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マルクさんのレストランをあとにして、わたくしは満腹で幸せそうなヴァンが走らせる馬車に乗り、自分が昔通っていた貴族学校へと向かった。そして教員用の建物の近くで見覚えのある綺麗な黒髪のご令嬢の姿をみつけて、慌てて馬車から降りた。
「キュルカ様! わざわざ来てくださったんですか?」
「叔父はいい人なんだけど顔が怖いんですの。だからケイティ様が泣いてしまわれないように一応ねっ」
もうじき卒業試験を控えた大事な時期なはず。こちらを優先してくれながらわざとつっけんどんな言い方をする彼女の気持ちがうれしくて、わたくしは胸がいっぱいになる。
「ふふふ、……ありがとうございます」
「ほ、本当ですわよ。ヘルマンの中で一番怖いんですのよ……!」
キュルカ様は照れた顔をこちらから隠すように、建物へと先を行ってしまったが、入口の前できまり悪そうな顔のまま振り向いたので、わたくしは思わずほほ笑んだ。
「それより……その手荷物、もしかして叔父さんに独り占めさせるつもり?」
「馬車を降りたときに気が変わりました」
「ならいいけれど」
自分が学生だった時も数回しか入ったことのない、やや入り組んだ構造の建物の中を慣れた様子で歩く現役学生のキュルカ様へ“樹木のことに詳しい人を教えてほしい”とお願いをしたところ、彼女は叔父であるブロン・ヘルマン教授を紹介してくれた。上背があり、がっちりした体格で、若いころ剣を握れば騎士に混じっても見分けがつかなかっただろう雰囲気の彼は、マルクさんが用意してくれた焼き菓子を見ると評判の怖い顔をやわらげて、部屋の奥へと案内してくれた。
応接間として案内された部屋は、分厚い本がみっちり詰まった大きい本棚が壁のほとんどを占めており、本棚の前と書斎机にはさらに分厚い本とたくさんの資料が積み上げられていた。埃をかぶったまま陽にやけた古い紙の甘い匂いと、森の奥を歩いたような爽やかな緑の香りが入り混じった中、座らせてもらった上等なソファ周りだけが、打ち合わせのために利用されているようだった。
「本日はお忙しいところお時間をいただきまして、本当にありがとうございます」
「初めまして、キッカー嬢。キュルカからいつも話には伺っております。どうか楽にしてください」
緊張した頭を下げると、陛下と同じくらい威厳のある声で返された。
5匙ほど掬った砂糖を入れたお茶をスプーンでかき混ぜていたブロン様は、カールした艶のある黒髪を上げており、あらわになっている額と眉間には深いしわがあった。それでも思慮深いまなざしはキュルカ様と同じで、こちらがふざけなければ吊り上がることは無いだろうという安心感があった。
「早速ですが、タストロの木のことをお知りになりたいそうで。先にキッカー様がご存じのことを教えていただけますかな」
樹木研究の傍ら、農地経営学の先生として20年以上教壇に立っているブロン様を前にして、わたくしは両手に持っていたお茶のカップをソーサーに置くと、学生だった時のように姿勢を正し、恐る恐る答えた。
「はい。……切り倒すと黒い樹液が噴き出すこと、災厄の木という呼び名があること、腐りにくいこと……ヘルマン家の紋章の画に組み込まれていること、くらいです」
「ふむ。流通している本に書かれている以上のことはもうご存じですな」
「うちの紋章のあれ、災厄の木だったの? ……知らなかった……」
わたくしの隣でカップケーキを召し上がっていたキュルカ様が、口元を押さえながら猫目を丸くする。
「タストロが“災厄の木”と呼ばれるのは、近くに魔物が現れるという言い伝えがあるからだが、それには一応根拠とされる理由がある。……こちらへ」
腰をあげつつ大きめのクッキーを一つ口へ放り込んだブロン様は、砂糖をいっぱい入れたまま口をつけないでいたお茶のカップを持って、わたくしたちを応接間と扉一つでつながった部屋へと導いた。
その部屋の陽射しを取り込む大きい窓の前には、様々な形の葉をつけた鉢植えの木が大小ずらっと並び、床に緑色の影が映っていた。窓の反対側の壁には薪木が積まれ、上に使い方が思いつかない何らかの器具が置かれた低い戸棚がある。
樹木の青々しい香りで満ちた部屋の中心には横長の白い石机が置かれ、隅の方では窓の光を遮るように置かれた黒い衝立と、赤い液体で満たされたガラス製の細長い筒が10程度、整列した状態で固定されていた。
「……実験のための部屋かしら」
「わたしも初めて入ったわ」
ブロン様に呼ばれ、キュルカ様と揃って近づいた石机には金属製の小皿が二つ置かれ、それぞれに羊皮紙と同じくらいの厚さにスライスされた木片が一切れずつ載せられていた。
「一般的に……樹木も農作物や草花と同じく水を取り込み成長するが、中には別のものを取り込むものがある。例えばこのザバの木」
おもむろに話始めたブロン様が小皿の一つを持ち上げる。そのまま小皿を鼻先へ近づけられると、キュルカ様とわたくしは瞬きをしてから顔を見合わせた。
「甘い香り」
「お菓子みたいな……」
「ザバは甘味を取り込む性質があってだね、」
教授はそこで一旦説明を中断し、中身が入ったままのお茶のカップに木片を沈め、そのカップから小皿の上にお茶だけをこぼすと、わたくしたちの前に差し出した。
「え、なんですの」
戸惑った声をあげたキュルカ様に、ブロン様は促すように小皿を揺らした。
「私は茶に口をつけていないから安心したまえ」
「……?」
「……口にしても?」
「害はない」
「え、~ちょっと叔父様!!」
得体の知れないものを人に云々、とキュルカ様が石机の向かい側のブロン様につかみかかっている様子を遠くに聞きつつ、好奇心が勝ったわたくしは金属皿に出された紅茶色の水たまりにおそるおそる顔を近づける。それから手で仰いで香りを確かめたあと、ちょん、と水たまりに浸した小指を口に含んだ。
「甘くない……お茶の香りはそのままなのに」
「え゛、あなたまさか今口に入れたの!? ……~もう!」
わたくしの感想を耳にして慌ててこちらに駆け寄ったキュルカ様が、長い逡巡の末に金属皿の中の紅茶の味が甘くないことを確かめたあと、姪に掴みかかられて乱れた髪と襟元を整えつつブロン様は説明を続けた。
「さて、本題に入ろう。」
ブロン様が戸棚から出した、手のひらに収まる大きさの木箱には鎖が巻かれ、造りのしっかりした錠前が3つついていた。それを一つ一つはずし、箱を開けると、中には厚手の黒い布で包まれた小瓶があった。
「本国の森林地帯の3割以上を占めるタストロの研究は、200年前までは非常に活発に行われていた。他の国も躍起になって、この木の性質を利用しようとしていた。……残念なことに、今は研究自体を禁じられているがね」
もう一つの金属皿に載せられたタストロの木片の上で、説明を続けつつ、ブロン様が慎重に小瓶の蓋を開けて傾けると、真っ赤な液体がぽたりと落ちた。ぽたぽたと木片の上に落ちる赤い雫はみるみるうちに吸収されていくが、木片自体の見た目は何も変わらないようだった。
何の匂いもなく、何かが起きたりもしなかった。それでも、研究者の手で丁寧に布でくるまれ、錠前のついた箱へとしまい直された小瓶を見届けている間、部屋には不思議なほど重苦しい空気が立ち込めていた。
「これは……」
「一体なんですの?」
タストロの木片が載せられた金属皿を見下ろしていたわたくしたちがこらえきれず口を開くと、威厳のある声で答えが返ってきた。
「魔素。魔物が生きるのに必要とされるものだ」
長くなったので、キリがいいところまで今日もう一話投稿します。




