち着きはらったものだと感じてしまうのは、ゆったりとした動きは勿論、短く切りそろえられた白髪に、白い豊かな口髭が少なからず関係しているのだろう。大人、という自身の固定観念そのものを見ているようで、歩はむずかゆい。

 引き締まった表情でありながら、ダービィが口の端を上げると、その雰囲気が気を撫でおろして、歩は息を漏らした。圧迫されて暴走気味だった脳に冷や水をかけられたような気がした。シャツの胸の辺りはまだ乾いていない。

「こんな夜更けにすみません」

 ダービィが椅子を引いた。引いた椅子をこちらに示す。歩はそれに従って椅子に座った。お尻を椅子につけると、どうしてか安堵を感じた。深い息を思い、椅子の上からの視線の高さを意識すれば、こうして一息ついたのは久しぶりかもしれないと歩は背もたれに背中をつけた。途端に力が抜けて、椅子と体が一体化してしまったかのような錯覚にとらわれた。

「どこか痛むところはないかい?」

 ダービィは歩の両肩に手を置いた。大きい掌の重みを感じる。

 痛み、と訊かれ歩は関節の痛みを思った。意識して具合をみてみると、不思議なことに痛みを感じない。あれ、と内心呆気にとられた。

「ロクが派手にやったらしいじゃない。ジーセ様とアマネセル様がすんでのところで割り込まれたから良かったものの、それでもあなた達は吹き飛ばされて大けがよ!」

 机の上からティッシュ箱だろうか、薄く柔らかそうな紙が覗く長方形の箱をビビアンは手に取り、真白の横に腰かけては一枚薄紙を取り出した。真白ちゃんと親しげに名前を呼んで、ビビアンはそれで真白の鼻をかもうとした。それを拒んだ真白は、乱暴にビビアンの手からティッシュを取り、鼻をかんだ。その所作もまた乱暴だった。一連の流れをジッと見ていた歩であったが、鼻をかんだところで偶然真白と目が合った。赤く腫らした目で真白はこちらを見返した。何かを待っているのか、真白は歩を見つめている。その双眸に息をのむ歩であるが、けれど目を逸らすことは出来なかった。心臓を鷲掴みにされたような緊張感があって、歩は暫くの間呼吸さえも止めてまるで石像のようにかたまり、その瞳に見つめられていた。長く引き伸ばされた数瞬は何かしらの変化を起こすこともなく、やがてツンと顔を逸らした真白によって終わりを迎えた。緊張の糸が解れて、歩は噴き出した手汗をズボンで拭った。胃の辺りに重くかかる重圧は後悔だろうか。しかし、歩は安堵が自身の胸の内に寄せ返してくることも自覚した。今はどのような顔で真白と向き合えばいいのか分からないのだ。ぞわぞわと足が浮いてしまいそうな感覚は、きっと真白から逃げたいという本心の表れだろう。歩は真っすぐな真白の気持ちに向き合うことが出来なかった。そうする資格があるとは思えなかった。

「大けが、ですか……?」

 歩はむせかえるような体の熱を逃そうと音を発した。

 ビビアンの表現を冗談だと思うのは、自分や真白の体に目立ったけがが無いからだ。調子は良好。問題を感じることはない。

「ロクが必死に治療をしたからな。アマネセル様が応急手当をされたということもでかいが、まぁ当然じゃ」

 ジンが大きく体を揺らして笑っている。大きな声量に歩は仰け反った。人名だろうか。聞きなれない単語に困惑しつつも、歩はもう一度自分の体を確認した。目立ったけがはどこにもないし、痛む所もない。関節等、仕事で得た痛みも無くなっている。大けがを負ったにしては、特に何かがあるということではない。治療というものが、一体どのようなものでどの程度のものなのかわからないが、歩は何もなさすぎる自分の体と、だから大袈裟に感じれてしまう話に違和感を感じた。

「あれ……僕達を吹き飛ばしたのって、一体何だったんですか?」

 歩は意識を失う前の光景を思い出し、チラと真白を横目に見た。ビビアンに絡まれて露骨に鬱陶しいといった真白の表情を新鮮に思いつつ、膝の上に畳まれている白いシャツは確かに所々ほつれている。森の中からここまでくるその長い道程。思い起こせば汗をかくようなことばかりだったし、地面についたから土がついたりと汚れがついてしまうのは当然だろう。しかし歩がベットの上で寝ている間に洗濯でもされたのか、幾分かは汚れもマシにはなっていた。だが今は汚れよりもほつれが気になった。

「……?」

 言って、左斜め前の席に座ったジンが眉間に皺を寄せた。怪訝な表情に歩は自身の発言を顧みる。おかしなことは言っていないつもりだ。

「何って、魔法だよ。単純な形だけの魔法」

 ダービィが苦笑している。さも当たり前のように言い放たれた単語に歩は耳を疑った。

「魔法、ですか?」

 歩は興味を持っていなかった。もうこれで終わるのだと思っていた。石橋の上で自分は死ぬのだと、本当に思っていた。だから歩は、あの杖のような棒と後方の木を穿った光に興味や疑問を抱かなかった。故に遅れて今更な驚きを感じるのと同時に、あの時歩の胸中にあった諦めを他人事のように思った。諦めることは許されない。じわじわと焦がれていく胸の内が懐かしい。懐かしいとどうして他人事なんだ、と歩は無意識のうちに頬を撫でていた。

「まさか知らないとは言わんじゃろう?」

 ジンの瞳がこちらを捉えている。歩の一挙手一投足を見逃すまいというのか、食い入るような視線を感じた。居心地の悪さを得た。

「……魔法なんて、おとぎ話じゃないんですから、そんなものは――」

 だが冗談だとは思えない。歩は事実この目で見たのだ。そしてその威力を味わったのだ。だからその先を歩は言えない。ならば、本当に魔法なるものが存在するとして、歩は一つ疑問を得た。ここはどこだ。歩の知らない常識が存在するここは、一体何なんだ。

「その髪、黒色は染めたのかい?」

 ポーラがゆったりとしたトーンで歩に疑問を投げかけた。柔らかい物腰は、しかしその後ろに冷ややかな物を抱えている。歩はポーラの赤い瞳を見た。赤い水晶体の中に歩が写っている。

「いえ、地毛です」

「目は?」

「生まれつきです」

 間髪入れないジンの問いに歩は即答する。右斜めに座ったダービィを含め、六つの瞳が歩を見ていた。額を流れる汗がある。歩は自然と背中を椅子の背もたれから離していた。

「黒は遥か昔から特別な色とされてきた」

 徐にジンが口を開いた。ジンは、机に両肘をついて手を重ねている。絡めた指先が逆の手を撫でていた。爪が白くなっている。指先も同様だった。

「ここオロールでは、その色は神聖視されておる。トワイライトの森深くに沈んだとされる王都サクリフィスで、人々の命を贄に神になろうとした王がおったそうでな、それを打ち滅ぼし世に安寧をもたらした人物が、黒い髪と黒い瞳を持っておったからじゃ。しかし、元来黒は悪魔の色とされてきた。その色を持つ者は死者を操るとされてきたからじゃ。名添、今はもう死に絶えたとされているが、いつまでも忘れられることのない名じゃよ」

 歩はジンの話を聞きながら唾をのんだ。話をしている間、ジンは片時も歩から目を離さなかった。こちらをジッと見据えている。

「黒は伊達や酔狂で使っていい色ではない。見るものが見れば、敵視されて殺されてもなんらおかしくはない色じゃ」

 緊張感が歩を蝕む。ヒリヒリと肌に視線が突き刺さった。

「お前たちは何者かね?どこから来た?」

 ジンの質問に歩は暫し呼吸の仕方を忘れた。見えない腕が歩の首を絞めているかのようだ。異様なまでにのどが渇いている。唾をのみこもうとするが、遂に歩はそのやり方さえも忘れてしまった。こちらに向けられた六つの視線は冷ややかだった。その内側には敵意がある。歩はキュゥと心臓が握りつぶされるような感覚に捉われた。

 その時である。

 重く軋む音を立てて部屋のドアが開いた。極度の緊張に捉われていたからか、歩はドアの動きを酷くゆっくり感じた。開いていくドアはやがてそのむこうに女性を見せる。真っ白な女がそこにいた。

 歩は息苦しさの中にあって、しかし茜色を思い出した。等間隔に並んだ幹。遥か地平線の黄昏にその中で煌めく白髪、そして真っ赤な瞳。彼女だ、耳元で誰かが囁いた。

 長い前髪が表情を覆っていた。歩は食い入るように彼女を見た。

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