崩れる手、残る芯
2月初旬、技能五輪、本番三日前。実習場の空気は、張り詰めていた。張り詰めすぎて、どこか静かだった。刃物の音だけが、淡々と響く。誰も、無駄な言葉を発しない。
「……だめや…」
雄介の声が、ぽつりと落ちた。手が止まっている。組み上げた部材。筋交いの墨が垂木の墨とどうしても合わない。ほんの数ミリ。でも――致命的だった。
「……またか…」
力なく笑う。ばらす手が、少し荒い。
「なんでや……ここまで来て」
誰も、すぐには声をかけない。
「一回、置こう」
和也が言った。短く。感情を乗せない。
「置いて、もう一回最初から」
「……もう時間ねえって」
返す声に、力がない。
「このままじゃ通らない」
事実だけを言う。それが、余計に刺さる。雄介は、動かない。差金を握ったまま。じっと、自分の課題を見ている。でも――見えていない。
「……雄介」
琴葉が、声をかける。ゆっくりと近づく。
「一回、深呼吸しよ」
それだけ。技術の話はしない。
「……無理だって」
小さく、吐き出す。
「もう、頭真っ白だわ」
差金を置く。視線が落ちる。
「本番でこれ出たら終わりやん」
その言葉で、空気が重くなる。誰もが思っていること。でも、口にしなかったこと。
あいりの手も、止まっていた。いつも通り、静かにやっていたはずなのに。墨を引く手が、わずかに震えている。
「……一回、貸して」
和也が言った。雄介の部材を手に取る。じっと見る。触る。指でなぞる。
「……ここだな」
小さく呟く。
「最初の削りで断面狂ってる。柱の矩もズレてる」
指金をあてて墨を出し、垂木の胴付きに鑿を入れる。ほんの一手。そして柱の垂直を確認し直し、修正する。
それだけで――ぴたり、と収まった。
「……は?」
雄介が、顔を上げる。
「今の……なんでや…」
「最初の柱の直角がズレたら、全部ズレるんだよ」
和也は淡々と言う。
「だから、最初の柱、梁、桁の組立に戻るしかない」
雄介は、何も言えない。ただ、見ている。
「……出来る気せんわ…」
ぽつり。本音だった。
その瞬間、
「……出来るよ」
琴葉が静かに言った。強くはない。でも、揺れない声。
「出来るように、ここまでやってきたでしょ」
雄介を見る。
「崩れてるのは、技術じゃない」
一歩、近づく。
「…心だよ」
その言葉に、空気が止まる。
雄介が、目を閉じる。少しだけ、息を吐く。
「……分かってる」
小さく返す。
「でも、怖えんだよ」
少しだけ、笑った。
「ここで外したら、全部終わる気がして」
初めて出た言葉だった。琴葉は、何も言わなかった。ただ、頷く。
「……怖いのは、みんな同じだよ」
あいりが、ぽつりと言った。顔は上げない。でも、手はもう動いている。
「私も、ずっと怖い」
墨を引く。ゆっくり。正確に。
「でも……やるしかないから」
その一言で、空気が変わった。雄介が、材料を取り直す。差金を当てる。
今度は、ゆっくり。
「……最初から、やるわ」
和也が、少しだけ頷く。
「それでいい」
それ以上は言わない。琴葉は、一歩引く。手を出さない。
――今は、支えるだけでいい
削る音が、戻る。少しだけ、遅い。
でも――確実だった。
和也は、少し離れた位置で全体を見る。琴葉は、横で様子を見る。
前に出る者。横で支える者。二つの線は、もうぶつからない。重なっている。
夕方。外は、もう暗い。
「……出来た」
雄介が、静かに言った。部材が、収まっている。ぴたりと。
完璧ではない。でも――今の自分で、出せる精度。
「……よし」
小さく笑う。あいりも、手を止める。自分の加工を、確認する。
そして――何も言わず、もう一度手を入れた。
まだ、終わっていない。
本番まで、あと三日。
崩れることは、悪いことじゃない。崩れたとき、何が残るか。
その芯が、本番を支える。
刃が入る。木が応える。
そして…
人は、自分の弱さと向き合いながら、
それでも、前に進む。その一打に、すべてを乗せるように。
第117話目の投稿になりました。ここまでお読みくださりありがとうございます。
検定の練習、大体の形が組めるようになった最後にぶつかる問題は、芯墨が合わないことと、胴付き部分がすいてしまう事、そして制限時間内に完成出来ないことの3点が多いです。木削りの精度と墨付けの精度を見直して、直角を意識して確認しながら組立をして、後は木削り・墨付け・加工の反復練習することで、作品の精度は上がり、時間も短縮するのですが、検定直前だと焦ってしまい一度立ち止まって見直すことが出来ない学生が多いのが現実です。 和也と琴葉は経験上そのことをよく分かっていたのですね。
次回は雄介達の技能五輪県予選本番です。お楽しみいただければ幸いです。




