3-2 なんで付き合ってないの?
――……いや、あんたら、なんでまだ付き合ってないの……!? 意味わかんないんだけど……!!??
と、いうわけで、二次会のバルに辿り着いたのは、自分と、レイナの親友であるココ、それから何故か付いてきたリック・ユクセールの三人のみであった。
こんなことなら、他に誘ってくれた同級生たちとどんちゃん騒ぎしていた方が楽しかったかもしれないな、と、心の何処かで思わないこともなかったが、それはまた別の機会でも良いだろう。
友人たちは逃げたりしないので、きっと誘えば飲みでもなんでも来てくれるはずだ。
――えー。付き合うって、なにー? 連れションみたいなことー? さすがに連れションはなぁー……。
しかしながら、肩透かしを食らった代償は大きく、ジーンは悪酔いしていた。
大麦の蒸留酒をぐいぐいと飲み干して、現実世界から離れたどこかへ昇天するような心地である。
――ばーか。そんなこと言ってないでしょーが! あんたとレイナ! なんで恋人になってないのかって聞いてんのよ!! 学生時代から、ずーっと両思いじゃないの!! 気持ち悪!!
高すぎる椅子に腰掛けて足を組み、こちらにズカズカ鋭利な言葉を投げ付けてくるココは、珍しく同級生の中でもレイナを神格化しない魔導士であった。
いや「神格化しなくなった」と表現した方が正しいか。
レイナの魔力はあまりにも別格。ゆえに、入学当初は、強気なこの女魔道士さえも彼女を遠巻きに見ていた覚えがある。
しかし、何のキッカケがあったのかは知らないが、いつのまにか二人の距離は縮まっていて、二年目くらいには神格化することもなく同等、今では自他ともに認める親友関係であった。
学園生活は六年と長い。六年もあれば、いろいろと人間関係に変動もあるということなのだろう。
だが、ジーンととレイナはというと、あの六年間を通じて何も変わらない。そして、今も尚、昔から変わらない関係性を貫いている。
――両思い……両思い、なぁ……両思いって、なんだ?
ジーンは、バルの小さな丸テーブルに肘をつき、ぐらぐらと世界が左右に回る感覚を覚えながらぐいと蒸留酒を呷るのであった。
両思い、の、定義はなんだろう。
ジーンには、よくわからない。
自分は間違いなく、レイナのことが好きだった。なんなら「大好きだ」と本人に向かって言ってみたことだって、幾度となく、あった。すると、レイナもレイナで「私も大好き」と言ってくれるので、嬉しい。
そうとも、間違いなく、嬉しいのだ。
だが、それだけ。
果たして、これを両思いと言うのだろうか?
ジーンには、よくわからない。
恋人になる、という、関係性の変動についても、さっぱり実感が湧かなかった。
すると、ジーンの疑問を受け、とうとうと語りだしたのは、同窓生のリックである。
――両思いというのは、両者のニーズが釣り合うことを言うのだ。
こちらの同窓生も個性派かつ、大物だ。
――恋人関係とは、打算にすぎない。相手とパートナーになることで自分の得る利益、それに釣り合うものをこちらから提示できれば成り立つ。逆も然り、だ。
個性派ゆえに、こちらもココと同じくレイナを神格化しない珍しい同級生の一人と言えよう。――かと言って、対等な友人関係を築いているかというと、微妙なところ。彼の場合、万人に対して自分が優位に立とうとする。その高飛車な態度がレイナに対しても平等に働くところが、彼が大物たる所以である。
――えっ? あんた『恋人関係』なんてものに、興味あんの?? てか、人並みに恋愛感情とか、あんの??
――感情はあるに決まってるだろう。僕はくるみ割り人形ではないぞ。
――はー……びっくりした。……まさか、彼女とかいないわよね? いたら、可哀想なんだけど……。
――なんだ貴様、僕に恋人がいることが気になるのか? 悪いが、田舎者と付き合う気はないのだ。諦めてくれ。
――あんたの頭も可哀想だし、付き合わされてる彼女も可哀想だっつってんのよ。
すらすらと学園時代から変わらないやり取りをするココと、リック。
彼らは、かねてよりずっと犬猿の仲であった。というより、良きライバルなのだ。――と、ジーンは思っている。
エリート輩出所とも言われる王都の一般学校の出身で、そこで常にトップに立ってきたといわれるリックと、西の田舎町から突如現れた新星ココは、常に二位争いをしていた。
知識量や魔力の使い方については、リックの方が少し上。幼い頃から鍛えられてきた技量が根幹に備わっているためであろう。
一方、センスや魔力量はココの方が少し上。彼女の出身地はヨルジュの国の中でも随一治安の悪い地域で、小さい頃からゴロツキたちを魔力で躱してきたらしい。ある意味、実戦で鍛えてきたということだろう。
そんな二人が常に二位争いをする中、ダントツ一位を常時キープしていたのが、レイナだ。魔力量、技量、センス、どれもがずば抜けて高い。もはや、人間業ではない。
生徒たちは、化物クラスのレイナのことをもはや同級生としては扱わず、生ける伝説と謳った。
そういう意味では、自分の代のトップはココ、あるいはリックであると思っている同級生も少なくはないだろう。
――しかし、まあ、正直なところ……恋愛というものに夢はない。うちには姉が三人いるが、全員あまりにも高飛車で、女というものが好きではない。
――あらまあ。あんたと同じじゃないの。血は争えないねえ。
――おまけに、同級生の女は、これだ。恋人関係が利害の一致であるならば、この不快感を拭い去って余りあるリターンがないと釣り合わない。
二人のやり取りを見ながらふわふわと笑うジーンの実力はというと、――特筆することもない、平均値であった。
決して、成績が悪いということはない。だが、突出して何が良いというわけでもなく――唯一、魔術工学は得意であったけれど、あんなものは勉強すれば誰だって点が稼げる。――地元では優秀だったが、王都まで来てみたら自分レベルの魔導士なんていくらでもいるんだなと思い知らされた。と、いう、なんの変哲もない、どこにでもある話。
それでも心折れることなく楽しい六年間を過ごしてこられたのには、一応理由がある。ジーンには、ジーンの抱える事情があるのだ。
まあ、今はそんなことは良いとして。
「両思い」の定義とは、結局何なのだろう。
――利害の一致、ねえ……。ちょっとよくわかんないかな……。
ジーンは、グラスに口を付けながらぼやいた。
否、リックの言い分としては理解できるのだ。
恋人関係とは、というより、人間関係とは身も蓋もないことを言ってしまえば利害の一致。仲が良いというのは、気が合うとか趣味が合うとかいろいろ理由があるけれど、つまりは互いに利益があるからこそ傍にいるということなのだ。
それは、理解できる。
だが、それを自分とレイナに照らし合わせると、あまりにも、しっくりとこない。
――……いや、このバカの言うこと鵜呑みにするんじゃないよ。世の中の恋人全員が利害関係なんてものを考えて付き合ってるわけじゃないからね。ほとんどは、惚れた腫れたの延長でしょう。
――それを利害関係というのだろう。
――黙りな、感情欠落人間。
――なんだと。
――恋なんて、頭でするものじゃないってこと。だって、ジーンはレイナのこと好きでしょう? 利益がどうとか、そんなこと考えずに。
――うーん……。
――レイナのどこが好きなのよ。
問われて考え込み、グラスに口を付けると、いつのまにか蒸留酒はなくなっていた。なので、喉に流し込むものも何もないのだが、なんとなく口寂しくて空のグラスに口を付け続けてしまう。
結果、虚空を飲み込んで、あまり考えていない言葉が溢れ出した。
――どこが好き、かなあ……。顔、かなあ……。
あまり考えていないので、なんとも、粗雑な返事をしてしまった。
あまりにも粗雑ゆえ、「顔ぉ??」と、ココから素っ頓狂な声があがる。加えて、「顔、だと??」と訝るような声をあげたのはリックだ。
――レイナ・オルマインは、不細工でこそないが、さして端正でもあるまい。整った顔というのは、この僕みたいな鼻筋のことを言うのであって……、
――うるさい。ナッツでも食っとけ。
ココは置かれたツマミを皿ごと隣の男に押し付けて、自分はテーブルの上へと身を乗り出す。
ギョロリと紅色の瞳がこちらを睨みつけてくるので、自分は望ましくない回答を寄越したのだろうなと酩酊する脳みそでも理解はできた。なので、なんとか釈明しようとぐらぐらする頭で必死に考える。
――顔、っていうかさあ……なんだろう……表情……?? 笑う時とかさー……んー……斜め上見てさぁ、あははって笑うんだよ……それがさー……すっげー、可愛い……。
なんだかもう、喋りながら眠くて眠くて仕方がない。半分、夢の中にいるみたいだ。
夢の中に、ふわふわと可愛らしい彼女の笑顔が見えた。
「ジーン!」と言って、こちらを見上げてくる灰色の瞳。
「お菓子食べる?」と、手作りのお菓子を差し出してくれるのだ。
その仕草のひとつひとつが、堪らなく可愛い。
――お菓子とかがさあ……もう、レイナそのものってかんじでさあ……クッキーも含めて、まるごと可愛い……。
――……どういうことよ。
――クッキーが、可愛い……。
――クッキーの話はしてないんだけど。
呆れた口調で首を傾げるココの隣で、大量のナッツを口に放り込まれたリックが噎せていた。
今この場所に、レイナがいないことが、悔やまれる。
レイナがいれば、彼女の作ってくれたロッククッキーごと紹介して「これのことだ!」と胸を張れたのに。
――……とにかくね、学生時代は、付き合っていないにしろ、あんたら二人はいつでも一緒にいたじゃない。それはそれで良かったと思うのよね。……ほら、あの娘って、魔力量だけは化物級だけど、中身は小心者だから。それでも、ジーンが傍にいるから、やってこれたんだと思うのよね。
言いながら、ココは自分のグラスに入っているマドラーをぐるぐると回した。
ぐるぐる回るマドラーの動きに目を奪われながら、ジーンの思考もぐるぐる旋回する。
レイナは可愛くて、お菓子が美味しくて、とても可愛くて、魔力が強くて、とても可愛い。
ぐるぐると、思考が旋回する。
――だから、卒業して離れ離れになるってタイミングで、付き合うんだと思ってた。卒業しても、いつでもまた会えるように。なのに、どうして付き合ってないのよ。
そうとも、レイナは可愛いのだ。
だから、とても大好きだ。
いつでも、そのお菓子を食べられる場所にいたいとは思う。
学生時代はいつでも彼女が傍にいて、手作りのお菓子を分けてくれた。
今思い返せば、あんなに幸せな時間は他になかっただろう。
だけど、だからといって、恋人関係になるのか、というと――そういう話ではないと思っている。
――社会に出たら、そうそう簡単に時間を作って会うこともできなくなるんだし。
――レイナが、会いに来いって言えばー……俺は、いつでも、会いに行きます!!
――あの娘の性格じゃ、言わないでしょ。
――えっへっへー……レイナ、クッキー焼いてくれないかなぁ。食べたーい。
――……。……レイナもレイナで、「お菓子屋さんになりたい」とかよくわかんないこと言い出すし……。
はあー、と溜息混じりにココが言うのは、このバルを目指す道すがら、ぽつりとレイナがこぼした「あたし、お菓子屋さんになろうかなぁ」という台詞を受けてのことだろう。
あれは、ジーンとレイナがふたりで並んでいる時に聞こえてきた台詞だが、後ろを歩いている彼女にも聞こえていたようだ。
ココは、心底、レイナのことを気にかけている。
――お菓子屋さんになんて、なれるわけないじゃない。そもそも、あの娘のつくるお菓子、別に美味しくはないし。
ただし、遠慮もなければ、口も悪い。
そこが、ココの良いところともいえるかもしれないが。
――それについては、同意だ。
そしてココと犬猿の仲であるリックもまた、口に詰められたナッツをなんとか食べきって、そのように応じた。
まだ喉にナッツの欠片が残っているのか、通り過ぎていくバルの店員に「葡萄酒をひとつ追加で」と注文している。ジーンもそれに乗っかる形で「あ、俺も」と葡萄酒を注文すると、空になったグラスを手の中でくるくる弄びながら口を尖らせるのであった。
――えー……レイナの作るお菓子、美味しいじゃん。
ジーンは、そう思っている。
学生時代から、なにかとたくさん作られるレイナの菓子を、いくつもいくつも食べてきた。レパートリーは実に豊富で、何を食べてもマズイものなんて、なかったように記憶している。
が、学生時代に彼女の菓子を食べた経験があるのは、なにも自分だけではない。
――……不味くはないんだけどね。決して、美味しくもないのよね。
なにかとレイナの菓子を味見してきた親友の女は複雑な表情を浮かべてそう語った。
それを受け、隣の男も「うむ」と大きく頷いている。
曰く、
――あれは、母親のつくる菓子に似ている。
とのこと。
――幼い頃、母が、急に暇を持て余したように菓子を作ることがあったが……別に美味くもなければ不味くもない。ただ、うちは家族の人数が多いから、大量に焼かれるんだ。しかし、姉たちは美味くもない菓子を食べることはないので、結果、全て僕が食べることになってしまう……残すと母の機嫌が悪くなるから、こっちは必死だ。……レイナ・オルマインの菓子は、あの時の辛い気持ちを彷彿とさせる。
リックはげっそりとした表情を浮かべ、ウェイターの運んできた葡萄酒のグラスを傾けた。
濃い紫色の酒が注がれたグラスは、自分の前にも置かれる。なみなみ揺れる紫の水面を眺めつつ、ジーンは首を傾げるのであった。
――母親の味、ねえ。……それってつまり、世界にひとつ、愛情の味ってことじゃん。……そんなの、めっちゃ美味いに決まってんじゃーん……。
ぺろりと舐めてみれば、渋くて酸味の強い味がする。
レイナの作る菓子とはまるで、真逆だ。――彼女の菓子は、甘くて柔らかくて、自分のこと包みこんでくれるかのよう。それは、彼女の笑顔と全く同じように。
世界で唯一無二、レイナの笑顔の味がするのだ。
――お前らが食べないなら、俺が食べるから、いーんです。レイナー、俺にクッキーを焼いてくれー。
というわけで、青年はここにはいない娘の名を呼んで、ぐびぐびと渋い葡萄酒を呷った。
「クッキーはいいから、いいかげん、その気色悪い関係性にケリをつけなさいよ」とココの苦言が飛んできたような気もするが、世界がぐるぐるまわるので理解が追いつかない。
そして、そこから先の記憶は、途切れ途切れであった。
何の話をしていたやらよく覚えていないし、どれくらいの時間バルに残っていたのかも覚えていない。
――ていうか、あんた、一応レイナと同じ国家魔導騎士団に所属してるんでしょ。レイナ、最近ずっとあんなかんじなの?
――あんなかんじ、とは?
――心ここにあらず、なかんじで。お菓子屋さんになりたいとかなんとか。
――さあ。レイナ・オルマインが何になりたいかなんて、知らない。そもそも、騎士団は規模の大きい組織だ。同じ隊に所属してなければ会うこともない。
――……まあ、そうでしょね。大尉のレイナと、ヒラのあんたじゃ会うこともないわね。
――ヒラではない。今年からは軍曹だ!
――……順当な昇進おめでとう。
やんややんや、同級生たちが騒いでいるのを、夢の向こう側から見ているような心地であった。
(いいなあ……リックは、レイナと同じ組織にいるから、レイナに仕事中、会えるのか……)
リックは「同じ騎士団でも会うことはない」と言っていたにも関わらず、きちんとそれを理解することもできず。
とにかく、レイナの菓子が食べたくて――彼女の笑顔の味が恋しくて、そんなことばかりをぼやいていた。
何時にどうやって家まで帰ったかも曖昧で、気付けば朝になっていた。
服も着替えていないしシャワーも浴びておらず、起き上がると全身が重くてひどい吐き気がする。
ジーン・デリバディ、21歳。
こんなにひどい二日酔いを経験したのは生まれて初めてのことであった。




