3-1 二日酔い
サクサクと、軽やかな歯ごたえのわりに、ボリューミー。
甘くて柔らかくて少し重くて。
そのクッキーには、どんな高級レストランのスイーツでも、どんな有名ブランドのお菓子でも、決してかもしだせない不思議な風味がこめられているのだ。
***
頭が痛い。というよりも、重い。
顔をあげようとしても、重力がいつも以上に強くて逆らえないような感じがする。立ち上がるとぐるぐる目眩がして、腹が底からひっくり返りそうな感覚がした。
昨晩は、あんなに楽しかったのに、と思う。
後からどれだけ後悔しても、昨日の夜には戻れない。
これは、典型的な、二日酔いだ。
「ぅあ゛ー……」
何の意味もない、ただ声帯を揺らすだけの行為。
しかしながら思わず呻くのは、苦しみを紛らわすためと、思った以上に自分の声が掠れていて少し面白いから。
(寝る前は、ここまでじゃなかった気がするんだけどな……もう少しまともな声が出ていたような……いや、あんま覚えてないけど……ていうか、どうやって帰っていつ寝たっけな……)
昨日開催された、同窓会。
三年ぶりに会う同窓生も多く、楽しくて楽しくて大いに盛り上がってしまった。
一次会のパーティ会場を出たところまでは、しっかりと記憶がある。しかし、二次会と称して少人数でバルに移動して、がぶがぶアルコールを腹に落としてから後の記憶が、途切れ途切れだ。
「ぅお゛〜……」
青年は、デスクに突っ伏したたま、ひねもす唸りをあげていた。
唸ることで少しだけ苦しみが紛らわされるというのと、自分の声ではないような掠れ声が面白かったから。
というわけで、「あ゛ー」とか「う゛ー」とか何度か唸りを繰り返し吐き出していたところ。
「……びっくりした。魔獣が入り込んだのかと思った……」
「なんだ、ジーンか……」と、頭上から女の声が降ってきた。
ぐう、と腹の底から込み上げてきそうになるものを堪えながら、青年ジーンは顔を上げる。
すると、自分のデスクの傍らに、短い緑髪の女が立っていた。
ごちゃごちゃと様々な実験器具が置かれたここは、天下のゲレッジクリエイト社の開発室のひとつだ。
多くの魔道具を生産している世界大手の魔道具メーカー、ゲレッジクリエイト社。そのヒット商品たちは、皆、この会社の開発室から生まれた。
「我社の強みは、魔人の血を引くと言われるヨルジュの優秀な魔導士たちを、開発部に多く雇っていることです」と社長が外部インタビューで答えていたように、ゲレッジクリエイト社の中でも開発部は花形――ではあるのだが、いかんせん、大きな会社なので、社員が多い。
一口に開発部と言ってもなんと全部で10課以上ある。その中にも複数のプロジェクトが存在し、同じ開発部でも顔も知らない社員も多々いるくらいだ。
開発部の社員たちはプロジェクトごとに新規開発を手掛け、競い合うことで互いに切磋琢磨している。
魔導士として騎士団に入るという王道コースからこそ逃れたものの、結局どの世界に行っても人は競い合わなくてはならないのだなあと、思った新人時代より早3年。
今では、すっかり会社の端にある開発室に落ち着いたものである。
「あ゛ー……おはようございます、アンナさん……」
バッサリ切った緑髪の、銀縁眼鏡のこの女は、ジーンの直属の上司であり、このプロジェクトのリーダーだ。
つまり、この開発室の責任者。彼女の名を、アンナ・ウルマークという。
「やば、酒臭……どうしたの? 振られてヤケ酒??」
鼻を押さえて少し距離を取り、彼女が自分のデスクの方へ進んでいくと、コツコツコツとヒールの音が響く。今日は他のチームメンバーはそろって外勤だったはずで、開発室にいるのは彼女と自分の二人のみだ。
ということもあり、昨晩はかなり油断して飲み過ぎてしまった。――アンナとは、上司と部下である前に、古馴染みでもあるため。
「振られてはない……と、思います。そもそも付き合ってません……」
なので、このグロッキーな状態でも、なんとか這って出勤した。出勤さえすれば、あとはなんとでもなるだろうという甘えである。
「知ってた。でも、あんまり興味ない」
「そっちが聞いたのに……」
「嘘。それなりに興味あるよ」
「それは、どうも……」
「でもそんなことより、部屋が酒臭いのが不愉快。消臭効果のある魔具あったよね。使うよ」
言って、彼女は自分のデスクの裏にある棚から消臭用の魔具を取り出すと、容赦なくジーンの顔に押し付けてきた。
球型をしている魔具は、空気を吸って臭いの原因を察知、そしてその臭いに即した消臭効果の魔術を施してくる。
臭いの原因は、もちろん、ジーンだ。
「ぐぁっ……」
ジーンの身体から放出されるアルコール分解による代謝物を特定、全身にその代謝物を取り除くための中和魔法をかけてくる。
痛みを伴う類の魔術ではないが、全身包まれる感覚が二日酔いの身体には堪える――残念ながら、この魔道具は臭いこそ消し去ってくれるけれど、二日酔いそのものを潰してはくれないのだ。
「ん……だいぶ臭いはマシになったね」
「すみません……」
「水飲みな。あと、仕事しな」
「……はい」
そして、どこまでも容赦のないこの上司はジーンにとっては、姉のようなもの。と、言ったら、嫌な顔をされるだろうけれど。
「……なに? 珍しいじゃん、あんたがそんなに飲むなんて……」
「……俺も、こんなに飲んだの初めてで……」
「ヤケ酒じゃないなら、何があったの?」
「同窓会があって……」
「……あー」
「二次会で、やらかしてしまいました」
「……なるほどね」
一通り消臭作業を終えた上司アンナは自席に戻っていった。満足したのだろう。
ジーンも、気を引き締めて仕事をしなくては――と、デスク端に置いた浄水ボトルに手を伸ばすものの、やはり、何をするにも身体が重い。
(あー……なにが悪かったかな……あれだよな……二次会の、葡萄酒……あれが駄目だった……あそこから記憶が……ない……)
なんとかギリギリ掴んだボトルを引き寄せて、浄水ボタンをポチと押す。するとボトルの中にぶくぶくと泡が立って、新鮮な水が湧いて出た。これはいつでもどこでも、湧き水の飲める魔道具だ。
青年は、ちびちびと冷水を口に流しこみつつ、昨晩のことを回想するのであった。
***
――あーあ。……あたし、お菓子屋さんになろうかなぁ。
同窓会の行われたパーティ会場を出て、二次会と称して向かった先は、王都にあるこぢまんりとしたバルであった。
二次会、といっても、元同級生の女に無理矢理引き摺りだされただけなので、他の多くの同窓生たちとはパーティ会場でお別れした。
別に名残惜しくはない。なぜなら、一緒にバルへ向かう面子の中には、彼女の姿もあったから。
――え!? お菓子屋さん!?
バルへと向かう道すがら、彼女が呟いた言葉をジーンは聞き漏らさずに拾った。
ぽつりと呟かれただけの台詞は、独り言のようなものだったのかもしれない。聞き返すと、彼女は驚いたように目を丸くして、こちらを見上げてきたから。
――あ、いや……本気じゃないけど……。
――? 本気じゃないのか??
――んー……現実逃避? みたいな……本気でなりたいわけじゃないけど……なんか、毎日お菓子だけ作っていられたら幸せだなー、とか、思っちゃった。
そう言って、現役最強の魔導士は、はにかむように笑ったのであった。
否、現役世代だけではない。彼女、レイナは、ひょっとしたら現存する全ての魔導士の中でも最強かもしれなかった。彼女には、そう言わしめるだけの強すぎる魔力が備わっている。
――えー、いいじゃん、お菓子屋さん。俺、レイナのお菓子好きだもん。毎日通うよ。
――そんなふうに言ってくれるの、ジーンだけだよ。
と言って、微笑む顔は、本当にどこにでもいるような普通の女の子なのに。
ジーンは、彼女の顔を見ているのが好きだった。
長い赤茶色の髪、自分よりも小さな背丈に小さな顔、灰色の瞳からは大人しい印象を受ける。鼻もちょこんと小さくて、全部が全部、小さい尽くしだ。
多くの人々は、彼女のことを魔力ありきで判断する。魔力量がほぼ実力とニアリーイコールで結ばれるヨルジュの国の価値観ならば、仕方のないことだ。
ゆえに、学生時代、多くの同級生たちが彼女のことを神格化してしまい、友達付き合いを避ける様子を何度も見てきた。友達はおろか、同じ人間として扱っていたかもわからない。誰も皆、彼女のことを同じ空間にいる別の生物――化け物みたいに扱ってきたのだ。
だが、ジーンにとっては、彼女は、一人の普通の女の子でしかなかった。否、そうあってほしい、という願望があったのかもしれない。
彼女には、いつでも、自分の手の届く範囲にいて欲しかったから。
――あたし……今日は、帰るね。
なので、二次会のバルへと向かう途中、突然彼女が不参加を表明した時、するりと手の中から彼女が抜け出してしまったみたいで、拍子抜けしたのだ。
――えっ? ……バル、行かないの……!?
彼女とまだまだ一緒にいられるとばかり思っていたので、肩透かしを食らった気分であった。
ジーンはそれなりに友達の多い方。パーティ会場から抜ける時も多くの同級生に「飲み直そう」と誘われた。
だが、それら全てを断ってこっちに来たのだ。
だって、多忙な最強魔道士といられる時間はどうしたって限られている。だからこそ、せっかく彼女と一緒にいられるのなら、他の何をおいてもこちらを優先したかった。そう思っていたのに。
――明日も、仕事が早いから。
しかし、そう言われてしまったら、無理強いもできないジーンである。
彼女と一緒にいるための努力を惜しむつもりはない。が、そのために彼女に嫌われてしまったら本末転倒。
――そっかあ。……あんまり、無理すんなよ。
なので、できうる限りの笑顔で見送って、別れた。
「うん、またね」と返ってきた彼女の微笑みを、必死に瞼の裏へと刻み込みながら――。




