5.六月は湯煙桃源郷で!(後編)
~4より~
「うちのコ達が迷惑を掛けたそうだね?」
苺牛乳を飲んでいると、清風さんがするりと背中に凭れて、肩越しにそう聞いてきた。
「いえ、あたしは何も無いんですけど、ちょっとトールが死にかけてました」
くくく、と肩を震わせている処を見ると、確信犯らしい。
「たまたま大きな街に行った時にね、あれくらいの女の子達が一生懸命に本を選んで、沢山買い込んでいる市を見掛けたんだ。
それで土産にしたら、あの二人も喜ぶかなぁ、と思って頼んでお薦めを何冊か買ってきて貰ったんだよ。
そしたらそれからすっかり嵌まっちゃったらしくてね」
意外だったなぁ。とか、トボけてはいたが、
「ほう。わざとらしく、あの二人の話を事ある毎にしていたそうじゃないか」
ゆうかさんが口許をひくつかせて、第3のビールをがぶ飲みしながら歩いてきた。
「道理でお前さんがプレミアチケットなんざ、気前良く振る舞ってくれた筈だよな」
まったく
緋毛氈の敷いてあるその椅子に熟女も腰を下ろすと、
清風さんは彼女のビールを取り上げて、残らず飲み干してしまった。
「女性がヤケ酒なんてするもんじゃないよ」
「‥お前、祭りの主賓が直前に酒なんて呑んでイイのかよ?」
売店で苺牛乳を買うと、水の色彩を持つ美青年は、ビールの代わりにゆうかさんに持たせる。
「これくらい、お神酒にもならないさ」
立ち去った青年と入れ替わる様に、ヤン先生と地獄から帰還したトールが現れた。
「‥終わったのか」
「‥敵も中々の強者でしてね。今日の処は引き分けです」
何処か悔しそうなヤン先生を余所に、あたしは飲みかけの苺牛乳をトールに差し出す。
「大丈夫?トール」
「─────うっうっ、貴女だけが僕の味方ですよ」
トールは感極まった顔をして、少ししゃくり上げていた。
全員揃った処でゆうかさんは今日の騎猫である大輔君を、騎獣用の温泉に入れてやるつもりなのだと手を振って他の建物に行ってしまった。
雨はいつの間にか霧雨に変わっていた。
先生は小さな小指くらいの小瓶をあたしにくれる。
「都合良く涙が出るとは限りませんからね。
4時までに各自、嬉しかった事でも、悲しかった事でもいいですから、思い出してその瓶の半分くらい涙を溜めておきなさい」
★
《滋雨祭》は豊饒の祭り
雨の恵みに喜びを、
心の涙に疲れを癒し
さあ、掲げよう。
水色のヴェールを、
さあ、掲げよう。 明日への希望を
賑やかなお囃子が聞こえてきて、見上げる程の巨大な櫓が組まれた河原の広場に、
《涙誘草》の蕾が沢山並んでそよいでいた。
蕾に大勢の人達(人外も含め)が次々に涙を落としていく。
ぱぁん!
ぷぁああぁん!ポ・ポ‥ポポ‥‥ぷぁああああぁん。
そんな波紋が広がる音を立てて、蕾が綻んでゆく様は圧巻だった。
瑞々しい花は透ける様な花びらを広げ、中に《蜜》を 蓄えている。
涙を花にあげた者は、その甘露を掬って喉を潤す。
それを飲んで者はこの雨の祭りの終わった後でも風邪を引く事も無く、
心も穏やかでいられるという。
ゆっくりと鈍色の空も夜の気配を伝えてくると、
至る処に配置された花灯籠が柔らかな光を放ち始めた。
その夜ばかりはどんな意地っ張りも、頑固者も、堂々と泣いていい。
花の為にと理由をつけて、精一杯声を上げても、
たとえ慟哭しても構わない。
父を失った者も、母を失った者も、恋人を亡くした者も、男も女も、父も母も、子供も。
皆、自分の為だけに泣いて泣いて。心に秘めた熱い塊を洗い流すのだ。
そうして枯れ果てた喉を《涙誘草》の《蜜》で潤して、癒される。
それが、《滋雨祭》
二年もの間、懸命に生きてきた人々と大地のお祭りである。
「こんな処に居たんですね。探しましたよ、ユキ」
あたしはお囃子が聞こえるギリギリの場所にしゃがみ込んで、川の水を眺めていた。
誰にも見られた筈は無かったのに、ちょっとだけ抜けて、すぐ戻るつもりだったあたしを、
やはりヤン先生は見逃さなかった。
「ゆうかが心配していました。‥また、何かを抱えている様だと」
あたしはちょっと微笑って、先生を見上げた。
「何でも無いんだよ、先生。泣く程の事じゃ無いんだ。だから、抜け出したんだよ」
涙が出る事じゃない。どちらかというと恥ずかしい話だし。
先生は湿った風を切って、あたしの傍に座った。
「ユキ────何でも無い人はそんな顔はしません」
伏せた顔を上げると、先生はあの時の顔をしていた。
大燕に乗って大きく手を広げた、あの時の。
「見えない振りをしても、その刺は油断した時に限って貴女を刺すのでしょう?」
胸元から小瓶を取り出すと、先生は中身を二人の間の地面に降り注いだ。
すると、どうした事だろう。
その場所が一瞬光り、蕾のままの《涙誘草》がむくむくと頭を擡げたではないか。
「ヤン‥先生…」
先生は花を指差して、不思議な笑みを浮かべた。
「この花は貴女の花です」
揺れる《涙誘草》はそうだ、と言わんばかりに瑞々しく輝く。
「貴女の為だけに生まれてきた花です」
喉の奥がつん、とした。
「責任重大だなぁ、はは、困っちゃう」
乾いた笑いを一つ立てると、あたしは蕾をそっと両手で囲んだ。
「大した話じゃ無いんだよ。…友達とお昼ご飯をグループで食べてたんだよね。うん、ずっと仲良しでさ。
そしたら、ちょっと反りが合わないコが居てね…」
大きく息を一つ入れる。
「ある日、誰だか知らないけど、噂で聞いたんだ。
美雪ちゃんとご飯、食べたくないって、グループの子が言ってるってね。
あたしはすぐ、その子の事だと思った。
だから、ちゃんと聞いてみたんだよ」
あたしが嫌いなの?
ぽろり、
一つ。涙が零れ落ちた。
「違ったんだよ」
刺が、抜けない刺が刺さった瞬間だった。
「そのコじゃ無かったんだ。
‥‥その子以外の全員だったんだよ‥」
悔しかった。
そして、何より恥ずかしかった。
その子を疑った自分が、何より、そのコ以外の友達に好かれていると思い込んでいた自分が。
友達だと思っていた。仲良しだと信じていた。
それが、蓋を開けてみればどうだ。
お昼ご飯を一緒にする事すら厭われていたなんて。
誰が友達だ。そんな価値すらあたしには無かったんじゃないか。
叫び出したくなる程、恥ずかしくて、
悲しかった。
涙が続けて、ぼろぼろと蕾の上に滴り落ちた。
「…こんな涙で花を咲かせるこのコが‥可哀想だよ、先生‥」
先生は自分のジャケットの雨を払うと、あたしをそれで包み込んだ。
「さて、どうでしょう。‥‥花に聴いてみては如何ですか?」
更に先生はポケットから二色の玉を取り出して、指で砕き、咲く寸前の花に振り掛けて見せる。
「耳を澄ませて」
先生は人差し指を唇に当てて、緑の瞳を糸の様に細めた。
ほんの微かな、音、だった。
………アリ、ガ、ト…
……ナミ、ダ…アリガ、トウ………
「───────喜ばれている様ですよ?」
あたしはただもう、馬鹿みたいに泣きながら、
何度も頷く事しか出来なかった。
先生はふと、空を見上げて、
あたしをひょいと肩口に抱え上げた。
「────ご覧なさい。祭りがどうやら、クライマックスを迎えた様ですよ」
空が輝く様に白んでゆく。花火かと、思った。
でも、こんな霧雨の中、湿気ってそんなもの打ち上げられる筈も無い。
見る間に白く長大な身体をうねらせ、天に昇ってゆく、白銀のそれは…
「龍、だ」
輝く水色の玉を握って、白く長い髭をそよがせ、プラチナの様な美しい光沢の鱗の連なり。
彼は、空を暫くたゆたうと、
何と、一気にこちらへ飛んで来た。
川面すれすれを掠めた龍の輝く水色の瞳と一瞬、視線が絡んだ気がした。
「ねぇ、ヤン先生」
「何ですか?」
「あの龍、あたしにウインクした…!?」
再び天に戻った龍は、左右にちっちゃなピンクの龍を連れていた。
先生は笑って、《涙誘草》から蜜を掬う。
それをあたし達は仲良く半分コして飲んだ。
「お嬢さん方は、風邪を引かなければいいんですがねぇ」
笑いを含んだ声が届きでもしたんだろうか、
ピンクの龍達は揃って、遥かな宙でくしゃみをする様に身体をくねらせた。
~7月のお話に続く~




