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王家の秘密が隠された地下へと続く長い階段をようやく上り切り、静かにふさがる隠し扉を眺めていると、一旦事務所の奥へ引っ込んだコール所長に一枚の請求書を渡された。
「法務所のハイディ・ストープス卿にお届けいただけませんか。従者様にはお伝えしておきますので」
「ああ、わかった」
「お気をつけて」
「え? うん。ありがとう……」
コール卿はそれ以上何も言わず、僕を事務所の前で見送った。
僕は特に不備はなさそうな請求書を眺めつつ、軍部の訓練での掛け声が聴こえてくる渡り通路を過ぎ、その先の法務所を訪ねると、管理所で見た覚えのある役人と目が合った。
慌てた様子の役人に、とりあえず待つように言われたドアの前で立っていると、部屋の奥から知った声が近づいてくる。
「……先ほどの要件は出来るだけ早く通してくれたまえ、ハイディ卿。くれぐれも私の手を煩わせてくれるなよ」
「はい殿下……本日はお忙しいところご視察誠にありがとうございました」
「ああ、こういった隅々まで気を配ることが私の仕事だからな……おやぁ? どうしたかわいい弟よ、お前のゆりかごの国財管理所はここではないよ。迷子かな?」
こちらを見るなり、貼り付けたような穏やかな顔でからかう兄に、僕は努めて無心になって返した。
「いえ。管理所の仕事でやってきました」
「ハ!! ……身体を張った道楽しか能がないと、王族でありながら人に遣われるような羽目になるのか! ……ククッ、哀れだな、全く!」
嘲る笑みを浮かべた顔を手で覆ったまま首を振り、傍らの従者に同意を得るように笑いかけながらその場を去った兄を見送ると、僕は気まずそうな顔をしていたストープス卿へ請求書を手渡した。
「……ええと、忙しいところ騒ぎを起こしてすまない。僕の用事は本当にこれだけなんだ。それじゃあ、失礼するよ」
「……お待ちを!」
踵を返してその場を去ろうとする僕を、かっちりセットされていた髪を振り乱してストープス卿が追いかけてきた。
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制定する法律の検討から罪人の審判まで行っている法務所は、案内された応接間だけで国財管理所の事務所くらいの広さがあった。「準備がある」とストープス卿が一旦席を外したので、ソファに座ったまま部屋の中をながめていると、本棚に懐かしい本を見つけた。
“法律全書”と背表紙に書かれたぶ厚い本は、自分が学校に入る前くらいのころ兄と並んで勉強をしていた時に使っていた。当時はちんぷんかんぷんだったけれど、今なら少し分かる気がする。
「でも……子ども向けではない本だよな」
「失礼いたします。ご無沙汰しております」
扉をノックする音に独りごちていた顔を上げると、そこに立っていたのはグレゴリー・キッカー卿、僕の現婚約者の兄君だった。僕は持っていた本を急いで元の場所に戻し、白いローブを羽織ったグレゴリー卿が法務と内務の掛け持ちをしていることを今さら思い出しながら、頭を下げる。
「グレゴリー卿……夜会に間に合わなかったばかりか、妹君の見舞いになかなか行けず申し訳なく思っている。」
送っていた手紙をなぞるような言葉で謝罪をするしかない僕に瞬きを繰り返したあと、グレゴリー卿は微笑みを浮かべた。
「殿下もご療養中であられますし、妹も医者に出来る限り安静に過ごすよう言われている今、お気遣いいただけて嬉しく思います。もしお怪我を押して殿下がいらしたら、他の方が訪ねていらっしゃることになってもお断りしづらいですから」
「そう言ってもらえると……」
自分が無理にでも足を運んでしまえば兄も張り合うかもしれない、とこらえていた気持ちをいいようにグレゴリー卿に汲んでもらえていたのがわかり、内心ほっとする。それでも、僕はケイティ嬢の婚約者としては落第であるのは間違いないので、続けて彼が口にした事に思わず姿勢を正した。
「……この機会に、お尋ねしてもよろしいでしょうか。このところ国財管理所に通い詰めていらっしゃる理由を」
グレゴリー卿が声を落としたのは、法務所が他の部署に比べて人の出入りが多いからだろう。分かっていても緊張をしたのは、この場で正直に話すことで、いよいよ自分がキッカー家に見限られてケイティ嬢を諦めることになるかもしれないと思ったからだ。それでも、ごまかしてもいずれ分かることだ。
「……ケイティ嬢に、正々堂々と求婚するために必要なことだと思ったんだ」
僕の答えにグレゴリー卿は目を丸くしたまましばらく固まった。それから「だからここへ……」と呟いたあと、ノックの音に居ずまいをただした。
「……グレゴリー卿、なにかご用ですか?」
怪訝な顔をして部屋の中へ入ってきたストープス卿と入れ替わりに応接間を出たグレゴリー卿は、扉を閉める直前こちらに親しげな目線を投げてきた。
「妹へ頂いたお見舞いのお品の礼をしていたんだ。……ロビン殿下、ご武運をお祈り申し上げます」
「……! ありがとう!」
ひとまずはケイティ嬢の兄君に無鉄砲な自分のふるまいを見逃してもらえたのがわかり、僕は浮かれた気持ちを抱いたままストープス卿に向き直った。
テーブルを挟んで僕と向かい合うようにソファへ座ったストープス卿は、テーブルの上に紙とインク壺を置いた。神妙な顔をした彼は咳ばらいを繰り返してから、ゆっくり口を開いた。
「……我々は管理所のように時間を費やしてもいられませんので、こちらに取り組んでいただきます。」
「ん?」
先ほど自分が持ってきた請求書の受領証でも渡されるのかと思っていたが、どうやら違うらしい、とそこでやっと僕は気づいた。
二枚の紙にはそれぞれ違う事柄と、まったく同じ文章が続いていた。
『〇月〇日未明、ある貴族の屋敷で使用人の女の遺体が見つかった。使用人の寝室に落ちていたナイフが凶器とみられ、持ち主である――卿が殺人を認めた。
散乱した事件現場には割れた花瓶と、その破片に隠れて――卿の家紋が彫られた女性向けネックレスが見つかった。
屋敷の者や――卿の知人の話によると、容疑者――卿は酒癖が悪く、真夜中泥酔した状態で被害者のもとに押し掛けようとしたことが何度かあったという。』
『〇月〇日未明、ある貴族の屋敷で、――卿の遺体が見つかった。役場へ出頭した使用人の男が殺人を認めた。
事件現場には血痕のついた大きな花瓶が割れていたほか、――卿所有の宝石類が散乱していたが、その場から盗まれたものはなかった。
屋敷の者や使用人の知人の話によると、被害者である――卿が、同じく使用人だった容疑者の妹に迫っていたという。』
『・容疑者の罪状を挙げてください。
・容疑者にできる質問は二度です。何を尋ねますか。
・容疑者を法で救ってください』
「これは……?」
差し出された解答用紙2枚とペンをとりあえず受け取り、学生時代を思い出し戸惑っていた僕に、ストープス卿は口を開いた。
「……先ほど殿下が国財管理所所長に見せられたものの一端に、法務部も深く関わっております。これは殿下が“力”を振るうにふさわしいか、我々が見極めるために必要な手続きです」
「!! ……巻き込んですまない、出来る限り精一杯取り組ませていただく。」
突然始まった記述試験が自ら引き起こしたことなのだとようやく気づいた僕は、そのまま応接間に籠って、ストープス卿に追い出されるまで必死でペンを走らせたのだった。
「ロビン殿下、今日はお早いお戻りですね。」
「あ、ああ。ずいぶん身体の調子が戻ってきた……」
本殿の離れにある自分の部屋に向かっている道すがら、声をかけられ瞬いた。
深く考えこんだまま歩いていたせいで法務所を出てからの記憶がなかった僕に、使用人のガルが自分の鼻のそばかすを撫でながら親しげな笑みを向けてくれる。
「お加減が良くなってきたようでなによりです」
「ありがとう、カーサーにも礼を言っといてくれ、煎じてくれた茶がよく効いたって」
「苦かったでしょう」
「朝飲んだのにまだ口の中が苦い」
ずいぶん打ち解けた彼らと笑い合いながら部屋の扉を開けると、迎えてくれた侍女の一人がこちらを一目見て口を開いた。
「殿下、キッカー様からお手紙が……どうなさいました?」
「……ちょっと、色々考えすぎて頭が痛いんだ」
「あらあら、またカーサーさんにお茶をお願いしなくては。今日はこちらでご勘弁を」
「十分ありがたい……」
椅子に腰を落とすと即座に差し出されたティカップの湯気に、僕はようやく一息つけた。そして視界にはいった窓の外が夕焼けに染まっているのを眺めているうち、今日訪れた財務所の隠し部屋のことを思い出して落ち着けなくなった。
(今日得た切り札をどうやって使おう。……法務所の協力が仰げなかったら、どうすればいいんだろう……。)
ストープス卿には三日後に法務所へ来るよう言われた。国財管理所の所長にすら“もう教えられることは無い”と言われてしまった今、他に出来ることを探さなくてはならない。何もしないではいられない。彼女を失わないために今の僕にでも出来ること……
「……明日は軍の訓練場でも見学に行くかな……」
結局脳筋の僕は重い頭を抱えたまま椅子の背もたれに身体を預け、開いたばかりの便箋に綴られる愛おしい人の文字を指でなぞった。




