青と黒のクルーザーライフ
「ねぇ。桜花……」
桜花の耳元から優しい声が響く。古く機械的なエンジン音と混ざり合って、その声は桜花を隣りにいる霜宮の方へ振り向かせた。前部座席からミラー越しに見える桜花の顔は、生まれたばかりの小さな子供のようで、まるで自分の名前を言われたのかそうでないのか、それすら判断できてないようにも見えた。
「私は、貴女に貴女のままでいてほしいの」
「…………」
そんな彼女に、霜宮は答えを求めなかった。ありのままでいいと。
桜花にとって霜宮とは。霜宮にとって桜花とは。
今はそんなの関係なくて、桜花が思うままでいてほしいって。
霜宮はそう願ったのだと思う。
恐らくではあるけど、桜花は霜宮との過去の記憶を思い出している。
だけどその記憶は本来二人だけの記憶ではなかったのだろう。だから桜花はその木箱の中へ霜宮との思い出に蓋をした。木箱には粉々にされた桜花の実兄、春斗君との過去全てが詰まっている。砕け散った記憶はまるで宝石のように、ただ密かに微かな輝きを保ち続けているのかもしれない。桜花はそれをどうしたいのだろう。
桜花はきっとまだ、答えを持ち合わせていない。
あるいは答えを持っていたとして、その答えごと闇の何処かへ消し去るつもりなのかもしれない。
霜宮は今でもずっと桜花の側にいる。形だけの兄を務める俺などよりも。
桜花の記憶の中で、霜宮がいないことになっているにも関わらずだ。
それでも霜宮は最後まで信じ続けているのだろう。
いつか、自分が知る彼女が帰ってくる日のことを。
改めて考える。俺は、この二人の中で何ができるというのか……。
幾度かのトンネルを抜け、また海沿いの道へと戻り、目の前に現れた交差点を右折すると、小さな商店街のような道へと入ってきた。「もうすぐ着くわよ」と母が声を掛ける。車はさらにもう一度右折すると、やがて小さな駐車場が見えてきて、その車列の中に母は車を停めた。
車から降りると、先程まで車窓から見えていた海が遠く広がっている。黒い海。そう思えてしまったのは、海の手前に油にまみれたクルーザーが何隻も浮かんでいるからだろうか。このような場所を世間一般的にはマリーナと呼ぶらしい。もちろん普段は用などないので初めて来た。……何故だろう。場違いな場所にいる気がするのはきっと気のせいじゃないよな。
「確か、あっちの方だったはずよ」
と母が指さすや否や、桜花が『そっちじゃない!』と声に出すわけでもなく、やや不貞腐れた顔しながら母が指さした方角とは逆方向へ歩き出す。すると母は黙ってそれに従い、霜宮と俺も互いに顔を合わせ、結局そちらへ従わざるを得なくなった。
ええっと桜花さん? 貴女ここに来た記憶なんて一ミリもないはずよね!?
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
嵯峨野千鶴: 泰史の母。お仕事忙しい
読んでくださり、ありがとうございます。
マリーナでのクルーザーライフ。私は興味ないかな〜(汗)
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