2-1 大好きは届かない
まずはバターに砂糖を加え、クリームみたいになるまで練り込んで。
溶き卵を混ぜてバニラの香りを少々。
薄力粉にふくらし粉、粉っぽさがなるまで混ぜ込んで、スプーンですくって天板の上に並べたら。
オーブンでキツネ色になるまで焼いて、出来上がり。
***
田舎外れの草原を飛び出し2人で王都についた時には、丁度太陽は水平線の向こう側へと隠れたところであった。
空は紫色に染まり、街の明かりが騒がしくなる頃合いである。
(結局……街まで来ちゃったなあ……)
王都の煌々と輝く街明かりを見上げると、ほんの少しだけ憂鬱な気分になった。なにしろ昨晩遅く、この明かりから逃げ出したばかりだったので。
だが、そんな憂鬱な気分を一気に弾き飛ばす青年が、隣に一人。
「いやー……すっげかった、すごすぎた……え? 俺、大丈夫? 身体、ある……??」
わざとらしく、げっそりとした表情で問いかけてくる。
彼は、レイナにとって大切な、学園時代からの友人の一人だ。
「あるよ……あるある。とても逞しい身体があります」
「ほんとに? 肉削がれて骨だけとかになってない?」
「あはは、大丈夫だよー」
笑いながら、レイナは相棒の翼竜を騎舎へと預けた。
王都フジュールは、ヨルジュの中でも唯一無二の大都会。街中で魔獣を自由に連れ歩くことはできない。街に入る前にはきちんと騎舎へと預ける決まりとなっており、騎舎でおとなしくしていられない魔獣は強制的に処分されることもあった。
なので、自分の魔獣を引き連れ王都に来られるということが、ひとつ魔道士のステータスとも言われるほど。そうとは知らず、学園時代、すでに相棒だった翼竜を連れてきてしまってなんだか肩身の狭い思いをしたことを、今でも昨日のことのように覚えている。
――レイナって、もう自分の魔獣持ってるの!?
――さすが、王族の推薦枠。
――エリートは違うねえ。
表面だけ繕った賞賛の言葉は、受け止めきれずに心の上を滑っていく。
クラスメイトから注がれる好奇と羨望、嫉妬、そして疎ましさの混ざったドロドロとした目線を一身に浴びて過ごしたあの六年間は、必ずしもレイナにとって輝かしい想い出ではなかった。
だが、その想い出の中にも、キラリと光る宝物のなかったわけではない。
「レイナの飛空術どうなってんの……俺、まだ草原に身体半分取り残されてる気がする……」
騎舎の中まで一緒に付いてきてくれたその青年の名前を、ジーンという。
黒ジャケットの上から肩を揉んで首を傾け、さらりと流れる短い灰色がかった黒髪。学生時代よりも少しだけ身体の筋肉量が減ったようには見えるけれど、決して弱々しくはない。日々魔道士になるための鍛錬ばかり重ねていた学園時代とは違うのだ。
なにせ、今の彼の職業は、魔道士ではない。
「まあ……ギュネディの草原からフジュールまで数十分で飛んできたもんねえ」
「ほんと、すげーよ。俺、行き火力車で三時間かかったぞ……」
「……それじゃ、草原から戻ろうにも同窓会間に合わないじゃない……」
「まー、その時はその時……! レイナに会えればなんとかなるかなーと思ったし、実際なんとかなったしな……!」
「あたしっていうか……マヴィスがすごいんだけどね」
「それはもちろん! マヴィスもすごい!」
「でも、マヴィスカイの本気はこんなもんじゃないよ」
「まじか! お前、めっちゃすげーな……!!」
騎舎の中、青年の突き抜けるような声がよく響く。
マヴィスカイこと、呪の施された縄につないで柵で囲われたストールへ連れられた翼竜は、慣れたものでおとなしくしていた。
彼――マヴィスカイとの出会いはレイナが五歳やそこらの頃。
家の裏にある山の奥で、初めて出会ってから、ずっと唯一無二の親友だった。
時間さえあれば、いつでも彼の背に乗り青い空の下を飛び交って――彼の名前は、レイナを乗せて空を飛ぶ翼竜の姿を見て、母が名付けた――だからレイナは、魔道士学校に入るまで、魔獣に騎乗するということが技術を要する行為だなんて知らなかったのだ。
ましてやマヴィスカイは飛行する翼竜。
国家魔道騎士団の所属魔道士ですら、特殊な訓練を受けた飛行隊でしかそのスキルを持たない。
入学当初には軽々と竜の背に乗って空を飛び交うことのできたレイナを見て、同級生たちは愕然としていた。
それだけが理由ではないが、学生時代、常に自分は同級生たちから一線を引かれていたと思う。
一部の生徒たちを除いては。
「マヴィスー、お前は本当にすごいやつだよ! 俺のことも一緒に乗せてくれてありがとな!!」
ニコニコと屈託のない笑みを浮かべて竜の鼻に己の額を付けるこの青年は、出会った当初からマヴィスカイのことも、それからレイナのことも、一切恐れなかった。
初対面でも一切の繕いもなく下心もなしに声をかけてくれたのは、後にも先にも彼だけだったのではないか。
レイナは、そう思っている。
「だから、俺のヨーグルトケーキを食べてしまったことも、許してしんぜよう!」
今でも多くの魔道士たちがマヴィスカイに対して臆した様子を見せるなか、彼は一切、翼竜を前にしても恐れを見せない。
ぶるるっ、と鼻を鳴らしたマヴィスカイは、先程、大草原にてレイナがジーンにあげたはずの2切れ目のヨーグルトケーキを横取りして食べてしまったのだ。
とはいえ、もともとマヴィスカイとレイナだけで食べるつもりで焼いたケーキだったので、そこに突然現れたジーンこそが、横取り犯だったのかもしれないが。
とにもかくにも、大好きな相棒と、大好きな友人が戯れている姿を見ている時間は、このうえなく、幸せだ。
(ずっと、このままでいられたらいいのに――)
レイナは、何度となく、学生時代に思った口上を、今日もこっそりと心の中で読み上げるのであった。
***
愛獣を預けて騎舎を出ると、騎舎の番をしている魔導士がビシとこちらに敬礼をするのが見えた。
「……オルマイン大尉」
レイナ・オルマイン、とは、レイナのフルネームだ。
ローブでもって王家の紋章を隠していたつもりだったのだけれど、こちらが国家魔導騎士団の大尉であることはバレていたのだろう。――あるいは、紋章などなくともバレていたかもしれない。レイナは、騎士団の中でも有名人だ。
「……ご苦労さまです」
せっかく敬礼をしてくれたのに無視をするのも気が引けて、小さく挨拶をこぼすと「は」と騎舎番の魔道士は頭を下げた。
入団した年月だけなら、レイナよりもずっと先輩だと思う。
だが、騎士団は完全に実力主義なので、自分のように若くとも一飛びで昇進してしまう魔道士も決して珍しくはない。
なので、こんなことで居心地の悪さを覚えてはいけないのだ、と、常々レイナは自分に言い聞かせている。
これは、自分の務めだ。
分不相応な魔力を持って生まれてしまった、自分の。
決して避けてはならない、運命なのである。
と、陰鬱な感情を胸の奥で転がしていたところ。
「うあー……さっき、ヨーグルトケーキ食べ損ねたからなぁー、なんか小腹が減ったなぁ……!!」
レイナの陰鬱な感情などなんのその、間延びするような口調で、隣の青年が叫びをあげた。
騎舎番の魔道士がわずかに興味を持つようにこちらを見やったが、青年はちっとも意に介さない。
彼は、他人の目を、全く気にしないのだ。
その突き抜けるような明るさに、レイナは何度救われてきたことやら。
「……これから、同窓会行くんでしょ。食べ物も飲み物もたくさんあるんじゃない?」
騎舎を出て、王都の門をくぐりぬければ、そこは一気に人通りの多い繁華街だ。
石造りのビルがずらりと並び、火力車が走る。
丁度夕飯時とあって、オープンテラスのバルはどこも混み合っていた。
「それはそうなんだけどなー。俺、あーゆう人の多い飲み会に参加するとさあ、飯食うよりずっと喋っちゃうんだよ。酒のせいかなあ」
「……昔から、そうだったよ。学生時代もいつも、誰よりも最初に食堂入って誰よりも最後まで残ってたじゃん」
「じゃあ、酒のせいじゃないかあ……」
「ジーンの人柄だね」
「腹の減る人柄だよ……」
「……クッキーあるけど、食べる?」
「……! 食べる……!!」
まさか、即答されるとは。
これから飲み会なんだよ、と苦笑しながらも、レイナは肩にかけた鞄の中から紙袋を一つ取り出した。
これは一昨日、仕事から帰って家で焼いたものだ。
お菓子を作っている時だけは、ナーバスな感情から逃げ出すことができるので、いつもついつい作りすぎてしまう。
職場で配ることのできるほどの出来栄えではないことは、自分が一番よくわかっているので、自分で食べるか相棒のマヴィスカイに食べてもらうかの二択しかなく――マヴィスカイがクッキーの粉っぽさを気に入らなかったので、一人で食べるしかなく、余ってしまったのだ。
「うおー! でっかいクッキー!! 食べ応えがあるぞー!!」
「ロッククッキーだよ……型とかいらないから、ついつい無駄に作っちゃうの……」
「今、俺の胃を満たしたので、無駄ではありません!!」
「なら、良かったけど……」
バリバリとデカい岩のようなクッキーを丸ごと頬張る彼の横顔からは、見ているだけでも元気がもらえる。
レイナは失笑しながらも、ふと、彼の腕に輪っか状の魔道具が二つはまっていることに気が付いた。
ひとつは、金属製の環だ。銀色によく光る。もうひとつは、紐のようなもので編まれた腕輪だ。
どちらも、アクセサリーだと言われてしまえば、疑う余地もない。
だが、彼がこの手のアクセサリーを付けることはあまりないと、レイナは知っている。
「……。……それ、新種の魔道具?」
というわけで、気になって、その腕輪たちを指し示してみた。
「ん?」
もぐもぐと口いっぱいにクッキーを頬張りながら、指し示された先を見た青年は、というと。
「ん! そう……!! これ、俺が、作ったんだよ……!! 新しい、跳躍装置!! だよ!!」
もごもごと、飲み込むより先に前のめりになって腕輪について説明をしてくれた。
食べ終わってから話しかければよかったな、と思うも時すでに遅し。
喉に詰めて少しだけ苦しそうにもがいたジーンであったが、すぐに飲み込んで気を取り直すと、目をキラキラとさせて語ってくれた。
「既存の跳躍装置って、基本的に歩行装置とセットになってるじゃん? 歩行困難な人のサポートとか、遠距離歩行を楽にするために使ったりとか……」
「そうなんだ……騎士団でも遠征で歩行装置を使うことはあるけど、あれって跳躍装置も兼ねてるんだね」
「うん、跳躍って言っても、ほとんど歩行のカバーだよ。楽にジャンプができるってかんじ」
「ふうん……」
「でもさあ、なんかさあ、それだけじゃもったいないじゃん……? どうせならさあ、跳躍機能に全振りして、一回のジャンプでビル一つ飛び越えられる感じにできないかなーって思ったんだよね」
言いながら、彼は腕にはめられた編まれた紐状の腕輪を見せびらかしてくるのであった。
銀の環はそれとは違う効果があるのかもしれないが、特に触れられない。
「……それでさっき、草原にいた時……急に空から降ってきたのね……」
「そうそう! あんな広いところで試したの初めてだったから、ちょー気持ちよかった!!」
「えっ、嘘、さっきのが初めてだったの……!?」
「だって職場の開発室でやると怒られるからさぁ……」
「……そりゃ、室内であんなに跳ねられたら困るでしょう」
「だから、ちょっとテンション上がっちゃったよね」
マヴィスには敵と間違えられちゃったけど、と朗らかに笑う彼の本業は、魔道具を開発することであった。
彼の職場であるゲレッジクリエイト社は、ヨルジュの国の中でも最も大きな魔道具メーカーで、国外においてもシェア率は常にトップクラスだ。
魔道士学校卒業後、ジーンは魔道士にこそならなかったけれども、なんなら国家に仕えるよりも高収入とも謳われる世界的大手企業に就職した。
つまり、一般的に見れば超エリートコースなのである。――魔道士学校卒業からのゲレッジクリエイト社新卒就職なんて、婚活市場では最も需要の高い肩書きだ。
が、ジーン自身はその華やかな肩書きを一切鼻に掛けることがない。
「いわゆる肉体強化系の魔法だけじゃなくて、エネルギー出力に反射魔法を加えたんだよね。あとはバランスが取れるように重力調整もして……あんだけ跳躍できるんだもんな。思ったよりすごいんじゃね? これ……何に使おうかな……」
「何に使おうかなって……もう、商品として開発してるんじゃないの?」
「ん? いや? 全然?? 俺が勝手にやってるだけ」
「勝手に??」
「上司にも『すげー高くジャンプできるようになります!!』って説明してみたんだけど、『なにそれ』て言われた」
「あははは……それじゃ、開発室で試すの許されないわけだ」
どんな肩書きを持っていたとしても、ジーンはジーンだ。
そして、彼の前でなら、レイナも自分の肩書きも置かれている状況も全て忘れて、ただのレイナとして存在していられる。
「……。……ジーン、今日、来てくれてありがとね」
夜の繁華街の雑音に紛れて消えてしまいそうな声で、ぽつりと呟いた。
ひょっとしたら聞こえないかもしれないと思ったけれど、それならそれで良い、というくらいの心持ちで。
「ん? 今日?? 同窓会やるんだったらさ、レイナが絶対に来てくれないと!」
しかしながら、レイナの小声もしっかり聞き取って応じる彼の笑顔の眩しいこと眩しいこと。
「……ん。ジーン、大好き」
繁華街に揺らぐ発光灯に目を細めるがごとく。
しかし、実際にまばゆくて仕方ないのは彼の笑顔だ。
「俺も! レイナ大好き!!」
屈託なく笑ってくれるその笑顔を見れば――今日、ここまで戻ってきてしまったことも悪くなかったと思える。
王都はレイナにとって、冷え切った牢獄のよう。
学園時代も、魔道騎士団に入ってからも、ロクな想い出なんてなかった。
そんな中でも、彼と過ごした時間だけは、明るく煌々と輝いてみえる。
(ジーン、大好き――)
けれども、きっと、彼に自分のこの感情は、一生届くことがないのだろう。




