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第一話 いつもの朝

 初冬のひんやりとした空気が鼻を通る。道場の窓に張り付いた朝露が日の光に照らされきらきらと輝いていた。

 そんな中で両者は帯刀し三歩進む。開始線で竹刀を抜きこみ、爪先立ちで膝を九十度ほど開き臀部に踵を乗せる。剣道の蹲踞(そんきょ)の姿勢である。

 両者は無言でにらみ合い開始の合図を待つ。早朝のツンとした空気がさらに張り詰めた。


「始め!!」


 瞬間、相手の身体が圧縮されたバネのように弾けた。初太刀。開始の合図と同時にすべてを懸けた必殺の飛び込み面が襲い掛かってくる。

 竹刀が空気を切り裂く音が耳元に迫る。常人であれば、思わず防御に回るか、後退を余儀なくされる絶体絶命の間合いだった。


 だが彼女、吾妻凛(あづまりん)の視界の中では、時間がひどくゆっくりと流れていた。焦りは微塵もない。

 迫りくる相手の竹刀の軌道を正確に見極めると、体は思考を追い越して滑らかに動いた。刃先を紙一重で躱し、相手の死角となる懐へと深く入り込む。

 左下から右下へ──すくい上げるように放たれた


──パン!!


 乾いた、しかし重厚な音が道場中に響き渡る。逆胴だ。

 寸分の狂いもない完璧なタイミングで行われたそれは相手を完全に置き去りにしていた。





「いやほんとにあれどうなってんの?!まじで凛強すぎ~」


 防具を脱ぎながらうなだれているのは、ここ私立御影学園の剣道部主将の佐山奈々実(さやまななみ)。サバサバとした明るい性格で部内でトップクラスの実力を持つ女生徒である。彼女の発言に対して 私は少々ドヤ顔をしながら口を開いた。


「踏み込みが大きいから見え見えだったね。まぁ、ナナも前よりは腕上がったんじゃね?」

「出た!生意気発言!他相手ならあのまま通じるのに……動体視力どうなってんのよ~……」


 そういいながらやけ酒をするかのようにスポーツ飲料水を煽るナナ。ボトルを垂直にしすぎて水上置換法のようになってしまっている。案の定咳き込んでいるし。 

 この飲み物はご厚意で部に提供されている品の一つで何とも言えないが癖になる不思議な味をしている。私もお気に入りの飲み物だ。


「もう主将やめたくなってきたわ~こんなマジメそうなポジ、あたしの柄じゃないし~」

「ナナは人望あるし一族の長としては妥当でしょ」

「一族て……でも実際凛のほうが強いし、やっぱあんたがやった方がよかったんじゃないの」

「余計な仕事増えるからヤダ。進学に向けてもうちょっと稼ぎたいし」

「あ~あんたの家フクザツだもんね」


 今は伯父と伯母の家に住んでいるが高校を卒業したら出てけと言われているので、一人暮らしに向けて費用を稼がなければならない。もともと金目当てに私を引き取った人達だ。ろくに面倒を見てもらった覚えもないので、むしろやっと出ていけると清々している。


「ま、あたしにできることは少ないけどなんかあったら相談しなよ。試合でストレス発散したりあんたの好物奢って愚痴聞くくらいはしてあげるしさ」

「言ったな?では早速最近発売された『インド人もびっくり☆超激辛地獄の肉まん』をお願いします。九割はナナが食べていいよ。私は表面だけ食べるから」

「辛すぎて救急搬送された人がいるで有名なアレ?!あと最早あたしに食わせたいだけでしょ!!さらっと自分は皮だけだし!」

「バレたか。ナナのリアクション芸見たかったのに」


 そんな他愛もない話をしながら竹刀と防具を片付ける。片付けが一通り終わると部員たちは着替えのためにぞろぞろと移動を始め、私たち二人もそれに続いてシャワー室へと入った。

 毎回思うがこの学校、かなり設備が整っている。先ほどのスポーツ飲料水といった飲食物の差し入れは毎週のように来るし、部員全員が使うのに困らないシャワー室の数や常に補充されるアメニティ類など至れり尽くせりだ。これが各部活のデフォルトなんだから御影学園の資金力には驚かされる。

 まぁ、全国大会や世界大会レベルの人材を集めまくるにはそのくらいの寛大さは必要なんだろうけど。実際私も学費免除目当てで入学を決めたし。

 あのクソ夫婦、高校の学費も出さない勢いだったから本当に危なかった。私が中学の剣道大会で実績を作れていなかったら今頃はもっと大変な目にあっていたと思う。


 しみじみと思い出を振り返りながらシャワーを終える。制服を着て髪を適当に乾かした後、いつものように軽く三つ編みにしおさげにする。その様子をなぜかナナはまじまじと見つめてから口を開いた。


「たまには他の髪型にしてみればいいのに。あんた顔は良いんだからもったいない」

「顔"は"ってなに。性格だって聖人君子なんだけど」

「聖人君子は告白してきた相手を竹刀でぶっ飛ばしたりしません」

「あれはしょうがないだろ」


 去年入学したばかりのころに突然告白をしてきた謎の先輩がいたが、もちろん面識なんてないから普通に断った。

 しかしこの先輩は感動するくらい諦めが悪く、靴箱に変なプレゼントを入れるわ行く先々に待ち伏せして立っているわで毎日毎日少しずつ私のストレスを溜めていった。

 そしてある時、校門の前で急に手を握られ「やっぱり諦められない。良いと言うまで離さない!」とかほざいていたところで限界に達し、『面・小手・胴・突き』の全てをお見舞いしてやった。

 それでついた私のあだ名は『スケバン』。どう考えても私に非はないと思う。

 ナナも当時の状況を思い出しているのか、過呼吸になる勢いで爆笑している。


「いやほんとにやばかったよあの時!突きで相手百メートルは飛んだんじゃないの!?アッハッハッハ!!」

「弱すぎて準備体操にもならなかったね」

「きゃー!!さすが凛様!一生ついていきますぅ!!」

「今ファンクラブに入会すると、一杯五万円の凛様お手製ドリンクを買う権利が与えられます」

「たっか!リ〇ァの水でもそんなしねえよ!!」


──キーンコーンカーンコーン。


「「あ」」


 ふざけていたら予鈴が鳴ってしまった。流石に遅刻して反省文書かせられるのは御免被りたい。私たちは急いで荷物をまとめ、廊下へと飛び出した。















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