桜の花はいつの日か散って
桜花の叫びは、休日午後の喫茶店の喧騒へ一瞬にして霧散する。
だが力感のある強い反発は、俺の中でまだずっと響いていた。
こうなることは容易に想像できたはずだ。桜花はあの木箱をいつも大事に抱えていて、俺にも一切触らせようともしなかった。そもそも桜花が自分の両親にも黙って持ち出した代物だ。母の話によると気がつくと無くなっていて、どこにあるのかわからない状態だったらしい。俺に電話で問い合わせが来たくらいだ。
だったらもう少し何か別の方法で、桜花へ伝えるべきだったのではないだろうか。
あるいは……。
俺は桜花から視線を切り、霜宮の顔をちらりと伺う。が、それも正解ではなかったらしい。霜宮は『だから言ったじゃない。私は知らないわよ』と言わんばかりに、黙々とお茶を啜っている。俺と視線が合うこともない。でもそれもやはりおかしい。貴女、俺に何も言ってないじゃない?
視線を桜花に戻す。桜花はまだ俺を睨み続けてる。
漆黒の瞳で、よそ見しないでと俺に訴えかけているよう。
……で、だからどうしろと?
「なぁ……。桜花……?」
俺は改めてゆっくり呼びかける。逃げ道を塞がれた俺は、やはり伝えるしか手段がない。
伝える。このままじゃダメなんだってこと。前を向かなきゃってことを。
だってそうだろ。桜花があの木箱を手放せない理由は、後ろ向きになってるからだ。
桜花は後ろ向きな気持ちに縛り付けられて、いつまでも木箱を自分の手元に置いている。
自分ともう一人の自分。俺には双子の兄弟なんていないから、よくわからないけど。
でも全ての時間を共有してきた人がここからいなくなったら、どっちが前なのかもわからなくなるのかもしれない。前へ歩いてるつもりで、後ろ方向へ向かっている。時間軸がわからなくなると四次元の空間の中に閉じ込められ、無限に彷徨い続けることになるのかもしれない。
なぁ桜花。もしかしてあの時、春斗君と何かあったのか……?
「桜花。木箱はやっぱり……」
漠然とした確証があった。だがその確証が変えてしまったのであろう俺の顔を、桜花は見逃さなかったように見えた。漆黒色をしていた瞳は、微かな明るさを取り戻している。
「はぁ……。こんなこと言ったら千鶴さんも困っちゃいますよね」
え、千鶴? 突然会話の中に現れた俺の母の名前に拍子抜けする。なぜここで俺の母親の名前が出てきたのだろう。確かに木箱の話を持ち出したのは俺の母だ。だけど文脈としてやや不自然とも思えた。
絶賛困っていたはずは俺なのに、どこか諦観に似た桜花の声はいつもより半オクターブほど下がってたように思え、俺の気持ちなど完全に置き去りしてくれたんだ。
「わかりました。あの木箱を千鶴さんに渡せばいいのですね」
やはり桜花の声はいつもより半オクターブ、いや、一オクターブほど低い。
「あ、ああ。そしたら今晩にでも取りに来るよう俺から伝えておく」
「よろしくお願いします」
口調こそいつもの桜花だ。丁寧語でどこかよそよそしく、育ちの良いお嬢様と言われてしまうとその通りかもしれない。事実、桜花の実の両親の教育の賜物が、不登校にして入試で学年トップという歪な実話を生み出してしまってるわけなのだから。
だけどその声にはもう、桜の花弁は舞っていなかったのだ。
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
嵯峨野千鶴: 泰史の母親。お仕事忙しい
浅川春斗: 桜花の実兄。
読んでくださり、ありがとうございます。
同級生が丁寧語……。確かにちょっとよそよそしい?
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