削ぎ落とす精度
時計の針が、進む。11時半を回った。会場の空気は、変わっていた。最初の静けさは、もうない。代わりにあるのは――焦りと、加工の音。雄介は、戻った分の遅れを抱えたまま、刻みに入っていた。動きは速い。
だが――雑ではない。
――急げ。でも、慌てるな
自分に言い聞かせる。鑿を入れる。手を止める。確認する。ほんの一瞬の“止め”。それを入れることで、崩れない。周りは、速い。すでに組み始めている者もいる。
――焦るな
音に引っ張られそうになる。でも‥
――自分の線でいけ
和也の言葉が、頭に残っている。観覧席。
「……間に合うかな」
望が、ぽつりと言った。和也は、すぐには答えない。視線は、雄介の手元にある。
「……ギリだね」
「うん。でも――」
琴葉が続ける。
「崩れないやり方になってるよ」
その一言で、少しだけ空気が変わった。あいりは、すでに加工の終盤に入っていた。動きは一定。速くもない。遅くもない。ただ…正確。部材を合わせる。確認。ほんのわずか。
――すいた(隙間ができた)
わずかなズレ。でも、焦らない。鑿を入れる。削る。合わせる。ぴたり、と収まる。誰にも気づかれない。でも…
――大丈夫
自分には分かる。雄介は、刻みを終え、組みに入った。ここからが、本番。柱。梁。桁。一つ一つ、組み上げていく。
――最初の基準
戻った意味を、ここで活かす。梁を立てる。差金を当てる。
――直角
確認。
――よし
次。柱を入れる。少しだけ、固い。
――来た
手が止まる。叩けば入る。でも…
――それはダメだ。無理に入れれば、歪む。
ほんの一瞬。
――戻るか、押すか、時間は、ない。それでも削る。
決める。ほぞ穴とほぞに鑿を入れる。ほんの一削り。合わせる。今度は…深さの半分まですっと入った。そこから叩いて入れてく。
「……よし」
小さく、呟く。
観覧席。和也が、ほんのわずかに頷いた。
「今の、いい判断だな」
琴葉も、息を吐く。
「うん……押さなかった」
それが、すべてだった。標準時間終了まで、時間は残りわずか。会場の空気が、さらに変わる。完成して手を挙げる者組み上げ作業を行う者。組めずに手直し作業する者。まだ加工している者。差が、はっきりと出始める。雄介は、最後の部材、振れ垂木と筋違いに手をかけた。
――あと少し
でも…手が、重い。緊張感、疲労、集中力。全部が、限界に近い。
――ここで雑にやったらこれまでが無駄になる
息を整える。垂木と筋違を組み併せて、釘でとめる。ここでは釘は打掛にする。最後の一手。差金で天端がそろっているのを確認する。
――いける
柱と桁に合わせる。柱と梁、梁と桁の直角が狂わないように注意しながら釘で固定していく。芯墨が通り、ぴたりと収まった。時間を確認する。標準時間終了まで、残り2分。
「「やば……」」
誰かの声。あいりは、最後の確認をして、濡れたタオルで汚れを拭いていた。
――焦るな。まずは確認や。
一呼吸おいて、作品を一通り眺める。その後時間を見ながら汚れをふき取る。標準時間終了の合図が、近づく。雄介は、全体を見た。完璧ではなかった。でも…
――やり切った
その感覚が、あった。提出のため手を挙げる。あいりとほぼ同時だった。
「標準時間終了です。ここから延長に入ります」
検定員が声をあげた。完成した作品に検定員が黒のマジックで時間を書き込む。背中に付けたゼッケンも提出するため、あいりとお互いに安全ピンをはずしあう。補佐員を務めた坂崎が2人の作品と現寸図、ゼッケンを回収していった。
「終わったわ…」
「終わったね」
雄介は、その場に座り込んだ。あいりは作業エリアの片づけをしていた。延長15分が経ち終了の合図。音が、止まる。2名が未完成だった。アカデミーの学生は何とか全員提出出来ていた。1年生の2人は標準時間で完成させていた。
静寂。さっきまでの音が、嘘みたいに消える。雄介は、その場に座り込んだままだった。天井を見上げている。あいりは、作業エリア内の片づけをほぼほぼ終わらせていた。
観覧席。琴葉の手が、ほどける。和也は、何も言わない。ただ、見ている。
結果は、まだ分からない。でも…確かなものが、残っていた。崩れても、戻る。迷っても、選ぶ。その積み重ねが、形になった。刃が入った時間。刻んだ数。そのすべてが…今、この瞬間に集まっている。勝敗は、あとで決まる。でも…
この一日は、もう戻らない。そして、人は知る。
極限の中で残るものが、
本当に、自分の技術なのだと思い知らされる。
第119話目の投稿になりました。ここまでお読みくださりありがとうございます。
雄介達の技能五輪が終了しました。時間内に課題を組み上げることができました。練習のたまものです。
和也も琴葉も、この日ばかりはただ見守ることしかできません。教えた相手の本番。2人は指導者の気持ちを分かったことでしょう。
次回は 検定後のエピソードです。お楽しみいただければ幸いです。




