第118話 本番の静寂
2月。技能五輪県大会、本番当日。会場の空気は、異様なほど静かだった。広い競技場。いつも通りの慣れ親しんだ建築実習場のはずなのに、雰囲気は全く異なる緊張感。
その理由は…見慣れない「他の選手たち」。和也、琴葉、望の3名を除く2年17人、1年2人の学生19人に加え、外部からの若い大工が5名。この場には、様々な現場で鍛えられてきた手が集まっていた。望は明日、別会場で二級技能検定として受験することになっている。技能五輪の受験資格は23歳以下の為だった。
誰もが、自分の道具を確認している。誰も、無駄に動かない。音がない。あるのは、わずかな金属音と、呼吸だけ。
雄介は、自分の作業エリア内に膝立ちで作業開始を待っていた。エリア内にはシナベニアの上に現寸図用の模造紙がテープで固定してある。
指先が切ってある手袋をはめる。外す。もう一度、はめる。落ち着かない。心臓の音が、やけに大きい。
――やばいわ
頭の中で、昨日のイメージをなぞる。手順。順番。最初の一手。
――最初の基準がズレたら、全部ズレる
和也の声が、浮かぶ。
深呼吸。一回。二回。
「大丈夫?」
横から、小さな声。あいりだった。
「……なんとかなやな。情けないことに手の震えがとまらん。こない緊張するもんなんか。和也と琴葉は、ずっとこない中で戦ってきてたんや。改めて感心したわ」
雄介がしみじみと言った。でも、目は合わない。
「怖いよね」
あいりは、雄介を見たまま言った。雄介は、一瞬だけ笑った。
「……ほんま凄いこっちゃ」
「ほんとそう…」
それだけ。それ以上は言わない。
少し離れた観覧エリア。和也と琴葉、望が並んで見ていた。
「……静かだな。いいな、僕も一緒にもう一度受けたいよ」
和也が、ぽつりと言う。
「うん。開始前の五輪の雰囲気だね。僕は好きだよこの緊張感。でも自分が受験してきた時よりなんかドキドキするね」
「二人ともさすがだよ。僕は外から見ているだけなのに緊張しているよ」
琴葉は頷きながら答える。望は本当に緊張しているようだった。3人とも視線は、競技場の中。
もう、声は届かない。もう、手も出せない。ただ、見るしかない。
――ここからは、本人次第
和也は、目を細めた。
――大丈夫
琴葉は、心の中で呟く。でも…手は、無意識に握られていた。
開始の合図。
一斉に、動き出す。静かな音が、戻る。鉛筆の走る音。直定規と指金のあたる音。空気が、一気に“現場”に変わる。25分が過ぎた頃から現寸図提出の為、手があがる。次第に木削りの作業音が響き始める。雄介は、材料に手を置いた。冷たい。最初、差金を当てて寸法を取ると、毛引きの幅を調整して木削り線をけがく。
手が――わずかに震える。
――わい、落ち着け
自分に言い聞かせる。一度、作業する手を止める。
“深呼吸”
それから材料を削っていく。40分ほどで材料が削り終わり、墨付けに入る
――思い出せ。これまでの練習を思いだせや。
墨付け前に再び自分に言い聞かせた。最初の柱、梁、桁…..ゆっくり。確実に。最初の墨を引く。あいりは、もう動いていた。無駄がない。静かに、正確に。時間が流れる。誰も喋らない。ただ、作業の音だけ。雄介の手が、少しずつ安定してくる。
――いけるわ
そう思った、そのとき。わずかな違和感。
――あれ?
手が、止まる。差金を当て直す。角度。位置。
ほんの――わずかに、ズレている。
――やってもうた
心臓が、跳ねる。
――いや、違う
もう一度確認する。やはりずれている。
――ここでか?
頭が、真っ白になる。時間は、止まらない。周りは、進んでいる。音が、焦りを煽る。
――どうする自分
選択。このままずれたまま進むか。戻ってやり直すか。時計を見ると11時10分を過ぎていた。標準時間終了は12時30分。延長時間も15分しかない。一瞬…
――崩れてるのは、技術じゃない
琴葉の声が、浮かぶ。
――心だよ
息を吐く。
――戻る
決心した。雄介は、一瞬だけ手を止めた。
周りの音が、やけに遠く感じる。
それでも…
鉋を手に取った。雄介は、一瞬だけ手を止めた。周りの音が、やけに遠く感じる。そして…振れ垂木と2本に鉋をかけて墨を落とす。
周りより、遅れる。分かっている。すでにあいりは加工に入っていた。
でも…
――これでいい
手を動かす。今度は、迷わない。
観覧席。
「雄介、戻ったな」
和也が言う。
「うん、この時間ならいい選択だよ」
琴葉が、頷く。それ以上は、言わない。あいりは、順調だった。だけど…ほんの一瞬、手が止まる。
――加工がズレた
自分で気づく。目を閉じる。一瞬だけ。
――大丈夫
目を開ける。鑿を入れる。修正する。鑿をあてる角度をほんのわずかに変える。それだけで、狂いが消えた。誰にも気づかれないほど、静かに。
時間が進む。音が、続く。誰も助けてくれない。誰にも頼れない。でも…これまでの練習のすべてが、そこにある。
削る音。刻む音。その一つ一つに、積み重ねた時間が乗る。
本番は、静かだ。でも、その中で…確かに、戦っている。
自分と。恐怖と。精度と。
刃が入る。木が応える。
そして…人は、選び続ける。進むか。戻るか。
その一手が、結果を分ける。本番は、まだ終わらない。
その一手が、すべてを決める。
第118話目の投稿になりました。ここまでお読みくださりありがとうございます。
技能五輪県予選当日です。雄介とあいりたちの戦いが始まりました。墨付けを間違えてやり直す雄介と、加工のミスを手直しで修正するあいり。
次回は この続きになります。雄介は時間内に完成するでしょうか。お楽しみいただければ幸いです。




