第35話 フォーーーッチュン!
「ぜえ、ぜえ……逃げ足が早いわね……」
走り抜けた先には、小さな川が流れている。敵は板でできた簡易な橋を渡ったようだけど、すでに対岸へと引き上げられていた。
「くっ、どうしよう……」
川幅は決して広くはないけれど、わりと深そう。渡るかどうかと悩み、私たちが足踏みをしていると――。
「ハート?」
向こう岸でヤツが、手でハートの形を作ってウインクをしてる。あら、可愛い……って、なんでやねん。
「何か狙ってる!? 伏せろ!」
「遅いわ! フォーーーッチュン!」
「!?」
ヤンの警告と同時、急に私の意識が遠のいた。……次に視界が開けた時、私は天から自分自身を見下ろしていた。なんだこれ? 幽体離脱?
いや、違う……私の体が勝手に動いてる。ということは、まさか……
「なになに、何が起こったの?」
「……君アイサじゃないね?」
私の体からスッと飛び退き、距離を取るヤン。
「え? どうしてそんなこと言うの?」
「表情筋の使い方が全然違うんだよ。君の魔剣、人の体を乗っ取ることができるんだね」
「……ふうん、大した観察力ね」
「あとさ、技名を叫んだらダメだよ……警戒されるに決まってる」
「技じゃなくて、魔剣名よ」
私の顔で、オホホと下卑た笑い声を上げる。やめてよ、そんなの私じゃ……いや、悪役令嬢を謳歌し、使用人たちに意地悪していた頃の私はあんな感じだったかもしれない。
「あらためまして、私はマデス。短い付き合いだけど、よろしくね」
「僕はヤン。君のことは、きっと忘れられないよ」
刹那、体を乗っ取ったマデスがヤンに斬りかかる。中身が違うとはいえその動きは鋭い。ヴィアダル同様に、戦場を駆け抜けてきたのかもしれない。
が、ヤンにはあっさりと躱されてしまった。今までのおとなしい雰囲気が嘘みたいに、強い。
「ふふっ、やっぱり敵わないわ。大したものよ」
額から伝い落ちる汗を拭うマデス。追い詰められている……のよね? 余裕すら感じる、不敵な笑みを浮かべている。
「ま、ここからが本番だけど」
手にしていた私の麻剣を逆手に持ち替えて……ちょっと、冗談でしょ!?
「あぐっ!」
次の瞬間、マデスは容赦なく私の腹部を突き刺した。
「っ!? まさか……敵わないと分かって道連れに!?」
慌てて駆け寄るヤン。ダメ、それは罠! 私は生きてる! 意識体のまま、声にならない声で叫んだ。自身を貫いても、麻酔で痛みを和らげることができたんだ。でも、昏睡できないように調整できたっけ?
……とにかく、私の能力を完全に逆手に取られたわ。悔しいけれど、「オカマは即興で生きていく」という先ほどの言葉に、嫌というほど説得力を感じてしまう。




