第85部 母娘(おやこ)の葛藤!
1955年8月(昭和30年)北海道・札幌
*)二人の来訪者
戦いが終わってちょうど一年が過ぎた八月のとても暑い日に、二人の若い娘が訪ねて来ていた。ちょうど杉田家は桜子の実家へ行っていたので留守だった。
「こんにちは~~~。彩香さ~ん。沙霧おねえさ~ん。」
「桜子さ~ん。・・・・・・お留守だね」
「だね! ・・・・ どうしようか・・・」
「キャーッ!!!」
すぐ近くで女の叫び声が上がった。若い二人の女は叫び声の聞こえた方向に急ぎ向かう。悲鳴の状況は直ぐに見てとれた。
「痛~~~、イテテテ!!!」
「ママ! 大丈夫?」
「うん、大丈夫よ」
「亜依音は落ちなかったよ!」
「亜依音はやっぱりすごいね!! 霧お母さんはとても上手に乗れたというのにな! ママはやっぱりダメだね。昔と同じだわ」
沙霧はクロから無様に落ちている。その傍らに二人の若い娘が駆け寄った。落ちた沙霧を起こそうでもなく、ましてや介抱する気も無いように、声だけを沙霧に掛けるだけだった。
「あら、お姉さまが、馬から落ちている」
「落ちてるね!」
「お迎えに~~き~~ま・・・・」
「そうね、あなたたちには不器用なところを見せてしまって、恥ずかしいわ」
「そうなんだ、稀代の戦士も馬には乗れないんだね」
「もう、バカにしないでよ。このクロに乗れる人は少ないのよ」
ミーナは亜依音を見上げて、ニヤリと笑って・・・言った。
「はは、そんな事は無いと思われますよ・・・ね?」
「いいえ、そうなんです!」
(後で思い知るがいい、むふふふ・・)落ちた女のこころの声である。
「そうね、そのようね。亜依音はクロと散歩に行ってらっしゃい。落ちないでね」
「は~い!」
若い娘はミーナとアレクサンドラ。馬から落ちたのは、沙霧。ちびちゃんがママと言ったから、二人が母娘だとミーナは考えて、
「おめでとう! 沙霧さん。もう娘さんがいらっしゃるなんて、素敵だわ!」
「ありがとう、ミーナさん。・・・・ こちらへはいつ?」
「それよりもさー、とても暑いんですよ。早くお家へ入れて下さらないかしら?」
「ごめんなさい。直ぐに玄関のカギを、カギ・・・・あ! 忘れれた!!!」
「もうドジ!! 昔と変わりませんのね?」
「もう恥ずかしいの連続だよね、庭のバンコに行きましょうか。もう日陰になっていますわ」
「もう、三年になるのですね。タリンのお母様はお元気かしら?」
「はい、まだ棺桶も要らないわね」
「ちょっと! アレクサンドラ。親に向かってそれは酷いわよ」
「いいのよ、これ位。だって産まなければ良かった! と、言うのよ?」
「いい、母娘だね! 性格もぴったりかしら?」
「沙霧お姉さまも、さりげなくヒドイですよ」
ミーナとアレクサンドラ、沙霧の三人の会話が続いている。
「クロ! ・ ・ ・ クロ? ・ 帰ってらっしゃい!!」
「は~い、ただいま」
亜依音はクロと異世界の散歩から帰ってきた。
「亜依音。今からお客様をお母様の所へ案内するから、手伝ってちょうだいね」
「もう帰るの?」
「うん。お母さんはここで待ってますから、先にお二人のお姉様を送って頂戴! とても丁寧にお願いね。異次元に落としたら大変ですからね?」
「うん、落とさないようにする」
二人はこの母娘の会話に少しばかり恐怖した。
「さ、お二人とも。早くクロに跨ってください」
「・・・・いや、これは・・普通に・・その、怖いんですが・・・」
「しようがないわね~~、亜依音! 乗せてあげなさい」
亜依音は聞こえないくらいの小さな声で呪文を唱える。
「いや! イヤ! これ? なに? 」
「ヤ、ヤ。怖いわ。わ・わ。わ!!! わーーーーー」
嫌がる二人の娘の叫び声が、引きつった顔から、大きく開いた口から洩れる。亜依音の身体は宙に浮いていた。 すぐに二人の身体は宙に浮き、亜依音が二人の身体をささえるようにしてクロの背中に導いた。
「ヤ、ヤ、やめて~~!!!」
アレクサンドラは本当に怖いのだろう。高い悲鳴を口走る。
「ダメだよ。巫女のお姉ちゃんでしょう? 強いのでしょう?」
亜依音は知らないから、ミーナとアレクサンドラを巫女だと思っている。ミーナは大きく口を開けたまま、身体は固まっていた。
「ママ、待っていてね。すぐにもどる・・・」
ミーナ、アレクサンドラと亜依音を乗せて、クロは苫小牧へと翔けて行った。
「やれやれ、今のうちにと、やんちゃの亜依音の着替えを持って来るか!」
沙霧は忘れたはずのカギを使って家にはいり、さそくさと亜依音の着替えをバックに詰めた。亜依音は直ぐに戻った。
「クロ! 今度は私ね。もう落とさないでよね、とても痛いんだから・・」
「ブ・・・・ヒ・・・・ン」
「痛~~~、」
「イテテェ~~~」
「痛~~~ぃ、イテテテ!!!」
「早く、桶に水を張って持ってきて。タオルは・・・そう、六枚ね・・・」
1955年8月(昭和30年)北海道・苫小牧
*)母娘の葛藤
亜依音は1953年6月8日に生まれた。もう二歳になる。走る事も普通に出来る。歴代で最速の成長なのかも知れなかった。
「ごめんなさ~い。少し大胆だったかな」
「さ、もう大丈夫かしら?」
「亜依音ちゃん。お母さんも落ちるのだから、大丈夫よ! 亜依音ちゃんの所為じゃ無いわよ」
ミーナとアレクサンドラが亜依音を弁護した。
「てへへ!! クロと遊んでくる」
亜依音は一目散に外へ駈け出した。桜子は、霧の隔世遺伝? と考えた。そして桜子は全員の召集を掛ける。
「さ、ミーナとアレクサンドラ。アンナとキャスの伝言を聞こうかね」
ミーナとアレクサンドラも、桜子もお互いに訊きたい事は山のようにある。三人が三人とも、クロから落馬して打撲をしたものだから、挨拶とかが出来ないでいた。
「あんたらが、日本までどうやって来たかは訊かないでおくからね」
「はい、お教えができませんもの」
「タリンでなにか、大きな出来事でもありましたか?」
という桜子の問いに、ミーナが答える。
「いいえ、もう平和そのものです。未だにソ連軍に占領されていますが、この事を外せば? ですね」
「そうなんですか。戦争はまだ続いているのですね。1991年まで待ってらはいられないわね」
「桜子さん、ソ連と戦いは止めて下さい。エストニアという国が滅んでしまいます」
「あら! 私はそこまで強くはありません」
三人が無駄話しをしている間に、全員の巫女が集まった。
「お母様、ただいま~。お二人を連れてまいりました~」
桜子は三人の娘に、おう、と軽く返事して、出迎えた二人には軽く挨拶した。
「デルフィナ! 急に呼び出してすまなかったね。カムイも忙しい時に悪いわね」
「いいえ、久しぶりに皆さまと会えるのですよ、もうわくわくして参りましたわ」
「なんでぃ、暇だと分かっているくせによ。でも双子を見た時は嬉しかったぜ!」
「ミーナとアレクサンドラ! おひさ~」
綾香と彩香が嬉しそうに声を掛ける。
「わ~、お二人とも綺麗になっていますのね~」
「よーう! ミーナとアレクサンドラ。元気だったか!」
カムイコロが明るい声で二人に呼びかける。
「ええ、それはもうとても元気ですわ」
桜子はエストニアで二人の母から聞いた事を思い出した。
「東モンゴルに伝わる蒼き狼の伝承だ。調査は始めたばかりで詳細は不明と言う。それは、「ポル=バジン」 蒼い血のオオカミを召喚した? という伝承だった。
桜子は内心、
「そうか、あれから3年が過ぎたのね。きっと、蒼き狼の伝承が分ったんだわ。また、シベリア、モンゴル、モスクワ、エストニア等、旅行するのかしら。沙霧にはとても辛いかもしれない・・・・」
桜子は既に北欧へ旅立つ予定でいた。桜子の心の呟きが漏れていた。
「これが最後の旅になるわ。戦争よ! 桜の勝利だわ!」
「桜子さん。母が蒼き狼の伝承に付いて、詳細が判明したから、また、ここに来て欲しいと言ってます。また巫女の全員を、集める必要もあるのだとか・・・」
桜子の母とホロが仲よく部屋に入ってきた。
(さ! 今から女の戦いを始めましょうか? 鹿子生のお母様?)が、無事に終わったと感じた。桜子は母の二人の戦いからは逃げてきたから、結末は知らないでいる。
年老いた母に二人の訪問の目的と、これからの行動の目的を話した。娘の話しを母は頷きながら大人しく聞いている。母は淋しい思いで聞いているのか、目が細く開けられて心ここに在らず? みたいな表情だった。この事はホロには理解出来たが、当の娘は熱がこもり過ぎて気づかないで話を続けている。
桜子は最後に、
「お母さん、また心配をお掛けします、ごめんなさい。でもね、もう、これでね 最後になりそうなの。巫女を終れそうなのよ。朗報よ。最後の戦争よ!!」
桜子はほんのりと顔が紅潮してきて、桜色になっていた。
「そうだね、桜子たちはまた北欧まで旅に出るんだね」
桜子とは裏腹に、少し淋しそうに桜子の母がつぶやく。
四人の娘達は桜子と母の問題だと思い誰も口を出さない。桜子と母と、ホロの母娘対決で桜子は早々に退席したために、誰もが問題解決になっていないと考えていたからからである。本当に聡い娘たちだ。
桜子は何処かしら淋しく言い放った母の口調に、はっ! とした。それからの桜子は今まで話してきたであろう、母娘の会話を思い出そうと努めた。桜子が思ったのが、
(え? なに? 今までは? 挨拶と用件を話しただけなの? 他には娘として母に報告を告げただけ? 今まで母娘の会話が! そう、会話が無かった)
母娘の仲が悪いとかは全く無いと、そう考えた桜子は愕然とした。
(そうか、私もニキータと同じだったんだと思った。人の事とか言えないな)
少しの時間だったが、桜子は長い時間を自問していたように感じた。
「お母さん。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
桜子はこれ以上何も言えなかった。
桜子の母は、やはり細い目で娘を見ているのは同じだったが、口元が緩んだし、表情が柔らかくなっていた。
「そうかい、そうかい。最後の旅になるんだね」
母はそう言いながら、何度も頭を縦に振っていた。やはり母である。桜子が言う意味は理解出来ていた。ごめんなさいとは、旅に出ますから! という意味では無くて、今まで何も話してこなかった事に対する、娘から母への謝罪の念を指していた。
「あんつこと、はなか。おらとばっぱも同じだべ」
桜子は一瞬石巻のお婆ちゃんの言葉と同じと思い、顔を上げて母を見た。母は遠い昔の母を思い出してしまったようで、お国なまりの方言が口を突いて出た。きっと母も、母から同じ事を言われたのを思い出したから、とっさに口に出たのだと桜子は考えた。(心配事は無いよ。私もお婆ちゃんと同じだよ)
「お母さん、ありがとう」
短い言葉しか紡げなかった。桜子と四人の娘たちには、紆余曲折、言い争いもあったが、沢山の会話は出来ていたと思う。とても悲しんで泣いた事もあった。でも桜子と母との間では、会話が無い、そう、反対の意味での悲しい事であった。
「さくら、よく聞いておくれ。ばっぱの遺言だ。メガネを取ってくれないかい」
母は、よれよれに古びた一枚の紙を取り出して見つめた。口でもごもごと、声に出さずに読んでいる。ぎこちないから難しいのだろうか。
「『せいりゅう・びゃっこ・すざく・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ』だよ、いいね」
母は読み上げたらその紙切れを、また、丁寧に紙を折り畳んで桜子の前に放るようにして渡した。ぞんざいな扱いかたが、母としての母娘の別れと観念した感情の現れ方なのだった。
呪われた力を=祝福された巫女の力を娘に伝える時が、とうとうやって来たんだな! という複雑な感情が込められた渡し方だろう。淋しいというか、空しいというのかは分らないが、巣立っていく子供を送る親の心境と同じ。
この文字を母は今まで何度となく読んできた。渡さねばと思うが、まだ娘は小さい、まだ若い、そして、大学に行き行方不明になった。生きているのかととても心配した。巫女の運命だから災厄は望まずとも、向こうからやって来る。生きて戻ると思いながらも、いざ戻っても渡せなかったのだ。
もうその時が来たと観念しても、辛くて渡せなかった。その後も巫女として、働いているのは、薄々感じてはいたが、やはり渡せなかった。今日は家族で私に会いに来てくれた。これは、巫女としての母娘の対話になると母は感じた。
所詮抗ってみても、巫女の運命は一方通行で前に進むしかないのだ。逃げ道の横道すら用意されてはいないのだ。自分には巫女としての運命は、何も無かったと言えるが、桜子の祖母には満州での事があった。あわよくば桜子には何も事件が起きないように祈ってきたというのに。
よし! 今日こそは娘と、巫女として向き合おう! と、観念したのだった。いざ向き合っても、言えない、話せない。おまけに桜子は途中で出て行く。自分は呼び止める事が出来なかった。やはり今でも同じだ。向き合っても話せないでいる。
桜子は何も言えなかった。渡された紙切れを広げて黙って読んだ。
受け取って見るとその紙には、判読が難解な達筆で書かれている。古くてやや文字も滲んでいて読めないが、なんとなく文字が見えてきた。
そこには、『青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女』と書かれてあった。
「ほれ、夜は家族で話すんじゃろ?」
ぽつんと一言母は言って、夕食の準備にと台所に行った。
「お母さん!」
同じく娘も一言で終わった。
母と沙霧と澪霧とホロが夕食の準備の手伝いをする。男二人とカムイコロに向かって桜子は、
「あんたらは酒、飲んでおれ!」
若い娘たちはエストニアと日本の交換話しで盛り上がっていた。
「はやくおうちへ、はいろう!」
「久しぶりだね~」
「こんにちは。こんにちは~ お邪魔しま~す」
「は~~~~い!」




