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※人が物理的に痛い目にあうシーンがちょっとあります。
ゆっくり翼をはためかせてテラスの方へ降りてきた黒い鳥は、自分が今日乗ってきた馬車と上背の似た大きさで、顔中に青い縦縞が走った大人の男性の拳とほぼ同じ大きさの目が複数ついていて、その多くの目に埋まりかけた黒いくちばしからは、ぎしぎしと歯ぎしりのような音が絶えず漏れていた。
あの姿は辞典で見た覚えがある、つまり。
「――魔物だ!!」
「キャー!!!」
一人の声を引き金にして、つんざくような悲鳴があちこちから上がる。慌てながらも騎士が近くの兵士に指示を出そうとするが、逃げるのに必死な招待客の勢いに押されて、思うように誘導が進まない。
「こ、国王陛下と、王妃殿下をお守りしろ!! ショーン殿下も、……殿下はどこだ!?」
「この椅子、テーブルも! 災厄の木で作ったって言ってたよな……!」
「やだどうしよう、ドレスが黒くなってる! 魔物が来ちゃう……!!」
「ちょっとくらい大丈夫よ、走らないでおちついて! ええと、取り急ぎなにかしなきゃならないこと……」
「宝石とかタイピンとか、光るものは極力外してください! 魔物の目を引かないように!」
「だそうよ!」
どうにか混乱の収拾を図ろうとしているキュルカ様たちと目が合ったタイミングで、わたくしは声をかける。聞こえたらしい令嬢やご婦人が次々、自分のアクセサリーをむしり取るようにしてはずし、そこらへ投げてからその場をあとにする。
「あなた騎士でしょぉ、退治してきなさいよ」
「わ、わたしは人間専門でして……!!」
「もう! そんな立派な剣を持ってるくせに!」
マクレガー様が騎士をつかまえて文句を言うのを聞いて、そばの貴族が声を賛同するように声をあげる。
「だったら誰か討伐隊を呼べ!」
「そもそもこの場にどうしてロビン殿下がいないの?」
「呼んでいないとか言ってたな」
「ショーン殿下を探せ! 元凶を逃がすな! ~うわ、こっちに来たぁ!!」
阿鼻叫喚の中、爵位も立場も関係なく、貴族たちはうつくしく剪定された庭の木花を踏み崩したり突き倒したりしながら、一斉に出入口に向かっていく。わたくしはその場に立ち止まり、混乱と緊張の中で見失った魔物の姿を探して、はっとする。
「お嬢様、どちらへ!?」
「すぐ戻るから先に逃げていて!」
「お嬢様、いけません!! お嬢様!!」
土埃舞う中、こちらへリンが叫ぶのを振り切って、人の流れに逆らった。
「いや……誰か、誰かたすけて……」
噴水の影でしゃがみこんでいるパトリシア様に近づく魔物の黒い翼に、わたくしは後ろからティカップの中身をぶちまけた。辞典に載っていた通り、少しでも翼が濡れるのを嫌がりぶるぶると身を震わせてその場で地団太を踏む魔物の鳥を横目に、わたくしはパトリシア様の手を取る。
「この隙に!」
「え、ええ……! ――あぶない!」
「!」
彼女の悲鳴とほぼ同時に右肩に強い衝撃があり、わたくしはパトリシア様の上を越えるように飛ばされ、噴水の石像に背中をたたきつけられた。そして混乱している間に魔物に距離を詰められると、辺りの水を吸って腿まで張り付いたスカートの裾ごと右足首をつかまれ、強い力で勢いよく引っ張られた。
「うぐっ!」
全身が宙に浮く感覚のあと、すぐ背中から地面に打ち付けられる衝撃に、言葉にならない声が出た。
「……ちょ、っと、離して、離しなさい……! う、ぐっ……」
振り回されて頭がくらくらするのを堪えて、どうにかもがいて抵抗を試みたけれど、魔物はびくともしない。こちらを捕まえていないほうの足でぴょんぴょん跳ねて進むので、わたくしは上半身を地面にがつんがつんと打ち付けられるたび綺麗に整えられていた芝をえぐりながら、左の膝と手のひらをひどい勢いでぶつけたり擦りむいたりしていくのだった。
「いや、いやぁ、ケイティ様、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「っいいから、逃げて、早く」
魔物に引きずられていくわたくしを呆然と見送るパトリシア様は、可愛らしい顔が恐怖と絶望ですっかりゆがんでしまっている。騎士がパトリシア様を両脇から支えその場を逃げようとするのを見届けている内に庭がどんどん遠くなり、辺りは夜のようにどんどん暗くなり、自分がうっそうとした深い森の中へ引きずりこまれようとしているのが分かった。
確かこの鳥の魔物は、獲物を大きな岩に何度もぶつけて骨を粉々に砕いてから食べる。魔物の迷いのない足取りを考えると、きっとこの先に目当ての岩場があるのだろう。魔物辞典に書いてあったことを思い出しながら、暗がりの中で自分の頭を守るように抱えていたわたくしは、片方の腕を縮めやっとのことで胸元の鱗石に触れた。それは気が遠くなるほどの痛みと恐怖の際でも不思議とほんのり温かく感じて、泣きたくなるくらい心強かった。
「――ケイティ!!」
ぼとっ
「!?」
突如耳に入ってきた声に驚く前に、頭を抱えた姿勢のまま伏せていたわたくしは、近くに何か大きい塊が落ちてきた音に身をすくませる。その隙に魔物に掴まれていた方の足をぐいと引っ張られ、すぐに解放される。それから、太もも近くまでめくれていたスカートの裾もどこか遠慮がちに足首あたりまで戻されたあと、魔物に打たれた場所を避けるように背中へ手を回され、うつぶせていた上半身をゆっくり起こされた。
「……あ、」
強く握りしめていたはずのペリドットが目の前にあったので、わたくしは思わずそちらへ手を伸ばした。すると、すぐに手だけでなく身体中が温もりに包まれて、自由を奪われてしまった。
「あら……?」
「……すまない、遅くなって本当にすまない……」
「わたくしの、ネックレス……」
「大丈夫、ちゃんと身に着けているよ」
「……え? でも、ここに……」
「ケイティ嬢……」
目の前のペリドットが隠れてしまった。探そうにも少しも動けず、もどかしさに悶える。それでもぬくもりに包まれていると安心する。この温かさを、わたくしは知っている……。
手のひらや額に何度も押し付けられるやわらかな熱と、自分を支える厚い胸板が現実のものだと認識する前に、わたくしはいよいよ意識が遠くなるのを感じた。




