見送り
夕食後、予想通り一時間も経たずうちに母はやってきた。
桜花から木箱を受け取ると、母は桜花の頭を優しく撫でた。桜花はその木箱が何であるのか、もう理解しているのだと思う。撫でられた手をそのまま受け入れ、黙ったまま母の瞳をじっと見つめていた。大切なものを取り上げられて恨んでいる風でもなく、その目は今にも湧き出してきそうな何かをじっと堪え、ただ耐えるために母を睨んでいるようにも見えた。
母は業者に頼み、木箱の中身を海に還す準備を行うのだという。再びこの木箱が手元に戻ってくるのは一週間後。つまり、実際に最後の別れとなるのは、五月の連休中ということらしい。俺と母は一応スケジュールの確認を行ったが、特段俺と桜花に他の特別な用事があるわけでもない。それならと、予定を調整後に追って連絡してくれることになった。
木箱を手放した後、桜花はしばらく霜宮のデニムの裾をじっと離さないでいた。気のせいだろうか、特に俺から隠れるようにして霜宮の背後で丸くなってるように思えた。ただ唯一この場で桜花が気を許せる相手として霜宮を選んだのだとしたら、それはごく自然のことだったのかもしれない。
母は霜宮を家まで送ることになり、やがて帰路につく。母がアイコンタクトをすると、ようやく桜花は霜宮から離れた。母と霜宮と木箱を玄関で見送り、桜花はぺたんとその場で崩れ落ちた。内股座りで、ドアが閉まるのを見届ける。ただぼおっと、しばらく放心状態にあったようだ。
だけど桜花は最後まで、絶対に涙を見せることはなかった。
「桜花……?」
ここまでの顛末を、俺はただ見届けるしかなかったのだが。
「……これで、満足ですか?」
「?」
弱々しい、どこか恨みのような声音だけが、俺に伝わってくる。
「わたしから……を取り上げて、タイシくんはこれで満足ですか?」
途中、大切な言葉を端折っていた。もしかしたら声として出ていなかっただけかもしれない。それを裏付けるかのごとく、桜花は俺の方へ首を向け、今度は憎々しい顔をぶつけてきた。
「…………」
満足なわけがない。だけどそれを口にするのはやはり憚られた。
だが桜花はそれを予想していたかのごとく、冷笑を俺に向けてくる。
「やっぱり、いつもそうやって逃げるんですね」
「っ……」
やはり言葉は出てこない。まるで反論の余地のない俺に、桜花は追い打ちをかけてくる。
「タイシくんはわたしを、いつもバカにしてる……」
「は!?」
ちょっと待て。さすがにそれは要領を得ていない。桜花に兄らしい態度を見せられない俺は確かにそうで、でもだからといってその結論に至るのは不可解だ。
「タイシくんはいつだってわたしを小さな女の子としか見てないんですよね……?」
疑問だけが沸々と湧いてくる。でも一番おかしいのは、桜花ならその疑問に自分で気づくことができるはずだ。これは確かに俺の知ってる桜花ではない。でも霜宮だって……いや、霜宮ならこんな桜花のことも知ってるのかもしれない。だけど霜宮は既に母の車で帰ってしまった後だ。
とどめとばかり、桜花はついにこう言い捨ててきたんだ。
「だからわたしは、タイシくんのことが大嫌いです」
逆告白。釘で打ち付けてくるような甲高い声は、俺もよく知る桜の香りのような甘さがあった。
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
嵯峨野千鶴: 泰史の母親。お仕事忙しい
読んでくださり、ありがとうございます。
五月の連休……はぁ、休みがほしい〜(?)
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