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11.賽は再び放たれた

 行方をくらましていた空也の居場所はその日の深夜には明るみになった。


 昼間、珪己と二人で訪れていた杜々屋に戻っていたのだ。


 夜分遅くに空斗がやって来たことに杜々屋の親父は驚かなかった。空也の足取りをたどればここにたどり着くのは時間の問題だったからだ。この兄弟の繋がりの強さ、特異性は親父もよく知っていた。


「まだ夜は物騒だから出歩かない方がいいぞ」


 開口一番で苦言を述べながらも、客の出入りのない時間帯に戸につっかい棒をしてなかったこと、それに番台に座っていたことからも、親父が空斗の訪問を予期していたことは明らかだった。


 親父は空斗を無言で手招きすると、勘定台に身を乗り出す形で「空也に何かあったのか」と小声で訊ねてきた。いわく、珪己と共にここで昼餉をとって別れを告げ、それから一刻もたたないうちに戻ってきたそうだ。


 だがその短い時間で空也の様子は一変してしまったらしい。


「調子が悪いから今夜は泊めてくれって言うもんだから部屋を空けてやったんだけどな。あれから食事もしないでずっと籠ってるんだ。兄貴を呼んでやろうかって声をかけたんだが、やめてくれ、しばらく一人にしてくれればいいって、そう言うもんだから」

「……そうだったんですか」

「あいつがこんな風に殻に閉じこもるなんて珍しいだろ? だから気になってなあ。お前ら、兄弟げんかでもしたのか?」

「そういうわけではないんです」

「そっか」

「あの。ちょっと上、見てきていいですか」

「あ、ああ」


 まだ話足りなさそうな親父の許可を得るや、空斗は宿泊部屋が連なる二階へと忍び足で上がっていった。ここに足を踏み入れるのは夏以来のことだ。


 この街での最初の拠点はここだったなと、どこか郷愁じみた気持ちになっていく。


 あの頃は二人して未来に小さな光を見いだすことができていた。晩春の寺での出来事が尾をひいてはいたけれど、この街に来て少しずつ前向きになることができていて――。


(『雪がいっぱい積もっているところに行きたい』なんて、そんな馬鹿げたことをほんとに実行に移して)


(『俺達もうガキじゃないのにな』って笑って、でもそんなくだらないことばかりをしている毎日がすごく楽しくて……)


 そのどれもが見たくないこと、関わりたくないことから目を逸らしていられたからこその幸福、享楽だったことは分かっている。だから『人生の休暇みたいな日々』にはいい加減終止符を打つことを二人して決めたのだ。


 だが、それでも……まだ過去とも呼べないような日々のことを懐かしく思う気持ちはどうしようもなかった。


 灯りもない廊下はしんと静まり返っていた。耳をすましてもいびきすら聴こえてこない。闇に――空斗の心情に同調するような空間が広がっている。


 親父から聞いていた奥から二番目の部屋、その戸の前にたつと、空斗は息をつめてそっと耳をそばだてた。目を閉じ、室内に意識を集中させると、空也がまだ起きていることが察せられた。呼吸の状態からして体調が悪いわけではなさそうで、これに空斗はひとまず安堵した。


「空也」


 少しためらったが声をかけた。


 室内の様子からささやきに近い空斗の声は届いているようだった。だが返事はなかった。


 なんて言えばいいか迷ったが、結局は思ったことを口にしていた。


「気が済むまでここにいていいからな。金は払っておく。……俺はいつでもお前の味方だから」


 少し待ってみたが、空也はその姿を見せようとはせず、とうとう声も発しなかった。


 空斗はそれ以上は何も言わず階下へと降りると、まだ心配げな親父に数日分の逗留費を渡し、未練を断ち切るように足早に宿を後にした。


 夜道を一人歩きながら、空斗は過保護にならずに済ませられた自分を自分で褒めた。


(こういうことはあいつは自分ひとりで乗り越えたいはずだからな……)


 今、空也は深く悩んでいるはずで、しかもその姿を知り合いに見られたくないと思っているはずだ。だから家には戻れないし、だから宿まで訪ねた自分に対して顔も見せないのだろう。


 これまでの空斗だったら、弟にそんな態度を示されたら心配のあまり無理やり戸をこじ開けていただろう。そして言葉を尽くして慰めていただろう。


 だが今回はそれをしないと決めた。


 それが空斗が決めた覚悟の一つだった。


 あの狐目に触発されなくても、このくらいのことはしてやれる。


 だが――。


(このまま閉じこもってくれているならそれでもいいんだがな)


 その方が空也にとって遥かに安全で、自分にとっては安心だ。


 あの疑似夫婦のそばにいるには、今の空也はか弱すぎる。


(……ああ。やっぱり俺は過保護だ)


 自らによる苦悩からの脱却、成長の機会こそ、今の弟にとって必要なことなのに――。




 そんなふうに相反する感情にぐらぐらと揺さぶられながら歩いていた空斗は、応双然が正面にいることに気づくのが遅れてしまった。人影を認知したのと双然が話しかけてきたのはほぼ同時だった。


「おや? 氾空斗じゃないか」


 もう日付も変わったというのに、白い息を吐きながら手をあげた双然は快活そうな笑みを浮かべていた。双然が御史台の任務のために仮の人格を装う時は、これによく似た表情を常に顔に貼り付けている。だが空斗はこれまで凱健の隣で仏頂面をしている双然しか知らず、それゆえすぐに知人だと気づけなかったのであった。


「ちゃんと言いつけを守ってこっちに移ってきたんだな」

「……はあ」


 武官であった頃の名残りで、空斗は御史台の人間に対して上位の者として接するようにしてきた。だが今は億劫に感じ、やけに気安い口調で話しかけられているのもあり、ついぶっきらぼうな口調になった。


「俺なんかのことより」

「ん?」

「あ……その。今夜の応様はやけにご機嫌ですね」


 失言を取り繕うように言うと、「今夜はずいぶん飲んだよ」と双然が朗らかに首肯した。


 間近で見ると、双然の頬は少女のようにほんのりと朱に色づいていた。目元も若干赤らんでいるし、それなりの酒量を嗜んだことがうかがえる。


「そうそう。君が今間借りしている家の若夫婦のことだけどね」


 今更『なぜそんなことまで知っているんだ』とは思わない。双然本人から『監察御史の仕事の九割は捜査だ』と聞いたことがあるからだ。そこに自嘲的な響きがあったことも――覚えている。


「夫婦そろって正義感に厚いようだね」

「そう……ですかね。すみません、まだあまりよく知らなくて」


 色々探られる前にけん制を、という空斗の意志は当然ばれており、双然がははっと声をあげて笑った。


 誇り高い御史台の一員として双然が抱きつづけてきた矜持は、捜査員として過ごす長い年月によってすでにほころび出していた。忍耐の二文字、それに正義の追求、皇帝への絶対的忠誠心、国への奉公――そういった理想的な面だけで一人の人間の感情、思考を縛り続けておくことは元々難しいのかもしれない。


 それゆえ空斗が出会った頃から双然という男は不機嫌なことが多かった。


 なのに今は――常日頃とは雰囲気からして違う。


「何かいいことでもあったんですか?」


 話題の転換のために空斗が選んだ話題は、結局冒頭に戻ることだった。機嫌がよすぎて不気味に感じる、というのは相手に対して失礼極まりない話だが、これに双然が上手い具合にのってきた。


「あったねえ。今日は面白いことばかりだ」

「それはよかったですね」


 いまいち感情のこもらない返答にも双然は嫌な顔一つしない。こうして会話をしている最中だというのに小さく鼻歌まで歌い出している。


「あの……。習侍御史はいつこの街にお戻りでしょうか」


 そろそろこの人との会話を終わらせようと、次回の密会の時期を暗に確認するために空斗が問うと、「あと五日ほどだろうか」と双然が答えた。


 と、緩やかな笑みを浮かべていた双然の表情全体が――くしゃっと歪んだ。


「……さてさて。どっちが早いだろうね」


 なんのことかと空斗が問い返すよりも先に、


「ああ! 早くその日が来るといい……!」


 夜空に向かって双然が高らかに叫んだ。


「賽は再び放たれた! この余興はいつ火がついてもおかしくないぞ! 僕は今度こそ肉を斬る! 悪人どもの肉をな……!」


 豪快に笑いだした双然に、空斗はいったん開きかけた口を無理やり閉じた。


 狂ったんですか――そう言いかけ、とっさに飲み込んだのである。


 先ほど、双然の表情が一瞬崩れた。


 泣く寸前のような――喜怒哀楽、様々な感情を混合したような――表情は、すぐに喜色だけを表に残し、その他の感情すべてを打ち消した。だが実際は、双然は強い歓喜にその身を支配されていた。それ以外のものは何もなく、身に余るほどの喜びに心も表情もついていくことができず、それがあの一瞬の表情の乱れだったのである。


 空斗はそこまで双然の心理を分析できてはいない。だが、既知の人間が見せた常人とは思えぬ双然の言動に、強い違和感と本能的な恐れを抱いたのは確かだった。


『だが憎しみこそが己を生かす力となってしまった人間はいったいどうすればいいんだろうな――』


『私のことでもあり応のことでもある。十番隊のことでもある。他にもいる。数ある男共のことだよ――』


 年末に凱健がつぶやいた言葉の数々が、今なぜか空斗の胸の内で反すうされた。


 やや足元をふらつかせて去っていく双然を見送った空斗は、思わず自分が歩いてきた方向へと視線をやった。だがそちらに視線をとどめたのは束の間のことで、その足はまっすぐに己が戻るべき方向へと進み出したのであった。

次話からは残酷めな描写のオンパレードとなりますのでお気をつけくださいm(_ _)m

(R15相当)

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