父の微笑
船のモーター音が鳴り止んでも、近くの鴎は頭上をまだくるくる旋回している。静寂の空気に一コマの時間を与えてるようで、まるでここは鴎のために存在する世界のような、そんな不可解ことまで考えてしまう。
じめっとした風が俺の肌を叩く。船は目的地にたどり着き、船内からお坊さんがデッキへと姿を現した。その後ろに桜花の実父と実母が続き、さらには俺の母までが続いて出てくる。俺は桜花の手前へ両手を差し出し、手に抱えている木箱を手放すよう促した。無言のまま『時間だよ』と目で合図を送る。桜花が瞬間黒真珠の瞳を曇らせたのは、きっと俺の見間違えなどではないと思う。だけど拒むことはしなかった。桜花は胸の内にあった木箱を、再び俺の方へ差し出した。
木箱を預かった俺は、そのまま桜花の実父へ手渡した。ふと視線が合う。落ち着いた優しい目をしていて、確かに俺はこの人をテレビの中で観たことがあった。威厳のある力強い表情で、総理大臣をも補佐したことがある人と言われれば納得感しかない。が、今はそれさえ鳴りを潜めている。力強さよりも温かさ、政治家ではなく父親の顔だった。
「泰史君……だったかな?」
「え。……あ、はい」
声は野太く、だがどことなく頼りない感じがする。俺は咄嗟に取り繕った返事をしてしまった。
「いつも桜花がすまないね」
「あ、いえ……」
そう言われてふと視線を外し、桜花の顔を伺った。桜花は相変わらずぷいと不貞腐れた子供のような顔を浮かべていて、俺や実父がいる方とは反対側へ目をやっている。なんだか俺らとは全然視線を合わせたくないようだ。
それを見ていた桜花の父は僅かな微笑を浮かべた。親子としてのわだかまり。そういうのが二人の間にあるのだろうか。そもそも今の桜花は俺ともどこか距離が遠いしな。霜宮とも。そのことに気づいているのか、父はその後何も言わずに再び住職の後ろを歩き始めた。その横顔を俺はただ呆然と見送っていた。
大切な息子を失った、物静かな父親の顔。その微笑はどことなく冷たささえ感じた。
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
浅川春斗: 桜花の双子の実兄。霜宮とも仲が良かった
浅川誠: 桜花の実父。経済に強い元県議会議員
浅川母: 桜花の実母
嵯峨野千鶴: 泰史の母。意外にも土日は絶対仕事しない
読んでくださり、ありがとうございます。
久々の更新となってしまいました。
ここから一気にラストまで駆け抜けます!
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