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6.神聖な場面

 その時、室内にいた男――例の三人組のうちの一人であり双然の拳で倒れた男――は強い焦燥感にかられていた。


 彼の足元には気を失った空也が転がっている。


 長時間責め続けたというのに一向に口を開かなかったこの男のことを、昨日の一件で運命共同体となってしまった三人は完全にもてあましていた。


 気を失っては目を覚まさせ、責めを再開してはまた気絶させ――これを何度となく繰り返したというのに、並の人間であればとっくに陥落できているというのに、この若い男はなんら口を割らなかったからだ。


 張り手から始まり、拳骨や蹴りを死ぬほどくらわした。

 それでも口を割らないから散々に革製の長紐で打った。

 背中一面の皮がむけたくせに意地をはるから、次は手間はかかるが水責めに切り替えた。

 それでも駄目で、最終的には右手の爪を全部はがしたところだった。


 これ以上爪をはいでも効果は期待できず――次は何をすべきか、毛の要求どおり夜になるまでに口を割らせることができるか、様々なことに頭を抱え悩んでいる最中だったのである。たまにいるのだ、こういう強情な人間が。


 他の二人は便所だと言って部屋を出ていったが、なぜそんなのんきなことを言っていられるのか、残された男にはまったく理解できないでいる。


(あと半刻もないんだぞ……?)


 毛に与えられた猶予はすでに底をつきかけている。

 しかし現状を打開できる名案は何一つ思いついていない。


 そんな時だった。


 窮地に陥る男の前に、あの猿もどきの女が姿を現したのは。


「お、お前! あの時の……!」


 一瞬思考が停止したが、突如現れた探し人に男の体内を巡る血が一気にたぎった。


「そうか! こいつがここにいるって知って来たんだな?」


 空也を捕縛し連れ去った一部始終は、街ではそれなりの人間が目にしている。


 それ自体が釣り餌だと分かっているくせに、自らのこのこと現れた珪己に男は底知れない愉悦を覚えた。本能が男の血潮をさらに熱く燃え上がらせ、自然と腰に佩いた剣へと手を伸ばしていた。


 と、男はとある一点に気がついた。


 厚い外套一枚着ていないだけで、女の有する体の線や型がはっきりと認識できたからだ。


「お、お前! 身重だったのかっ?」


 驚きとともに男の熱がすっと下がったのは、彼とて人の子だからだ。


 大勢の前であれほどの恥をかかされ、毛に散々に叱咤され――見つけ次第必ず半殺しの目に合わせてやると三人そろって息巻いていたのは事実だ。女だとて容赦するつもりも毛頭なかった。そう、女であることは三人ともしっかりと覚えている。


 だがまさか、産み月であることが疑いようもない妊婦だとは――。


 ここで迷いが生じないようであれば、その人はもはや『人に非ず』と断じられても仕方がないだろう。


 だが珪己は彼の反応におやと思った。こういう種類の男であれば、自分が身重だと知っても手を抜かないだろうと思っていたからだ。


 ここであらためて十番隊の風評について考えたい。


 十番隊はこの街一番のならず者の集団だが、その実、それはやや違っていた。正確には『隊長である毛の支配下においては』という前提条件のある時のみ、そのような凶悪なふるまいをする集団だったのである。


 いかんせん、ここは中途半端な都市だった。


 人や物流の動きは首都・開陽とは雲泥の差があるし、かといってこの国に幾多ある土煙の匂いしかしないような、さびれた村でもなかった。


 前者には比類なき悪人も住まうものだ。なぜなら一口に悪人といってもピンからキリまでいて、ピンを自認する悪人集団は金と権力が潤沢に得られる首都に群がるものだからだ。キリも同じ、キリでも稼げるのは首都所以だ。


 しかし後者は……これはなんともさみしい集団だ。いくら息巻いてもできることには限りがあるし、周囲の反応も乏しい。それゆえ大した結果を残せず、生活がそれほど潤うこともない。当然、キリでは悪事のみで生きていくこともままならない。そう、ピンやキリに区分される悪人は後者のような地には住みつかないのである。


 そういうわけで、十番隊は集団としてはキリではないもののピンともいえなかった。ただ一人のピン、隊長の毛を頭としたことで実際以上に凶悪性が増して見えているだけだったのだ。


 とにかく、珪己が身重であることを知っただけで、男の心はあっけなく萎えてしまった。夜までに珪己を捕らえなければ毛に制裁を施されることは分かっているし、そのようなことは絶対に避けたいと思っているが――それでも身重の女に暴力をふるう度胸、気概までは持ち合わせてはいなかったのである。


「あなた方に失礼なことをしてしまったことは謝ります」


 突然誠意ある謝罪をされ男が息を飲んだ。


「すみませんでした」


 珪己は頭を一度下げると、動揺する男に丁寧に願った。


「お願いします。この人のことを返してください」


 この珪己の行動の意味――それは闘うよりもこうした方が勝算があると踏んだからであった。


 この人とは闘わなくても済むかもしれない、と。


 だったら真心と言葉を尽くすことで空也を救いたい、と。


 実際、珪己の言動に男は人間らしい戸惑いを隠せないでいる。昨日、幼い姉弟をかどわかそうとしたときには見られなかった人間らしさが表に出てしまっている。


「お兄さんがこの人の帰りを待っているんです。とてもこの人のことを大切にしていて、すごくすごく心配しているんです」


 真剣な面持ちで訴える珪己のことを、男は邪見にすることができないでいる。


 うう、と空也がうめいた。


 尋問が目的であるから、長時間気絶しないようにある程度手を抜いていたのだ。


 だがそんなこと、普通の人間が知るわけもなく、珪己もまた空也が息をしていることに率直に歓喜を示した。


「大丈夫ですかっ?」


 珪己は空也のそばに駆け寄ると膝をついた。床は水責めの痕跡でびちゃびちゃに濡れているが、そんなことは気にしない。頭から足の先までずぶぬれの空也を抱きかかえると、珪己は空也の濡れた頭を自らの膝の上に載せた。


 男はその一部始終を呆然と見守ることしかできないでいる。さながら神聖な場面に出くわしてしまったかのように。


「あ……」


 なんとか瞼を開いた空也は、珪己を認識し、ふわりと笑みを浮かべた。


 だがすぐにその顔を険しくした。


「どうしてここにいるんだ。……もしかして捕まったのか?」


 右手の指、五本すべての先端を赤く染めているくせに、空也がいの一番に自分のことを気遣ってくれたから……珪己は泣きそうになった。


 でもぐっと我慢する。


 触れても痛くなさそうな左手をとれば、ずっと外にいた自分よりも冷えていた。


「空也さん……」


 ここで空也が受けた責め苦がどれほどのものだったか。容易に想像がつき、少し、握る手に力が籠もった。


「捕まったんじゃありません。迎えに来たんです」

「……は?」


 腫れて重くなった瞼の下、空也の瞳が丸く見開かれた。それでも珪己は続けた。


「同じです、空也さんと。私も大切な人を助けたくてここに来たんです」

「……なん、だよ。それ」

「私がわがままだって言ったのは空也さんじゃないですか」


 見つめ合うと、空也の目が潤んできた。もう少しで涙が溢れそうな、そんなぎりぎりのところで歯を食いしばって耐えている。その表情を見ていたら、珪己の胸に言葉にならない感動が押し寄せてきた。


「もう大丈夫ですからね」


 その一言がきっかけで、空也の頬を涙が伝った。

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