6.隠された秘密
楓李は必死に走った。普段ならこの程度では息が上がらないのに、今だけは肺に空気がいかず息苦しかった。エレベーターを待つ余裕もなく階段を必死に駆け上がった。
医療棟は一般人もいるが、澱に侵食された人や零番局の職員が使っていたりもする。そのため5階から上は関係者以外立ち入り禁止になっている。
「はぁっ…っぁ……はっ……」
楓李はある病室の前で止まった。入口には『東城 陽菜』と書かれていた。震える手でドアをあけ中に入っていく。ベッドに寝ている妹を見つけ安堵した。
「………陽菜…無事だったか?」
妹の顔に触れようと手を伸ばした時だった。自身の手が澱や血で汚れている事に気がつき触れようと伸ばした手をおろした。
本当はいつも触れようとする度に思っていたことがある。たくさんの澱を倒したこの手は汚れているのではないかと。実は澱に触れたこの手で陽菜に触れることで目を覚ますのが遅れているのではないかといつも心配だった。
(でも……寝てる姿は……死んでるみたいだ…)
楓李は実際に陽菜に触れて温かさを知ることで陽菜や自分自身が生きていることを実感していた。むしろ、楓李にとってはこの瞬間しか生きている意味を感じ取れないのだ。
御影はやっとの思いで楓李に追いついた。その時楓李は触れようとした手を下げ、ベッドサイドでただ立ち尽くしていた。
「触れないのか?」
「………汚れるじゃん。」
「洗えばいいだろ?」
黙り込んでしまった楓李の傍へ御影は近寄る。そして、ベッドに寝ている陽菜を見つめて呟いた。
「……妹さんお前に似てないな。」
「……陽菜は母さんに似てた。」
「美人さんなんだな。」
シーンと部屋が静まり返る。動こうとしない楓李をどうしようか迷っていると、コツコツと誰かが近寄ってくる足音がした。看護師の見回りかと思い入口を振り返ると1人のスーツを着た男がそこには立っていた。
「…誰だ?」
眉間に皺を寄せ御影が男に尋ねる。すると男は胸元のポケットから手帳を出し御影に見せた。
「私は第零番局の特務監察官、橘綾人です。」
「特務…監察官?」
「はい。主に仕事は第零番局の監察とそこにいる東城楓李の監察兼処分役です。」
綾人はそっと楓李を指さした。楓李はチラッと綾人の方を見たがすぐに陽菜へ視線を戻した。
「監察はわかったが、処分とはどういうことだ?」
「おや?東城楓李…バディにまだ何も伝えていないのか?」
「………うるさい。アンタは黙ってて。」
「自己紹介もしてないなんて常識としてどうなんですか?どうせなら私が他己紹介でもしましょうか?」
楓李は圧を込めて綾人を睨んだが当の本人は何も気にする素振りを見せなかった。むしろ少し笑っているような顔をしていた。
「いつからこんなに嫌われてしまったんでしょうか?」
「………元々好きだった記憶もない。」
「酷いですね…。もう長い付き合いでしょ?」
淡々と話していく2人に御影は置いてけぼりにされる。そんな御影を見て綾人は話し出した。
「どうせ時間が経っても東城楓李が話すとは思いません。私が代わりに教えましょう。何が知りたいですか?」
「…さっき言っていた処分っていうのはどういう事だ?」
「言葉通りです。東城楓李は特例なんです。澱に対する異常な適性力と群を抜いた戦闘力。黒瀬御影さんどうしてだと思います?」
しばらく考えた御影が口を開いた。
「境断官は澱が見えなきゃいけないってことを除けば…夜断に気に入られてるってことが原因か?努力もあるとは思うが…」
「3割ほど正解です。一番の要因は夜断に気にいられるその理由です。東城楓李は深淵級の澱の核を宿しています。」
「はぁ?それはどういう事だ?」
本来は澱を体内に取り込むことなんて出来ない。澱に取り憑かれてしまえば高確率で死んでしまうからだ。だからこそ、澱の核を宿している楓李は零番局にとって特例の存在なのだ。
「一歩間違えれば彼は澱になってしまいます。澱になれば特異災害を引き起こします。だから私が彼の処分役なんです。」
楓李のことを孤独に戦う強い青年だとばかり御影は思っていた。楓李が抱える秘密は想像を超える重さだった。しかし、その話を聞いて少し納得がいく部分もあった。
楓李は普段自分が傷ついてもいいように戦う癖があった。それは、いつ自分が死んでもいい様な雰囲気もあった。
(こいつには…元々タイムリミットが存在したのか…)
悲しそうに楓李を見つめる御影を横目に綾人は話し続けた。
「彼がこうなったのは13年前の出来事です。」
「……それ以上お前が喋るな。」
今まで静かにしていた楓李が突如口を開いた。その声は低くどこか冷たかった。
「では君が話してくれるんですか?」
楓李は御影の顔をじっと見て呟いた。
「………知りたいの?」
「お前がいいなら俺は聞きたい。」
楓李はひとつ息を吐いて喋りだした。
「13年前の東央モール事件…知ってる?」
「知ってるも何も…あれだけ大々的にテレビで取り上げられれば知らないやつはいないだろ。……まさか?」
「そのまさかだよ。あれは澱による特異災害だった。」
13年前、当時の楓李はまだ7歳だった楓李を襲った東央モール事件は第零番局の史上最悪の特異災害だった。無差別殺人事件に加え大規模災害が起こり数多くの市民が犠牲になった。
「あの日…俺は奇跡的に生き残った。」
楓李は未だに消えない幼い頃の記憶を思い出した。家族と楽しく過ごしていた土曜の午後だった。ご飯も食べみんなでショッピングモールを歩いていた。しかし、どこからか怒鳴り声が聞こえそれは、徐々に悲鳴へ変わりあちらこちらから聞こえてきた。
逃げ惑う人々がいる中、楓李は迷子にならないように両親の手を必死に握った。しかし、モール内は混乱しており逃げ場がなかった。
「誰かぁ!助けてぇ!!」
「どけよ!あっちに逃げろ!」
「おかーさん!おとーさん!!」
あちらこちらで人が転んだりしていた。楓李はそれを横目に必死に父へしがみついた。すると前から男が刃物を持って振り回しながら近づいてきた。
「……楓李、陽菜を連れて逃げなさい。母さんもこの子達と行って!」
その場にいた父は男が近寄って来ないように自身で抑えるつもりだった。
「あなたを置いては行けない!」
「じゃあこの子達はどうするんだ!?」
「………絶対に無事でいてね?」
「…任せろ。」
母親は楓李と陽菜を連れその場から逃げ出した。目に涙を浮かべながら母親は必死に走り二人を物陰へ隠した。
「二人はここに居て人がいなくなったのを確認したらモールの外に出なさい。」
「お母さんは?」
「ごめんね。お母さんはやっぱりお父さんを一人にしておけないの。」
「一緒に逃げよ?」
「楓李…陽菜を頼んだわよ?ごめんね。こんな酷いお母さんで……。二人とも大好きよ。愛してる。また必ずお父さんと迎えに来るわ。」
そうして母親は楓李と陽菜を置いて父親の元へ向かった。楓李は母親を止めたかったが隣にはまだ自分よりも幼い妹もいた。
「にーに?ママとパパどこ?」
「大丈夫だよ。僕がいるから。陽菜のこと守るよ。」
「にーにはどこにもいかない?」
「うん!絶対に陽菜の横にいる。」
しばらくするとどこからか大きな声が聞こえてきた。
「火事だぁ!逃げろ!!」
その声に気がついた楓李は陽菜を連れその場から逃げ出した。あちらこちらものが散乱したり人が倒れているのが目に入った。それでも楓李は陽菜の手を離さず走り続けた時だった。視界の先に大きな黒い物体が目に映った。
周りの人々はそれに気がついている様子はなかった。陽菜にもそれが見えているようで二人はその場で足を止めてしまった。すると、黒い物体の大きな目がこちらを向いた。楓李はとっさに陽菜を自分の後ろに隠した。
「…ァ…冥哭…ッ…淵界…?」
「……何言ってるの?」
黒い物体が話しかけてきた。楓李は意味がわからず首を傾げた。しかし、黒い物体が発する謎の圧が足を震わせる。すると後ろからドサッと何が倒れる音がした。後ろを振り向くと先程まで自分に掴まっていた陽菜が青い顔で倒れていた。
「陽菜!?どうしたの?ねぇ!起きて?」
「……タスケタイカ?」
楓李は黒い物体を見つめた。
「お前がやったのか!?ふざけるなよ!」
「コタエロ。タスケタイカ?」
その物体には感情が無いようだった。ただ淡々と楓李へ話しかけてきた。
「……助けたいよ!お父さんもお母さんも陽菜も!」
「ジャアオマエヲヨコセ」
「えっ……?」
一瞬だった。目の前に黒い物体が一気に迫りそのまま自分を飲み込んだ。目の前は一気に暗くなり身体が冷たくなっていく。心もどんどん重く沈んでいき何がなんだが分からなくなった時だった。目の前にひとつの光が見えた。
「……ぁっ?」
眩しさに耐えきれず目を瞑った。しばらくして光が止む。気づけば先程の場所で自分は倒れていた。しかし身体は重く動かせなかった。視界の端に刀を持った男が一人佇んでいた。必死にその男が呼びかけてくるが楓李は眠気に抗えず目を閉じた。
「そのあとは気づいたらこの病院にいた。最初に伝えられたのは陽菜も助かったこと。でも二度と目を覚まさないかもしれないこと。……しばらくしてから両親が刺殺されたことも聞いた。」
楓李は自分の手を見つめた。もし自分に力があったら陽菜も両親も助けられたかもしれない。
「その後は施設で育てられながら高校生で零番局に入った。まぁ、事件後からココにいる奴らに目をつけられてたんだろうな……。」
「………寂しくはないか?」
思いも寄らない御影の発言に楓李は驚いた顔をした。今まで大変だったね、可哀想にと散々声を掛けられたが一言目に寂しかったかと尋ねてきたのは御影だけだった。
「……わかんないや。いつ死ぬかもわからないし、いつ人を殺すかもわからない。だから俺はバディなんて作りたくなかったし誰ともつるむ気なんてなかった。」
「お前さ背負い過ぎなんだよ。」
「えっ?」
御影は楓李に近づきその手を取った。
「7歳の頃から人が耐えられないような経験してさ…ましてや人の命を救うために自分の命掛けてるんだろう?…重すぎるだろ。」
「……分かったような口きかないで…」
「…わかんねぇよ。きっと全部わかんねぇ。でも、少しは背負わせろよ。」
俯いていた楓李は顔を上げ御影の顔を見た。その顔はどこか苦しそうな表情を浮かべていた。そして御影は握る力を少し強めた。しかしそれは痛くなくどこか安心する強さだった。
「……汚れるよ?」
御影は迷いなくそう言った。
「汚れてねーよ。汚れてても洗えばいいだろ。」
そう言うと御影は更に手に力を込めた。
「こんなに必死に誰かを守ろうとしてきた手だ。」
その言葉を聞いて一瞬だが楓李の肩が揺れた。
「……綺麗に決まってんだろ?」
その言葉に楓李は泣きそうになった。下を向き必死に堪えた。
「……ズルい」
「大人はみんなズルいんだよ。」
「…バカみたいな返事……」
御影は優しく楓李の頭を撫でた。いつもならすぐに払い除けて来るのだが楓李は大人しくそれを受け入れた。
初めて受け入れられた楓李の暗い過去。まだ抜け出せる程、痛みも傷も乗り越えられていない。でも、触れてきたその手は温かく初めて離したくないと思った。




