第2話
毎晩同じ夢を見続けてもう何日が経っただろう、毎回同じ展開で、一羽の鳩との出会いで、そしてあのときの自分がいかに悲惨だったかが映し出される。
ぼくにはそれが本当にただの夢なのか、実際に会ったことがあるのかも、もうはっきりとは思い出せない、でも残念なことにその夢はいつも、目を閉じてとても深いところへ落ちていく感覚で終わる。
たぶんあれはただの悪夢だ、自分の不運のせいで見る、そういうことにしておくしかない。
隣のテーブルの上の時計がずっと鳴り続けている、いつものせわしない朝、あの音が鳴るたびに時間のことを警告されているようで、まるで自分の人生と競争しているみたいだ。
でもそんな頭の中の考えの真っ最中に、もう一度眠ろうとしたぼくの邪魔をするように、おでこに柔らかい手の感触がやってきた、少しだけ目を開けてみると、近くに誰かがいた。
「恵太、起きて、もうすぐ遅れるよ—」
「んー、お母さん……」
「あと十分だけ」
ぼくはそう言いながら顔を枕で覆った、このベッドの上の一秒一秒を無駄にしたくなかった。
「ほら、佳乃ももう準備できてるよ、佳乃が待ってるのにかわいそうじゃない」
最初は寝たふりをして無視しようと思ったけど、妹のことが気になったわけじゃなく、今日は友達との約束があるから、だからゆっくりと少し面倒くさそうな顔で起き上がった。慎重に部屋の階段を降りて学校の準備をした。
今は食卓で、いろんな授業に備えてお腹を満たしながら、妹のほうをゆっくりと見た、口の端に食べ物がついているのを見たから。
「なんで見てるの?」
「もう少しゆっくり食べられない?」
「やだ、じゃあお兄ちゃん、佳乃に食べさせてくれる気があるの?」
「絶対、しない」
「なんで?お兄ちゃんはやってくれないの?それに将来わたしは美人になるんだから」
「……そっか」
「"そっか"だけでいいの?」
「じゃあどうしろっていうの」
「かわいいって言ってみてよ」
「しない」
そのひと言のせいでこの朝の空気が変わった、妹がすぐにお母さんに告げ口して、次々とお母さんの小言がぼくに向かってきた、だからぼくはゆっくりと両手で耳を塞いだ。
ぼくのその一言だけでなんで告げ口するのか本当にわからない、それにもし本当に将来その言葉通りに育つなら、それはそれでよかったじゃないか、でもそれより、夢の中であの名前がニュースに出てきた映像—その考えがどうしても頭から離れなかった。
だからぼくは最近自分に起きていることについて知る方法を探し始めた、あの夢がただの予兆なのかそうじゃないのか、学校への道を歩きながらもずっとそのことを考え続けていた、あの恐怖が現実になるかもしれないという感覚が、じわじわと迫ってくるように。
あまりにも深く考えすぎていて、気づかないうちに前にいた人にぶつかってしまった。
「ちょっと、……ちょっとちょっとちょっと、何をぼーっとしてるの?」
その繰り返す声に少しイライラして、仕方なく目の前の靴先を見てからゆっくりと視線を上に向けた。
「何?」
「何、じゃないよ、前を見て歩いてないじゃないの」
その人を見てから、隣を見ると今ぼくは佳乃がもういないことに気づいた、少し不安になりながら左右を見渡しても、どこへ行ったのかわからない、ほんのちょっとぼーっとしていただけなのに。
これは本当にまずい状況だ、ぼくの不注意のせいで、ちゃんと探しに行かなければならない、お兄ちゃんとしての責任があるから、だからぼくは動くことにした。
来た道を引き返して、小さな交差点のたびに名前を呼びながらどこにいるか探した、息が上がるほど遠くまで来てしまって、それでも一向に姿を見つけられなかった。
やがて向かいの道の向こうから聞き覚えのある声がゆっくりと聞こえてきた、ぼんやりとした声で誰かと話しているようだった。ゆっくりとそちらへ近づいた。
「あの、ちょっと待って」
「あの、学校への道知ってる?なんか迷っちゃって」
「……ちょっと待って、君は誰?」
「わたし?わたしはわたし、佳乃」
「そっか、少し混乱するね、じゃあこう聞こうか、学校には誰かと一緒に来ないの?」
「さっきはお兄ちゃんと一緒だったんだけど、なんか忘れてったみたいで」
「それはないでしょ、君のお兄ちゃんって—」
それが確かに妹だとわかってから、ぼくはゆっくりと近づいて、彼らの話を途中で遮った。
「佳乃、早くして、遅れるよ」
「お兄ちゃん?……ひどい、置いていくなんて」
「置いていってない、ちょっとぼーっとしてただけ」
「何を考えてたの?」
「……なんでもない」
それから少し話して妹が大丈夫なのを確認してから、ぼくの視線はゆっくりとその男の子のほうへ向いた、自分と同い年くらいに見えたけど顔中に絆創膏が貼ってあって、この子はよく喧嘩する学校の生徒だろうとぼくは思った。
でもそれはさておき、少しの間とはいえ妹を見てくれていたことには十分感謝していた、だからぼくは自分から—お辞儀をして「ありがとう」と言った、そのあとで踵を返して学校へと向かった。
今はクラスで絵の課題をやっている、ふだんは見えるものだけ描きたいのに、頭の中でふと鳩を描きたいという気持ちが湧いてきた。
森の奥の木に止まった一羽の鳩、最初からそう描こうと思っていた、それでいてその感覚がとても馴染み深かった。もしかしたら一ヶ月前からその夢が毎晩やってくるせいかもしれない。
突然隣から一枚の紙が飛んできてぼくの頭に当たった、来るとは思っていなかったから少し驚いて、視線を向けると隣の席のクラスメート(橘瑞良)だった。
少し無視してそのまま絵を続けようとしたけど、今度は折り畳まれたその紙がまた飛んできてもう一度頭に当たった、ぼくは眉をひそめてそちらを見た、するとついに彼女が口を開いた。
「ねえ恵太、放課後やっぱり一緒に行くよね?」
「わからない」
「もう、昨日約束したじゃない、もしかして妹のこと?だから早く家に帰らないといけないの?」
「まあ、それも理由の一つかもしれない」
「じゃあどうするの、行くよね」
「はあ、まあ、わかった」
そんなわけでぼくは承諾した、約束を守りたかったわけじゃなくて、断る理由が見つからなかったから、言ってしまえば彼女が頑固な性格だからそれだけでもうそうなってしまう。断れたらよかったのかもしれない。
そして彼女は両手を上げて大喜びしていた、ぼくはただ眉をひそめながら机に顔を埋めた。
授業の時間はすべてそのまま過ぎていった、そして放課後のチャイムが鳴った瞬間、あの頑固な女の子はその音を聞いてすぐにぼくの机まで走ってきた、逃げる隙間をまったく残してくれなかった。
彼女と一緒に歩きながら、首に腕を回されて、ぼくはこれももういつもの光景だと思った、彼女の好き勝手な振る舞いも、でもそれはぼくたちの友情がもうかなり長くなっているということでもあった。
「恵太くん、佳乃も連れて行こうよ、楽しくなるんじゃない?」
「は?やめて、迷惑かけるだけだし、今朝だって迷惑かけられたんだから」
「今朝何があったの?またひどいお兄ちゃんになってたの?」
「そんなわけが、もしかしたら本当に……」
「それに佳乃とあまり話さないじゃない、一緒に連れて行ったほうがいいよ」
彼女はそう言いながら同じ体勢のままで今度はぼくの頬をつついた、ぼくはただ「そっか」のひと言で返した。今ぼくは本当に不思議に思って、この子は本当に女の子なのかとさえ思った、今見てもぼくたちの間にまったく距離感がなかったから、そしてさっきの彼女の言葉が正しいかもしれないと思い始めていた。
だってぼくはずっと妹とほとんど話していない、あるいは必要なことだけしか話していない、ぼくは彼女のことを家族だということ以外に何も知らなかったし、彼女がずっと何を望んでいるのかも知らなかった、たぶんぼく自身のことか、気ままに絵を描くという趣味のことだけに集中しすぎていたせいだろう。
それが正しいのか間違いなのかもわからない自己中心さ、ぼくが予想できるのはただ、子どもとして自分の時間を自由に楽しんで過ごしたいという欲求だけだった。周りの人との関係を気にせずに。
本当に皮肉なことに、ぼくはその欲求と自己中心さが自分の成長とともに変わっていくことすら知らなかった、そしてこの先に何が来るのかを知らないのは、ほかならぬぼく自身だった。
学校の廊下をひととおり歩き回って妹を教室に迎えに行ってから、ぼくたちは他の子たちと一緒に校門へと向かった、どこへ行くのかと聞いたけど彼女はただ一度首を横に振るだけだった。
たぶん今まで行ったことのない場所だろうと思って、それ以上聞くつもりもなかった。
「恵太、ねえ聞いた?来月お絵かき大会があるらしいよ?」
「……そっか、どこで知ったの?」
「えへん、さっき相談室に偶然寄ってみたら、大会のチラシが置いてあって」
ゆっくりと歩みを緩めながら、鞄を開けて一枚の紙を取り出した、ゆっくりとその手がぼくの胸元に向かってその紙を押し込んだ、ぼくは少し困った顔をしながらゆっくりとそれを見た。
周りの木の葉が風に揺れる中、なぜ彼女が突然ぼくをその大会に参加させようとしているのかわからなかった、自分には何の得もないのに。
それにどうして彼女自身が出ないのか、所詮ただの大会じゃないか、そもそもぼくはほかの人と競い合うことにまったく興味がなかった。
「どう、興味ある?」
「んー、たぶんない」
「ぷっ、なんで、応援するから大丈夫だよ、ふふ」
「そうだよね、かのちゃん」
「うん、お兄ちゃんが出るなら応援する」
「……考えてみる」
「それがわたしの知ってる恵太だ」
彼女がそう言い終えてから小さな笑い声が続いた、ぼくたちはゆっくりと一緒に歩き続けた、その間もぼくはこのチラシをしっかりと握りしめていた。
そこから少し離れたコンビニに寄ってお菓子と飲み物を買った、そこの店員に放課後すぐに帰らない小学生だと思われないようにするためでもあった。
支払いのときに集めたお金が足りなくてちょっとした騒ぎになったけど、しばらくポケットをひっかき回しているうちに、十分大人に見える人が来て足りない分を払ってくれた。
お礼を言ってお辞儀をしてから、ぼくたちはそれぞれの鞄に買ったものを入れて、落ち着いて歩き続けた。
正直なところ距離が長くて文句を言いたかった、ちょうど彼女が前を歩いて止まって、前のほうを指差したとき。
少し高めの茂みの向こうに、あまり人が来ない公園が見えた。ぼくは少し肩の力が抜けた。
それだけじゃなく、ちらりと他に人もいるのが見えた、ぼくたちが近づくと、クラスメートの彼女は急いでそこで待っていた誰かのほうへ駆け寄った。
「おい、斉人、もうずいぶん待ったんじゃない?」
「わかってるなら聞かなくていいだろ」
「ごめんごめん」
近くで見てみると、今朝の男の子だった、でもクラスメートの彼女が彼のことを知っているとは思っていなかった、もしかしてこの子もちょっとわけありな人間なのかな。
自分のクラスメートについて悪く考えすぎていたと思って、その疑いをやめることにした。
「あ、こっちはわたしの友達の恵太、もう一人はその妹の佳乃」
「そっか、よろしく」
ぼくも挨拶を返した、佳乃もにこにこしながらぼくのあとに続いた、それからぼくたちは滑り台のほうに移動してただ座って、さっき寄り道して買ったお菓子を取り出した。
今は夕方の光の下でみんなとおしゃべりしながら、それぞれのお菓子を楽しんでいて、彼らの会話をしばらく聞いていた。
ぼくは気づいた、彼らが最初に出会ったのは、学校でのいくつかのトラブルのせいだったらしくて、その振る舞いがかなり問題だったから相談室で顔を合わせることになったということだった。
「……恵太、話聞く?」
「何の話、おとぎ話なら聞かないよ」
「ちがうちがう、昔ね、小学一年のとき、ある子がお父さんとお母さんと初めて離れて教室に残されたとき、おもらししちゃったんだって」
「それで先生のところに行って、早く帰りたいって泣いたんだって、ははははは」
「……ちょっと待って、誰の話をしてるの?」
「さあ誰かなあ……」
そう言いながら彼女の横顔を見ると、視線がずっとぼくのほうをちらちら盗み見ていてわかった、その子はほかでもない自分のことだ。
冗談まじりに自分の恥ずかしい過去をさらっと話すなんて、ぼくは知らないふりをしながら聞いていた。
「でも斉人、あなたのほうがひどかったじゃない、相談室で鼻血出しながらあの子をぶちのめすってうなってたの見たし、はははははは」
「おい待てよ、なんでそっちに話が飛ぶんだよ、ちっ」
「……それは本当だな、なんで自分のことを話さないんだ、瑞良」
そう言って彼女にそう返した、彼女はくすくす笑いながら顎を手に乗せてぼくを見つめていた、これでほかの恥ずかしい話をされないことを少し願った。
「んー、なんだろ、もうわたしのこと結構話しちゃったけど、恵太くんが聞きたいって言うならしょうがないなあ」
「でもほかの子には内緒だよ、恵太にだけ」
「え何それ、わたしたちも知りたい、そうだよね斉人」
「そうだな、何がそんなに秘密なんだよ」
「なんでもないよ」
そう言っている間に、ゆっくりと彼女の頬がだんだん色づいていくのに気づいた、まるでこれから熟しはじめる番石榴の実みたいに。この子はまた何かおかしなことを言うんじゃないかと頭をよぎった、想像できるのはそのくらいだった。
彼女はゆっくりとぼくとの距離を縮めていって、その息がすぐ耳元に近づいてきて、ぼくは自分の鼓動をうまく抑えられなくなった。
「わたし、大きくなったら恵太くんと結婚したい」
ぼくは思わず口の中の飲み物を吹き出して何度も咳き込んだ、隣にいる小さな女の子の口から出てくる言葉かよ。でもあまりにも簡単に言うものだから、ただの冗談として受け取ることにした。
「誰にも言わないでね、恵太くん」
今はアイスをなめるのに夢中だったけど、頭の中はそれとは別に、家に帰ったときにやってくるお母さんの小言のことでいっぱいだった、それにさっきの彼女の言葉が、うまく消化できない何かをぼくに加えていた。
でも周りを見渡すと笑い声と冗談で溢れていて、本当に不思議な感覚だった、受け入れていないわけじゃなくて、ただうまく説明できない感覚だった。生まれて初めて見る色みたいな、そう簡単に言えばそんな感じだった。
もしこれを誰かに当てはめてラベルをつけるとしたら、瑞良は黄色、佳乃は緑、そして斉人はまだ出会ったばかりだからわからないけどたぶん赤かもしれない。でもそれは外れているかもしれなくて、外れたままの疑問符にしておきたくはなかった。これからも彼らとずっと一緒に育っていけたらいいと思った。
そろそろ空が暗くなり始めていたので、ぼくたちはそれぞれ家に帰ることにした、その女の子が交差点のところで手を振って別れるまで、今この瞬間、黄金色の夕日に照らされたその顔を見ながら。
ぼくはただその手振りに応えることしかできなかった、そのあと妹と一緒に、家であの質素な家でお母さんが何を作ってくれたのかを予想しながら、家までの道を歩き続けた。




