第76部 ビクトリアバスティオンケースメイツ
1952年12月(昭和27年)エストニア・ナルバ
*)お母さんのお墓に
首都タリンからここナルバへと出てきた。このナルバには母の霧が眠る地下墓所があるのだから、ようやく念願が叶ってお母さんのお墓参りが出来る。
桜子お母さんと麻美さんは何となく気落ちしたみたいでナルバには来たくはなかったのかな。そりゃ~暗澹とした暗い空が広がれば誰だって暗い気持ちにもなるものだ。昨日のルカの言葉が頭に浮かんだ。
「そんな事を考えたらダメよ、いくら淋しくてもね。気持ちの後ずさりはさ、いい事はないよ」
「澪、行くわよ」
「オ~ケ~ねぇちゃん、明るく振る舞うわ」
これは昨晩の姉妹のお約束なのね、妹の二人にもお願いしていたが、こいつらはマジで地をゆくアホの塊かもしれなかった。だってさ、なんで民族衣装までも着る必要があったのかが理解出来ない。
「あ、これね? そこにあったからよね」
「ね~……」x2
沙霧には赤いスカートを、澪霧には全身が黒い服でとても可愛い。私はお二人にお礼を言った。
「ミーナさんにアレクサンドラさん、娘たちに大事な服を着せて頂きありがとうございます」
「そんな事は気にしなくてもいいわよ。もうじき道案内が来るからそれまでにはママも明るくなりなさい」
「え、あ、はい。そうですわね。明るく明るく……」
「涙を流してどうしますか、これから向かう墓所には似合いませんわよ?」
「こら麻美、泣くんじゃないわよ」
「分かっているわよあんたもでしょうが、でも大泣きするのが分かっているから来たくはなかったの。妹はなんて馬鹿だったのかな悔しいな~」
「妹さんなのですか?」
「えぇ二十歳でこの世を去りましたので、今の私の命を分け与えても良いくらいなんですよ」
「でも、麻美さんはそれ程お歳は召されていませんのよね?」
「だって埋葬されたのが……1916年ですよ?」
「あ、そうですね、私が産まれる前ですから……数えないで下さい」
「無理よ、五十六年にはなりますわ?」
「三十三歳です……」
「あらあらミーナ、そこは以前に話したわよ、忘れた?」
「だってお母さん、理解が出来ません」
「そこはしなくていいわ……お待たせしました。さ、行きましょうか」
私たちが訪れたのは第二次世界大戦の前だから、戦中に破壊されたナルバは今や立派な街になっていて、とてもではないが当時の街を思い出すことさえ出来ない。
行き先はビクトリアバスティオンケースメイツという博物館なのだが、当時の遺跡を丸ごと残した博物館へと整備されているらしい。ならば遺体はどうなったのだろうか。
「当時のままに保存されるなんて日本ではあり得ません」
日本は遺跡が出てきても黙ってブルで壊すんぼだから、本当に信仰心も有りはしない。
「それは丸ごと移設ですから当時の面影は残っていません。だから霧さんの遺体は分からないと思います」
これを聞いて私と麻美はつい、ふらふらっとしてしまった。娘たちには聞こえていなくて良かったと考えた。
広い公園の道を歩いて行くと風化したレンガ積みの塀が見えてきた。
「あれはロシア兵と弔った慰霊碑があるのですわ」
「エストニアの人は心も広いのですね、ロシア軍が進行してきたのですよ?」
「皆……殺されましたわ、誰かにね?」
「私たちは部外者です、殺しはしていません」
「うふふ……そうでしたわね」
ここナルバはナルバ川を境としてロシアと国境を接している要所で、これならばロシア兵も弔ってやるのも理解ができる。ナルバ川に沿って海に向かったので少し散歩をしたような道案内だったかも。川向こうにも長閑な風景が広がっている。
一言……寒すぎではありませんかね?
第二次世界大戦の東京のようにロシア軍はこのナルバを徹底的に空爆して破壊してしまう。
ビクトリアバスティオンケースメイツという博物館に着けばお金を払って地下墓地へと降りて行った。
「わ~ここはとても暖かいな~」
「ほらほらこんな処で騒がない、人々の魂が目覚めてしまうわよ」
「お母さん……泣かなくてもいいの?」
「う~るさい、黙れ、向こうへ行ってろ!」
「綾香、彩香……澪も行くわよ」
「は~い」x3
地下は照明も明るくて当時の面影は本当になくなっていた。麻美は、
「霧を埋葬した場所は思い出せないよ」
「私はお参りに来たけれどもね、入れて貰えてないの。麻美は忘れたら駄目よね」
「あ、そうだったわね、ごめんなさい。今から思い出すわよ」
ビクトリアバスティオンケースメイツ博物館を出て改めて埋葬された墓地を訪問した。そこで目にした沙霧と澪霧は立ち尽くすのだった。
慰霊碑を残して全てを埋められていただなんて考えもしかった。
「これではお母さんが地上に出ることが出来ないじゃないのよ、穴を掘って迎えに行くわよ。」
そこには街路樹が枯れ木のように並んでいて、丁寧にも多くの雪を積もらせていたのだから。海と川沿いという条件が雪を降らせるのだろう。そう言えば当時も雪が多かったと思い出す。
「お姉ちゃん……無理を言わないの、近くにも行けないだなんてね」
「澪……悲しいね」
「うん、そうだね」
「ママに会えるように念じてロザリオに祈るわよ」
「うん」
私は沙霧と澪霧の二人だけにするようにお願いして、皆は離れて日本で言う処の「四阿」に座って二人を待つことにした。でも……寒い~~~!!
「お母さん……お姉ちゃんが居ないよ?」
え? 二人が……消えている。足跡が消えているからきっと並行世界へ行ったものと諦めて待つ事に決めた。これが雪のない時季だったらきっと探して回ったはず。
「桜、ここで全員が待つ必要は無いはずよ、交代で見張りましょよ、ね?」
「そうね、そうよね。交代で……でも私は待つわよ」
1916年(大正5年)10月15日 並行世界 エストニア・ナルバ
*)並行世界の沙霧と澪霧
私たちは過去に飛んだみたいで辺りの雪は全く積もっていなかった。それ以前に街ゆく人たちの殺気が強くて私らが気落ちしそうになった。
「ねぇ~何処なのよ」
「エストニアでしょうが、地形は似ているから間違いないわよ」
「だとしもよ、ママの居る世界とは違うのよ」
「澪、ママに会いたいと強く願うのよ、そうしたらママの方から迎えが来るはずよ」
「でも何処に行けばいいのよ」
「そうね~ママたちは複数だったのよね、先ずは日本人を探す事ね、行くわよ」
「うん」
沙霧は道行く人に声を掛けて日本人を見かけたかと聞きに行った。こんな処はお姉ちゃんだな~と思ったりするが。直ぐに断念する事になった。
「ここはサイレントの世界ね、声も聞こえないし私たちも見えていないようだわ」
「え?……そんな~」
「だって、ほらね?」
「あ、人が身体をすり抜けた!」
「これならば何処にでも行けるわよ、歩いて探すだけだよ」
「そうね、頑張りますか」
「案山子のように立ち尽くすのは嫌よね、ならば……ママは身重だから安全な地域を探すまでよ」
「そうね、街でも歳行ったお年寄りはお産の経験があるから裏通りを探すわよ」
「オーケーねぇちゃん」
大雑把な性格のお姉ちゃんに任せておけば人捜しなんて安泰よ、でもね……これはとてもとてもガサツだよ?
私は澪、農民の形をした人々の行動を観察して人の流れを考えた。
「沙霧、多くの人は北の方角から来るみたい、ここは街としての中心部だとしたら多くは生活していないよね」
「そうね、今から行くのよ、ベッドタウンへ」
「へ~そうなんだ、沙霧も分かってたんだ」
「当たり前、できるだけ農民の人がいいわよね。だってご飯を買うのも農民の人からよ」
「そうだね、うふふ……」
目指す方向へ道があるでもなし、進めば西に向かっていそうだわ。だだっ広い大地を見下ろす山なんて存在していなとは、なんと不便だろうか。日本には山が在って見晴らしが利くのは良いものだと理解した。目標が見えないとは水泳でプールを一キロを泳ぐのと同じだと思えた。一キロは一時間で泳げるのよね。歩けば十分泳げば六十分……?
その六十分が過ぎた頃に住宅街が見えてきた。見えたのは屋根が幾つかだけね、畑ばかりの土地に屋根が見えれば、それは街と同じよ。
村の入り口にポツンと一軒家があつて人の出入りが多くて気になった……スーパーだったとは。日本で言う処の駄菓子や程度のお店があった。
「ねぇ此処で休んで見張ろうよ、きっと誰かが買い物に来るからさ」
「面長で色黒の日本人ならば直ぐに見つける事が出来そうね、でもね~」
「あら……阿部教授じゃない?」
「あ、そうだわ。教授もこの世界に飛ばされたんだから話も通じるわよね」
「さ~……どうでしょう」
私たちはエストニアの民族衣装を着ていて色白よ、直ぐに日本人だと気づいてくれたらいいのにね。
気づかないで通り過ぎてしまう。村へ向かうから、
「沙霧、追いかけるわよ」
「そ、そうね澪」
阿部教授に付いていって隠れ家に着くことが出来た。でも……悲しいかなママは既に息も絶え絶えだったみたいで、私たちに気づく事は出来なくて。
「澪、私はどっちかな」
「え?……あ、産まれているわね、わ~シワシワの赤ん坊……可愛いな~」
「ママ、しっかりしてママ、沙霧よ、未来から会いに来たのよね~ママ私を見て、おねがいよ~」
「沙霧……分からないみたいだね。でも嫌だな~」
ママは必死になって麻美さんへ伝えている、もう私は我慢が出来ない大泣きになった。でも最後のママの言葉が聞けて良かった。それは、
「お前は、沙霧。モンゴルの大地、それは水が無い、乾ききった大地の意。きっと、思い遣りのある優しくて素直な子になる。妹を守ってね」
霧は左の次女に微笑みかけながら、
「お前は、澪霧。シベリアの大地、それは沢山の水が、潤い満ちる大地の意。きっと、何処まででも自由で活発な子になるわ。姉を助けてね」
「うん、ママ、沙霧は思いやりのない娘になったよ」
「澪は甘えん坊で引っ込み思案に育ったんだよ」
「ね~ママ、ママは名前を取り違えていないのか」x2
「若しかしてパパが名前を間違えたの~~??」
性格なんて後付けだから今日からでも直す事が出来よう……。
「沙霧、澪霧に触ってみて」
「澪霧、沙霧に触ってみて」
「あ、」x2
私たちは産まれた私たちに吸い込まれるようにして消えてしまった。少しは赤ん坊になっても意識は残っていたようで、ママのお乳の感触が蘇るのだった。
私たちは過去から無事に戻れて今はアンナさんのベッドに寝ていたのだった。お互いが泣きじゃくり枕を濡らしていた。それが真夜中だったから姉の威厳は保たれて良かった。
朝になれば皆が見舞いに来てくれて「良かった」と、口々に言ってくれたが、
「あんたたち、霧に会えたみたいで良かったわね」
「麻美……ママ、うん会えたから嬉しい」
「ママは私たちを産んで息を引き取る直前だったのね」
「そう……良かったわ」
「でもね、もっと前に飛んでいたらママの命と引き換えに出来たと思うの」
「澪~~~なんて事を言うのよ、直ぐに謝りなさい、桜と智治さんにもよ」
「え?」
「澪、それを言ったら私たちは存在していないわよ、分かるよね」
「うん、麻美ママ……ごめんなさい」
この場に居た者は分からずにキョトンとしていたな。でもこの場に桜子ママがいなくて良かったと思う。だって澪の私が言った言葉は全てを全否定するのだったから。
この日は大人しく休んでいたの、翌日にはママの残滓を探しに行ってもママは居なかったと思うのね。
ママは何処に行ったのかな、絶対に探し出すのだと息巻くが白い息を吐いて言うと、なんだかな~……。
取り違えも何もあったものではない、諸悪の根源はだ、
「沙霧、澪霧に触ってみて」
「澪霧、沙霧に触ってみて」
これだなと日本へ帰って気がついた、全部が己の仕業だったとはな~。いや違うのだと思い返すと左右が既に間違っていた模様ト結論を出した。




