広がる世界
朝7時半。中型バスが、アカデミーの校門を静かに出た。2年生20名。引率は坂崎と佐倉。車内は、最初だけ少し賑やかで、すぐに静かになった。
まだ眠そうな顔。窓の外を流れる景色。和也は、席に座ったまま外を見ていた。
琴葉は、その隣で小さくあくびをする。
「……早いな」
「うん。でも、なんか楽しみ」
五輪が終わって一ヶ月。少しだけ軽くなった空気の中で、バスは東へ向かっていった。
午前11時。高速のサービスエリア。昼食は各自で。ラーメン、カレー、うどん。それぞれが好きなものを選ぶ。
「昼からカツカレーいっちゃうの?」
「勝つためや」
「もう終わってるのに?」
「なんでや~」
雄介とあいりのやり取りに、自然と笑いが起きる。いつもの空気だった。
午後。江戸東京たてもの園。広い敷地に、古い建物が点在している。
本来は自由見学。の、はずなのだけど‥‥
「せっかくだからね。ちょっと案内するか。聞きたいやつ、ついてきて」
坂崎が、歩き出した。それに続いたのは、和也、琴葉、望、雄介、ほのか、あいり。残りの学生は、思い思いに散っていく。ある建物の前で、坂崎が立ち止まる。
「ここは前川國男邸。柱と梁の使い方、見てごらん」
和也と琴葉が、同時に覗き込む。
「……シンメトリーだけど、中央の柱単体で持たせてる‥この柱の使い方が構造の鍵になってる…デザインの特徴にもなってるし」
琴葉が驚きながら言った。
「前川はコルビジェと関わりが深いからね。RC得意なんだけど、木造でも独特なデザインだね。それまでの軸組工法とは異なる。新旧の融合だね。この感性が素晴らしい」
琴葉の目が、少しだけ鋭くなる。望も、静かに頷いた。そのまま坂崎の解説は続いた。西ゾーン、センターゾーンと見学しながら、東ゾーン。
「うわ、これ……!」
どこからか、声が上がる。子宝湯。
木造の大きな浴場建築。どこか見覚えのある空間。
「これ、先生の言っていたアニメのやつだ」
「千と千尋の……」
一気に人が集まる。さっきまで淡々としていた学生たちも、足を止めて中に入る。
「ここは、みんな来るんだな」
「そりゃ、先生が事前に見どころ話してたからね」
和也と望がその様子を見ながら話していた。
だけど‥‥
「へぇ~、すごいね~」
そんな事を言いながら、あっさり見て建物から出ていった。遠くで、別の学生の声がする。温度が、少し違う。その中で坂崎が苦笑した。
「まあ、昔の銭湯だからね。ここのガラス戸の部分が例のシーンのモデルなんだよね。でも見て欲しいのはこの木製サッシのおさまりと、ガラスその物なんだよね。昔のガラスって今と製法が違うから味があるでしょ」
和也は、言われたその空間を見上げた。たてもの園で見学し始めた時から感じていた違和感。
――同じ建物見ていても、やっぱり違う。
見ているものが、少し違っていた。
夜。横浜ランドマークタワー。
「うわ、高っ……」
見上げるだけで、首が疲れる。
「エレベーター乗るで‥」
スカイガーデン行のエレベーターに乗り込む。ドアが閉まる。静かだ。
次の瞬間、
「……え?」
体が、浮くような感覚。
「速っ!」
「耳おかしくなる!」
アテンダントの女性が説明する。
「69階まで約40秒で到着します」
「40秒、日本で最速、すっご。雄介じゃ40秒で現寸の線1本も描けないのに」
「なんでや~!」
雄介の声に、笑いが起きる。
扉が開く。69階スカイガーデン。夜景が、一面に広がっていた。
「……すげぇ」
「綺麗‥」
誰かが呟く。言葉が、それ以上続かない。和也は、ガラス越しに夜景を見る。
建物。光。街。
――広いな
建築は、こんなにも広がっている。
2日目。
大成建設 技術センター。横浜の住宅街にある整然とした敷地。静かな空気。
「ここはな、最先端の建設の技術開発をやってる場所だよ」
坂崎の声が、少しだけ低くなる。
BIMのバーチャル体験。ヘッドセットを装着する。
「うわ……」
建物の中に“入る”。まだ建っていない建物の中に。
「これ……設計?」
「施工もやな。全部つながってる」
ZEB棟。温度。光。空気。すべてが制御されている。
「これでエネルギー収支ゼロか……」
和也が呟く。
「俺が学生の頃な――」
坂崎が、少し笑う。
「ここで高強度コンクリートの大会があってね。全国3位だった」
「え、マジですか?」
「昔の話だね。あの頃から建物もだいぶ変わったね」
懐かしそうに、建物を見上げた。
午後。東京カテドラル聖マリア大聖堂。中に入る。
光。静けさ。コンクリートの曲面。
「……これ‥」
琴葉が、言葉を失う。
「丹下健三さんの設計を型枠大工が型枠を組んで作ったんだよ。ほめるべきはこれを作った先人の職人達だね」
坂崎の声が、静かに響く。
「え……」
和也と琴葉が、同時に聖堂内を見上げる。
「全部、型枠大工の仕事だ」
雄介も、黙って見ていた。望が、小さく息を吐く。
だけど、他の学生は‥
「すごい……」
ただ空間に圧倒されている。見ているものが、また違った。
夜。ホテル近くの居酒屋。和也、琴葉、雄介、望、あいり、ほのか。
6人で乾杯する。
「おつかれー」
グラスがぶつかる。最初は、いつもの話。だけど、少しずつ変わっていく。
「で、どうすんの。卒業したら」
あいりが言う。少し、静かになる。
「俺は建方の毎日やな」
雄介が即答する。
「迷いないな」
「雄介のとりえはそれだけだもんね」
「なんでや~」
笑いが起きる。望が、ゆっくり言う。
「僕は……一回外に出ようかな」
「実家じゃなくて?」
「うん」
ほのかは、少し迷っていた。
「まだ……決めきれてない。建設会社にするか設計事務所にするか」
琴葉は、グラスを見つめる。
「私は、大工でいく」
はっきりと言った。和也は、少しだけ考えてから言う。
「僕は……大工だけど‥」
「え、何、気持ち変わった?」
琴葉が心配そうに見つめる。
「大工は絶対やる。でも、それだけじゃなくて…設計とか、昨日から見た建物や技術全部が面白かった。だから大工修行しながら併せて現場管理や設計も勉強していきたい」
「なんだそういう事か。じゃあ僕もつきあう」
身を乗り出した体を元に戻し、少し安心したように言った。
「ホント仲いいね」
あいりが笑う。
「全部やればいいやんか」
「簡単に言うなよ。大工技術習得だけで一杯なのに」
笑い。だが、その奥にあるものは、本物だった。
3日目。新木場。清水建設 木工所。薄く削られた木材。
「これ……木?」
「木材箔だな」
和也が触れる。軽い。薄い。
「内装仕上げに使うんだろうね」
琴葉が、静かに言う。少しだけ笑う。
「どうした?」
「……でも」
「うん」
「やっぱり木はいいな」
全員が、少しだけ頷いた。
帰りのバス。車内は、静かだった。ほとんどが疲れ切って寝ている。
外は、夕暮れ。
「建築って、広いな」
和也が、ぽつりと言う。
「うん」
琴葉が答える。
「でも、私はやっぱり大工かな」
「そうだな」
少しだけ、笑う。バスは、ゆっくりと西へ向かう。五輪の先にあったもの。それは、答えじゃなかった。選ぶための材料だった。
世界は広い。
その中で、自分の道を選ぶ。
削るのは、木だけじゃない。
迷いも、削っていく。
その先に、自分の形がある。まだ見えていない形が。
第112話目の投稿になりました。ここまでお読みくださりありがとうございます。
アカデミー建築科 恒例の東京方面施設外研修です。普段木造中心に学んでいるために、こうして歴史的に価値のある有名建築や非木造建築を最先端技術を見学することは必ず建築の幅を広げます。和也達も知見を広げることが出来たのではないでしょうか。
次回は、二階建て模擬棟建築の完成話です。お楽しみいただければ幸いです。




