1-1 太陽みたい
用意するのは、砂糖の入っていないヨーグルト、それから卵をふたつ。
ヨーグルトと卵黄をボールでかきまぜ泡立てて、薄力粉と片栗粉を投入。ダマがなくなるまで混ぜたら、別のボールで卵白と砂糖をかきまぜて、ふわふわの雲みたいなメレンゲを。
ふたつのボールに入った生地を重ねてあわせ、ケーキ型にいれたなら、熱したオーブンで焼いて、ヨーグルトケーキの完成だ。
***
もくもくと、大草原の真ん中に、白い紐みたいな煙のあがるのが見えた。
ここは、王都から少し離れた山間部で、年間を通じて穏やかな気候なので、都で働く人々が軽いレジャーに出掛けるのにはぴったりだ。とは言え、この後、都で予定があるのなら、あまりのんびりもしていられない。普通の人間ならば、ここから王都に帰るには魔獣車か火力車を使って半日はかかるはずだから。
心地良い春の夕陽に包まれて、青年は甘ったるい香りにくんくんと鼻を鳴らした。
(あっ……いた……!)
揺れる緑のその先に、一匹の魔獣と娘、そして、即席オーブンの姿を見つける。
「おーい……! レイナぁー!!」
大声で叫んでも、風でかき消されてしまいそうなくらいには彼女の場所まで距離がある。だが、それでも気にしない。なにしろ彼女は、すこぶる耳が良いので。
「……っ? ……ー!?」
思った通り、遠方から呼び掛けただけでも彼女はこちらに気が付いた様子。驚いたようにこちらに向かって手を振ってくれているけれど、残念なことに、自分が彼女ほど耳が良くない。彼女の声は風と草の擦れ合う音にかき消されてしまって、聞こえない。
かくなるうえは、彼女のいる場所まで跳んでいくしかない。
「……よぅっしゃ、行くか……!」
青年はパンパンと肩を叩いて気合をいれると、ジャケットの裏ポケットより秘具を取り出した。輪っか状になっていて、厚手のブーツの上からでも足にかぶせて装着できる。右足に一つ、左足に一つかぶせると、側面を撫でて魔力を呼び起こし、そして。
「や――っ!!」
と、腹の底から叫び声いっぱい、青年は広い空の下へと高く高く跳躍した。
「……!? ……ジーンっ……!?」
娘の声がさっきよりもハッキリと聞こえたのは、距離の近付いた証であろう。
人間では有り得ないくらいの高さ(ビルの3階分程度?)まで跳んだ青年の身体は、今度は真っ逆さまに落ちていく。このままでは地面に叩きつけられて大怪我は免れない――というところで、足にはめた輪っかが反応し、徐々に落下速度が緩やかになっていった。それは青年の身体を地面に垂直になるようにバランスを整えて、そしてそのままストンと地上へと降ろしてくれる。
突然人間が空高く跳んだ、ということに驚いたのであろう。娘の傍らに控えていた竜型の魔獣がぶるると身を震わせ鼻から火花を散らした。見たことのない新手の敵だと思われたのかもしれない。危うく、臨戦態勢だ。
「ぅあっ、ちょ、ちょっと待って、俺だよ、俺俺! ジーン! ジーンだよ!!」
自分が彼女と出会った時には、すでに彼女の相棒だったこの魔獣とは、付き合いが長い。なので顔を見せればわかってくれるだろうと油断していたが、ここままでは顔を見せる前に喰われる――と、青褪めれば。
「だめ、マヴィスカイ、やめなさい」
決して厳しくはなく、しかしながら弱々しいことは決してなく、凛と透き通るような声色で、娘が告げた。
声には、魂が宿る。
魂とは、魔力だ。
魔力は必ずしも他者を傷付けるものではない。だが、確実に、他者の心を揺さぶる。
(……ぉお)
青年が思わず身悶えるのと同時、青年を噛み砕こうとしていた竜がピタリ動きを止めた。まるで氷漬けにされてしまったかのように固まってその場から動けなくなり、数秒程度。呪いが解けて動けるようになると、まるで憑き物が落ちたようにおとなしくなった。――跳躍してきた青年が誰であるか、ようやく認識したらしい。
「ごめん、ごめんよ、マヴィスカイ……怖がらせたよね……うん、そう、俺だよ、ジーンだよ」
青年はほっと胸を撫で下ろしつつもおとなしくなった竜型の鼻に自分の額をつけて挨拶をかわし、そしてその巨大な竜を侍らせる娘を見やってにこり笑った。
「やあ、レイナ、久しぶりだね……ここにいるって聞いたから、迎えに来たよ」
レイナという、その娘は、綺麗な長い赤茶の髪に透き通った灰色の目、そして可愛らしい唇が特徴的な青年の古馴染みであった。
「ジーン……迎えに来たって……どうゆうことなの」
その小さな唇を尖らせてこちらの名前を呼んでくるものだから、堪らない。
「どういうことって? そのままの意味だけど」
にこにこと顔を綻ばせて、青年ジーンは少し乱れた黒のジャケットを着直すのであった。
「迎えに来たんだよ、レイナ。今日は同窓会だろ?」
「ん……」
と、相手が困ったような表情を浮かべることに気付かないジーンではないが、怯むこともない。
「同窓会、一緒に行こうよ」
「……。……行くつもり、なかったんだけど……」
「なんで?」
「……だって」
「行こうよ。俺と一緒にさ」
「ジーンと……?」
「うん」
変わらず困ったような表情を浮かべるレイナだが、ジーンが笑顔をみせれば、こうしていつでも、つられたように同じく笑顔を返してくれる。
「……じゃあ……行こうかな」
はにかむような微笑みは、初めて出会った十二の歳の頃から変わらない。
「……やった!」
わざとらしく小さくガッツポーズを作って見せれば、ますます笑みが溢れた。
青年ジーンは昔から、彼女の笑顔が好きで仕方がない。
(太陽みたいだ)
それはキラキラと輝く――手を伸ばしても決して届かない、金烏のよう。
***
大陸から切り離された島国であるヨルジュに住む人々には、魔人の血が流れている。
その昔、大陸から渡ってきた魔力を持たない人間たちが、原住民族であった魔人と結び付き、数千年以上にわたって血の交わり続けた結果が、今のヨルジュだ。産まれながらにして魔力を持つ人間がほとんどで、子供たちは文化と社会、そして魔力の制御を学ぶために学校へと通う。
そして、その中でも特に魔術に秀でていると判定された子供のみ、十二の歳から入学できるのが魔道士学校だ。
魔道士学校はヨルジュの首都フジュールにしかない。まずは国中の一般学校から選ばれて魔道士学校に入学できる時点で一握りのエリートだ。毎年学校から一人選抜されるか否か、田舎の方では魔道士学校への入学切符を手に入れたなんて話になれば街を上げてのお祭り騒ぎになりかねない。
なので、例に漏れず、ジーンが魔道士学校の入学資格を手に入れた時も、街をあげての大騒ぎであった。なにしろ、村では実に七年ぶりの魔道士学校生誕生であったため。
(村を出た時はなぁ……それなりに、「俺こそが最強魔道士になるんだ!」なんて野望もあったりしたんだよなぁ……まあ、レイナに会った瞬間に「あ、凡人が夢見ても仕方ねえな」って思ったわけだけど……)
青年ジーンは、草原の合間にぽっかりと現れた巨石の表面を軽く慣らすとその上に腰を下ろした。
魔道士学校に入学したのが今より九年近く前。十二になる歳のことである。
学校は六年制。留年さえしなければ十八の歳には卒業できるわけで、卒業生たちは学生時代に各々の道を見つけ、それぞれ旅立っていった。自分とレイナが卒業してからもうまもなく三年が過ぎるので、同級生たちも皆、丁度、成人し終わった頃合いか。
「……それにしても、よく、あたしがここにいるってわかったね、ジーン」
大草原の真ん中に石でオーブンなど拵えて、その中から出来たてのお菓子を取り出して来る彼女――レイナは、魔道士学校時代の同級生だ。
「おう。だって、お菓子の匂いがしたもん。煙と匂い追ってきたら、一発だよ」
オーブンから取り出されてきたお菓子は、なんだろう。ジーンは岩の上に座って自分の膝に肘をついた格好で、まじまじと彼女の手元を見つめるのであった。
「え? いや、そういうことじゃなくって……そもそも、どうして私が王都から離れた草原にいるってわかったのかな、って……」
「んー? ココに聞いたから」
「あー……ココかー、……そっかぁ」
「それなに? うまそう。もう食べれんの?」
会話をしながらも、レイナは手際良く菓子作りを進めていった。
円の形をした型の中に、白っぽいふわふわとしたものがおさまっている。レイナはローブの下から小さなナイフを取り出すと、白っぽいふわふわを十字に切っていった。縦に切って横に切ってまずは4分割。それをさらに半分にして型の中から取り出すと、白くてふわふわのケーキのようなものが出来上がる。
「……ヨーグルトケーキ」
少し困ったような顔をして、娘は切り分けた白いケーキを紙皿に乗せてこちらに差し出してきた。何の連絡もなく突然現れた自分にも、出来たてのケーキを振る舞ってくれるみたいだ。――昔から、そうだった。学生時代から、ジーンは彼女の作るお菓子を食べるのが大好きだ。
「わーい! いただきまーす!」
遠慮はしない。
差し出された紙皿を受け取ると、草原の真ん中にカトラリーなんて洒落たものはないはずなので手掴みでガブッといった。腕にはめた銀の環が邪魔だが、気にしない。
「フォークあるよ!」と焦ったようなレイナの声が聞こえた気もするけれど、一口でもう半分食べ終わったところだったので、今更、不要である。
「んー……うまぁ……」
「そう……? なら良かったけど……手掴みだとベタベタになっちゃうよ……」
「ベタベタになった手を食べんのが、またうまいんだよなー……」
「あはは、汚い……」
「外で食べる醍醐味だろ。……てか、そのオーブンどうなってんの? 石で作ったの?? もともとあったの?? どこからか持ってきたの??」
一口で半分になってしまったケーキだが、もう一口で全部食べきるのはもったいない。ということで、残りはチマチマと小さく食べつつ、ジーンは娘の背後にズンと聳える石窯オーブンを眺めるのであった。
そのへんの石を積んで作りました、という風体。既存の商品を運んできたようには見えないが、しかし、石と石が絶妙なバランスで積み上がっていて、普通の人間ではこれを一朝一夕には作れないだろうと思う。
だが、彼女は、普通の人間ではない。
「うん。今朝、ここにきて、作ったの」
「オーブンを?」
「そう。お菓子作りしてる時は何も考えなくていいから……」
「お菓子作りをする、って言って、レイナはオーブンから作り始めるんだもんな……え? もしかしてこの紙皿も手作り?」
「……それは、王都の雑貨屋で買ったやつだよ」
「そっか。レイナなら、パルプから作りましたって言いかねないからなぁ……」
「紙の原材料から? さすがにそれは……」
くすくすと笑う表情は、しかし、どこにでもいる若い娘の顔なのだ。
丸っこい頬が少し赤らんで膨らんで、今食べているヨーグルトケーキと同じくらい、柔らかそうだ。
(んー……可愛い)
もぐもぐと大切にケーキを咀嚼しながら、青年は頬杖をついた。
長い赤茶の髪をキュッと一つに結わえて、長いローブを纏ったその姿――ローブの下には王家の紋章がちらりと見え隠れをしており、それは国家魔導騎士団の一員である証だ。
王直属の部隊である国家魔道騎士団。それはこの国で魔道士を目指す者たちの憧れ中の憧れだ。
そもそも、魔道士になるためには、魔道士学校に入学をしなくてはならない。稀に、一般学校から魔道士補佐の仕事について、現場で魔術を磨いて魔道士になる者もいるが、彼らの行き着く先はせいぜい各街に配置される保安隊くらいだ。
王家直属の国家魔道騎士団には、魔道士学校を卒業した中でもさらに一部の選ばれしエリートでしか入団できない。
その入団試験を歴代最優秀の成績でおさめた伝説の魔道士こそ、今目の前にいる、レイナその人なのである。
(オーブン、今朝作ったってことは……丁度良いサイズの石を集めてきて、組み立てて、固めたのか……まず同じくらいのサイズの石をこれだけ集めるのにも何日かかることやら……レイナなら無機物の重さと大きさはゴロっと探知できるか? あるいは、拾ってきた石を削って揃えたのかもしれないな。学園時代も切削魔法すごかったもんな。1トンの鉄球真っ二つにしたり、100メートル先の爪楊枝をピッて真っ二つにすんだよな……ほんと神業……)
魔力の大きさは、持って生まれた素質のようなものだ。稀に見る莫大な魔力量を持つレイナは、さらにそれを制御する才能にも恵まれていた。
化物みたいに多大すぎる魔力を持ち、しかしその魔力に振り回されない器量をも持つ彼女は、学園時代から天才だと周囲に持ち上げられ続けてきていた。
が、その中身は、お菓子を作るのが好きなだけの普通の女の子なのだ。
「マヴィス、これ……あと、ジーン、もう一切れ食べる?」
8等分したケーキのうち、5切れを相棒の竜へ。そして、1切れは自分で食べて、1切れはジーンに分けて、余った最後の1切れを、ジーンにおかわりとしてくれるつもりらしい。
「えっ、俺が食っていいの?」
「いいよ。だから、そんなチビチビ食べるのやめなよ……」
「お? バレてた? 俺が名残惜しんでるの」
「バレてるバレてる。はい、どうぞ。ガブッて食べて?」
言いながら差し出されたもう一つの皿を受け取り、口元が緩むのを止められない。
「ん……さんきゅ」
可愛い。間違いなく、可愛いのである。
例え、彼女が魔道士学校史上初の全スコア満点の卒業生であっても。
例え、彼女が王家直属の魔道騎士団の若き大尉であっても。
ジーンにとっては、学園時代に教室で見た、太陽みたいに輝く笑顔のクラスメイトのままだ。




