6.七月は竜宮、時の彼方へ(前編)
「……はあ」
「…………」
「…………ああ」
「…………何ですか、一体!」
ヤン先生の真夏の嘆きに、遂にトールが突っ込んだ。
「男ばかりがこうもムサ苦しいものだとは――――」
理不尽な師匠の物言いに、銀髪の弟子がテーブルを、ちゃぶ台返しでひっくり返す!!
「毎日毎回、どうして貴方はそう理不尽なんですカーッ!?」
これがあたしの居ない間に起こった、ヤン先生ンちの一幕らしい。
らしい、ってのは…
「はい、今度は車内でゲームをやっていきまーす」
バスガイドの脳天気な声が響き渡る。
このヒトはあんまり空気が読めないらしい。
そう。ここはバスの中。
あたしは今、夏の臨海学校の帰りなのであった。
皆、はしゃぎ過ぎて疲れ切っている。
クラスの半分はうつらうつらと眠そうだった。
まあ、駄菓子屋で当たった電池式の小さい扇風機は微妙に役に立ったし、
それなりに海は楽しかったし、あたしは大分油断していたんだと思う。
だから、そんなモノがボックスの中に入れられていたなんて知らなかったし、知る由も無かった。
バスガイドのお姉さんが用意した箱。
それは『いつ』『誰が(何が)』『何処で』『どうした』という箱で、無秩序に書かれた紙を適当に拾い上げて、繋げるというゲームだった。
まあ、単純だが入れた人間が違うのだ。それなりに繋がらない処に笑いが起こる。
そうして、それは読まれるべくして読み上げられた。
『いつ』「昨日」
『誰が』「とっつけM・Kが」
『何処で』「学校で」
『どうした』は聞こえなかった。
ははは‥“とっつけ”って言うのは、方言なんだ。
意味はね…。
────────チクったヤツ、ってコト。
M・Kが、“春日美雪”を意味する事なんて誰にでも分かる。
あたしは昔、男子の苛めを先生に告発した過去がある。
眠り掛けていたクラス全員の、物言わぬ視線と好奇心があたしを突き刺した。
「…M・Kなんて、何処にでも居るもん…」
俯いたあたしの呟きに同意してくれる女子も居なければ、ニヤニヤした男子を止める先生も居なかった。
「──────何ですかね、この“とっつけ”‥」
鈍感なバスガイドが、そう意味を尋ねようとした、
その時─────────
「何処にでも、馬鹿が居ますね」
低く、怒りを堪えた声が、不意に車内を切り裂いた。
色褪せた蒼いスタンドカラーのジャケットを闘牛士の振る赤い布の様に翻し、何も無かった狭いバスの通路に黒髪の青年が現れた。
車内が驚きに包まれる瞬間、ヤン先生は右手を一閃させる。
赤い霧状のソレは皆の時間を止めた様だった。
「──────さて、」
先生は徐に胸ポケットから何かを出した。
それは一本のマジック。
まず、ニヤニヤしたままで固まった男子の顔に『バカ』『阿呆ヅラ』『卑劣漢』『臆病者』、
クスクス忍び笑いしあう、女の子の腕(さすが先生、女生徒の顔は避けたか)に、『なんちゃってクラスメイト』『偽善者』、スラスラと書きなぐったではないか。
あたしを見つけた先生は、
クラスの“担任”の前まで行くと、あたしを呼び寄せた。
「……先生?」
「この人は教師の風上にも置けませんね」
そう言うと、『大人失格!!』と顔の面積いっぱいに書いた。
バスガイドのお姉さんには少し躊躇っていたようだけど、結局、「長い目で見れば、貴女の為ですしね」と、白い手袋の上に、『もう少し、空気を読みましょう』と、▲を書き込んだ。
パンパン、と手をはたいたヤン先生は首を聳やかした。
そうして嘘の様に優しく、あたしに振り返る。
「さて、夏の思い出は楽しく仕切り直しましょう。
ユキ」
マジシャンの様に彼がパチン、と指を慣らすと、通路に空気で出来た壁が現れた。
「残念ながら、手だけが実体でしてね。強引にお招きする程の力が無い。
──────クレヨンはお持ちですね?」
ネックレスの様に、首から下げた袋に折れもせずに、それはきちんと納まっていた。
クレヨンは又、色を変えた。
今は青。
空を映した様な、海の青だ。夏の色だ。
「ゆうかの家が海の傍だった事は御存じですね?
三匹の大猫さん達と待っているから、
貴女を連れて来い、と厳命されました。
言う事を聞かないと、マロさんに乗って再び我が家の入口を破壊する、(一話を参照)と脅されて」
わざとらしく怯えた体を装って、ハンカチで空涙を拭いながら先生は指を三度鳴らした。
すると、どうだろう。
ユキそっくりの幻が現れたではないか。
「バスが到着する間くらい保ちますよ?
大丈夫、コレのお蔭で皆、貴女の反応なんて気にしませんとも」
油性マジックをくるくると回し、先生はそれを張本人(どうやって見つけたんだろう)らしき男子に握らせた。
悪魔の様な微笑みを浮かべて。
「…いいのかな?」
辺りを見回しながら、呟くと。
先生は暖かい実体の手で、乾き掛けたあたしの目尻を拭う。
「勿論ですよ。ねえユキ、怖い熟女から私を助けてくれるでしょう?」
見上げると、微笑った彼の糸の様に細められた目が慈愛に満ちていた。
漸く、解った。
ここから抜け出す理由をくれているのだ。
いつも、いつも先生はあたしを助けてくれる。
心から、そう思う。
“望むか”
ツキン。
頭が一瞬、刺す様に痛んだ。
「?──────どうしました?ユキ」
“心の救済を望むか?”
「う、うん。…大丈夫」
魂の奥底まで覗き込みそうなくらい真剣な先生の瞳。
右手が閃いて、指の間に挟まった種の様なモノを、飲み物を持ったまま固まった隣席のコのカップにポトン、と落とした。
フワリ、と痛みを和らげる良い匂いが車内に漂っていく。
途端、痛みが全く消えて、驚いた。
本当に本当の大丈夫になる。
「今はまだ何も考えないで、ユキ。子供の夏は楽しくなければ、さあ!!」
誘われるままに透明の壁にあたしは青い扉を描いた。
★
ざああああぁん、ざざ、ざあぁああん…‥
寄せては引く波が心地良く耳に響く。
空は何処までも青く、筋状の雲が流れてゆく。海だ。
上空から羽を生やした白猫キャティを駆っていた先生は手綱を軽く引いた。
「ほら、ゆうかの家が見えてきましたよ」
売れない小説家である熟女の家はまるで、ベビィピンクのキャベツかチューリップの様で、どういう造りなのか、円形なのである。
「可愛いね、先生。ゆうかさん家てもっとゴツいかと思ってたよ」
「…本人に言ってはいけませんよ?確かに性格も体格も骨太ですが、女の子に対しては格別に優しい。
特に貴女からのダメージは深刻に突き刺さる様ですから」
あたしはクスクスと微笑った。
「当たり前だよー、言わないって。
先生、普段結構ヒドいコト言ってる割りにはゆうかさんに気を遣ってるよね」
そうあたしが彼の胸を裏拳でノックすると、沈黙が漂う。
振り返ると、ヤン先生は妙な顔をしていた。
複雑な、何か得体の知れないモノを食べさせられた様な表情で‥はっ、とあたしを見る。
「長い付き合いですからね、あの女性とは」
いつもの笑顔に、あたしは“ホッ”として着地した、キャティの首に抱き付くと、ぐるりと回ってその背中を降りた。
「分かってるよ~。『女の人は』」
「『老若の区別を付けない』」
先生の決まり文句を、人差し指を天に立てたあたし達は続いて唱える。
あはははははははっ!!
笑いながら波打ち際を駈けて行くと、目の前に眩い銀の煌めきが光を反射していた。
トール少年だ。
いつもの格好に白いエプロンが可愛い。
「トールぅ、来たよー!!」
彼がおやつのトレイを抱えたまま、こちらを振り返った。スミレ色の瞳が輝く。
「ユ」ドドドドドドドーッ!!!
ニャンニャン、とあたしはゆうかさん家の、二匹の白大猫さん達に囲まれた。
見ると、おやつだけは死守したらしいトールが倒れており、その背中には無数の足跡が。
僅かにドアが開き、家猫(白黒のブチ)さゆりちゃんがフンフンと、彼の匂いを嗅いでいる。
「さゆり、トールは意外と丈夫だから、まだ死んでませんよ」
キャティの手綱を外した先生がせせら笑いながら、のんびりと歩いて来た。
どうしてこう、このヒトは弟子に冷たいかなぁ。
「あーあ、何処も怪我してない?トールぅ」
ポーチにトコトコと駈け上がると、あたしは彼の手からおやつトレイを よいしょ、と取り上げ、背中を叩いてあげる。
「うっ、く‥ありがとう、ユキ‥」
肉球に踏まれた美少年は、健気に微笑むと、膝を付いたまま、あたしの方にその整った顔をぐい、と近付けた。
「この不条理な世界の中で、貴女だけが僕の心の支えです」
「大袈裟だなァ」
「いいえ、ご覧なさい」
あたしが笑うと、トールは白猫ちゃん達をびしぃ!!と指差した。
「あの白いケダモノ達を!!
全く飼い主に似て何処まで乱暴☆ゲフッ!!」
最後まで言えなかった医者の弟子は、ポーチの床板と お友達になっていた。
その背中には黒いフカフカした着ぐるみスリッパが乗っていた。
波止場でそのポーズを取ったのなら、さぞかし似合いそうな感じで、少年に足を乗せていた熟女は、あたしに爽やかに挨拶をした。
「ようこそ、ユキ。あたしン家に」
海外のネズミを象ったスリッパで小さく彼を均すと、ゆうかさんはトレイを持ってドアを開けてくれる。
茶色の髪をクルクル纏め、シックなココア色のパーカーの彼女は七分丈のデニムという軽装だった。
「臨海学校はどうだった。楽しかったかい?」
あたしはあんまり嘘が上手くない。
でも、精一杯笑った。
「うん!でも、楽しい『続き』があるのはあたしだけだね!御招待ありがとう、ゆうかさん」
熟女はあたしをするり、と笑顔でドアの中に送り込むと、ぱたんと閉めてしまった。
バキイィ!!───────ズシャアアアッ!!
外で物凄い音がした。
慌てて確かめようとして、カギが掛けられている事に気付く。
あたしは辺りを見回して、窓に張り付いた。
『間に合え、と私は言ったよな?ヤン』
殴り飛ばされていたのは、先生だった。
砂浜で唇を拭いながら僅かに頷いている。
『済みませんでした、ゆうか』
後ろ姿からも彼女の、燃え立つ様な 怒りが感じられた。
ゆうかさんは知っていたんだろうか。
まさか、あたしが傷付く事を予知したの?
裏口に回ったあたしが飛び出そうとしたその時、玄関のドアが開き、普通に二人が入って来た。
「ヤン先生ッ!?」
「はい?…どうしました、ユキ」
不思議そうな顔をした先生の顔には腫れの一つも見つからない。
「おーい、ユキ。バスケットにおやつを詰め込んでくれよ。
トールのヤツ、まだノビてやがるんだー」
ゆうかさんの声にあたしは「…はーい」と返事を返す。
その時、青年の醒めた蒼いジャケットの袖口が、血を拭ったみたいに黒ずんでいる事に気付いた。
先生はさり気なく袖口を折り曲げて、にっこりと笑う。
そうだ、先生はお医者さんだった。
魔法使いみたく、凄腕の。
あたしは本当に何も言えなくなって、胸が詰まって、ただ、先生に抱き付いた。
先生はまるでお父さんの様に、あたしを優しく受け止めた。
「ははは。甘える貴女はとても可愛いんですが、トールが憤死しそうです。さ、遊びに出掛けますよ?」
朗らかな声が上から降って来て、パッと離れると、二人の間を擦り抜けた物が、カツカツと音を立てて、柱に突き立った。
二本のデザートフォークだった。
次にポイポイッ!!と、あたしの身体に浮輪が通って、次に何故か号令用の笛。
そして最後に赤いリボンの麦わら帽子がパフ!と、顔に被さった。
「むにょ?」
顔に掛かった帽子をズラすと、バスケットを挟んだ師弟はザッ、と距離を取る。
柔らかなピンク色の室内で何かが起こった模様だが…?
さゆりちゃんがグイ、と顔で背中を押した。
《行け》と言われてらしい。
「‥…うん?いいの?」
真顔のさゆりちゃんはテーブルに前足を付くと、直立し、デカい肉球で先生の顔をムニッと押した。返すソレでトールに猫パンチ。
ケンカ両成敗。
見事な大岡裁きだった。
家猫である為、家から出ない彼猫に見送られ、あたし達四人とキャティを含む三匹の白猫は白鳥型ボートに乗り込んだ。
と、言っても足で漕ぐタイプでは無いよ。
ヨットみたいな小さな船で、スイッチ一つで帆を張ると、先生は徐にそれに四角いシールをペタリと貼った。
すると、どうだろう!
逆風にもかかわらず、船は滑る様に動き出したではないか。
「ヤン、乙姫には連絡ついたのか?」
「ええ。竜宮もリフォームが完了したらしく、快諾して戴けました」
……乙姫様?…って………
「先生!竜宮って、あの海の中の?」
亀を助けた浦島太郎が、
招待されたって御伽話は、ポヒュラーだよね!?
「ええ。彼女はこの辺の海の長ですからね。
ユキもどうせ遊ぶんなら、普段しない様な経験をしてみたいでしょう?
丁度この前、産卵の終わったウミガメさんに頼んでおいたんですよ」
トールが丸い風船を輪ゴムで止めた、バナナアイスをあたしに一つくれた。
「あの方、派手ですよねー。何せ返事が稲妻で返って来るんですから」
輪ゴムを外すと、にゅー、と出てくるアイスを慌ててチュー、と吸う。
「さ・酸素の問題はどうなるんだろう…?」
あたしが呟くと先生は綺麗な透明の飴を二粒ずつ配った。
「それは《酸素飴》といって、一個で九時間保ちます。
明日の朝、七時には戻って来る予定ですからね。
各自十時に忘れずに飲んで寝るコト!」
「お泊りなの!?駄目だよ、お母さんから怒られちゃう!」
あたしが血相を変えて訴えると、ゆうかさんはケラケラと笑った。
「大丈夫だよ、ユキ。玉手箱の話は有名だろう?
お前さんが帰って来るのは、あくまで『昨日の夕方』。時間を弄るなんて、あの乙姫にはワケ無いんだから」
ヤン先生は黒髪を軽く振った。
「いえ、あの時はまだリフォーム前で、竜宮は時空と時間が不安定だったと聞きます。
最近ですよ、彼女がキチンと操れる様になったのは」
そうなんだ。じゃあ、浦島太郎は罰でああなったワケじゃ無かったのかな?
でも、時間を操作出来る様になったのに、どうして今助けてあげないのかな?
先生は首を傾げているあたしをちらりと見て、フフと微笑った。
お見通しですよ、と言わんばかりだ。
「トール、翼を広げて下さい」
先生の声で弟子は、マストのスイッチをポチと押した。
白鳥は透明の翼を掲げ、くるりと船を包み込む。
「────────行きます」
そうしてあるポイントまで来た時、海が斜めに割れた。
ドーム状海中巨大トンネル。
その中を、ゆっくりと白鳥ヨットは進んで行った。
~7に続く~




