海上の露
その声は海の湿り気と融合して、俺の胸の内へすとんと落ちていった。
「羨ましいって……?」
やや釈然としなくて、だが愚痴めいたそれもわかるような気がして。
「貴方は忘れられてもいないし、いつもずっと側にいる」
「……あ、うん」
「それだけでも十分じゃないかしら?」
霜宮はわざとらしく小さく笑ってみせた。先程までの苦笑とは違う、本物の微笑み。もちろん霜宮には他に言いたいことも山ほどあるだろう。だけど間違えなくこれで十分すぎて、返す言葉も見当たらなかった。
「私は桜花の力になれるならなんだってしたい。でも今それができるのは貴方だけじゃないかしら」
「さぁ……。それはどうだろうな」
「少なくとも私よりは頼りにされてると思うわ。私なんていないもの扱いされてるわけだし」
「その解釈は極端すぎないか?」
「でもそういうことよ。記憶を消されるって、戦力外通告を受けたようなそんな感じだから」
それは何の戦力だと思わず突っ込みたくなった。だけど突っ込んでも良い話の方向へならないことはわかりきっている。……駄目だ。こんなの、霜宮のただの愚痴じゃん。
「……かたい」
「あん!?」
霜宮の硬い……じゃなかった、温もりがぽかぽか伝ってくる胸の中に埋もれていた桜花が、ようやくぴくりと起き出す。そこからふと漏れた言葉に、霜宮はヤンキーがぶっ放すような絶対零度の声で反発した。おいやめろ。ここは海の上だ。頼むから戦争みたいなことはしないでくれ。
「ずっと同じ姿勢でいたら鼻が潰れちゃった。タイシくん、わたしの顔なんか少しおかしくなってないかな?」
桜花はさらに油を注ぐ。つか桜花だって似たような……いえなんでもないです。
「ああ大丈夫だ。少なくとも今の霜宮の怒った顔に比べたら全然平和だな」
「そう。よかった」
「全然良くないわよ? 貴女甘えるのもそろそろそれくらいにしておきなさい」
「それよりタイシくん。わたしお腹すいちゃったかも。何かお菓子とかない?」
「ない。てゆかそろそろ目的地だろ。頼むから霜宮を無視しないであげてくれるか。怖いから」
「えー、だって霜宮さんちょっと怖いんだもん……」
「今さっき私を怒らせたの間違えなく貴女よね?」
ちなみに『甘えるのはそれくらいにしろ』というのは俺も全くの同意見だった。ここ最近の桜花は俺に甘えるどころかずっと絶妙な距離を保ち続けていた。だからこういう態度はあまりにわざとらしい。いやわざとなのだろうが、だから尚たちが悪いというか、間違えなくずるい。
生暖かい海風が俺の頬を湿らせる。晩春のじめっとしたそれは肌に吸い付いてくるかのようで、少し気持ち悪さも感じさせるほどだ。
その風と共に、小さな小さな囁き声が俺の耳元に届いてしまう。
「ごめんねアケミン。本当にごめんね……」
風向きのせいだろうか。俺だけに届いてしまったその声は、小さく泣いているようにも聞こえてしまった。
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
読んでくださり、ありがとうございます。
海の風っていつも爽やかなものでもないんですよね。
でも好きな人は好きなのでしょうか??
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