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私は、あの少女漫画が大好きだった。
何回も何回も読み直しては泣いて、友達には頼まれてもないのにその全貌を語り、ストーリーを暗記してしまいそうな勢いだった。
大好きだった。
大好きだったあの漫画の物語が、私が野村葵になってしまったがために、変わってしまう。そのことに、罪悪感と言うか、何とも言えない複雑な感情があった。でも、自分の命には変えられなかったから。痛い思いをするのは、嫌だったから。
物語が変わって、野村葵が死ぬという出来事が回避されても、私の中からその感情が消えることはなかった。
悲しそうな表情で悠斗を見つめる果音ちゃん。何も知らず、私を好きだと言ってくれる悠斗。
苦しくて、辛くて、泣きたくなった。やっぱり私は物語に逆らわず、死んでしまったほうがよかったんじゃないか、なんて考えてしまう。それが、運命だったのだから。
だから私は、悠斗と距離をおいた。いや、おかざるをえなかった。
悠斗の顔がよく見れなくて、メールの返信もなかなかできなくて、悠斗に会いたくなくて。
私が距離をおいたことで、悠斗の隣には代わりに果音ちゃんが多くいるようになった。落ち込む悠斗を励ます果音ちゃん。その2人の姿に、漫画での2人の姿を思い出す。
ーー多分、これで良いんだ。このまま、悠斗が果音ちゃんに惹かれてしまっても、それを責めることはできない。それが、元々の流れなのだから。だから、“その時”が来たら、私は黙って身を引こう。私が、野村葵がこの時点でまだ死んでいないことが奇跡なのだ。これ以上を、望むことなんて、できない。
「話がある」
真面目な顔でそう悠斗から告げられたのは、ストーカーが捕まえられてから3ヶ月が経った頃だった。ああ、もうそんな時か、と私は覚悟した。
時は12月の半ば。もうすぐでクリスマスという時。漫画ではー‥漫画では、クリスマスの日、悠斗は果音ちゃんと2人で出かける。そこで、まあ、色々な事件もあるのだが、そこでようやく、悠斗は果音ちゃんへの想いを自覚するのだ。その後は紆余曲折あって結局2人がくっつくのはまだ先の話になるのではあるが。
漫画通りなら、もう悠斗は果音ちゃんに心が傾いてしまっているのだろう。真面目な悠斗のことだ。しっかり私との関係に区切りをつけてから、果音ちゃんと向き合おうなんて思っているのだろう。なにを言われるかなんて、明らかだった。
授業が終わり、悠斗に言われた通りに私は学校に裏庭の一角に足を運んだ。ここは人通りは少ないが、花壇などきちんと整備されており、春には桜が咲く。そのためこの学校の定番の告白スポットとなっている。
「ごめん、遅れた!」
十数分ほどそこで悠斗を待っていれば、悠斗はようやく走ってやって来た。
「先生に急に用事頼まれちゃって……」
荒い息を整える悠斗。
「そんなに急がなくてもよかったのに」
私は苦笑する。むしろ、ずっと来なければいい、だなんて思ってた。
久しぶりに見る悠斗の姿に少し緊張する。でも、同時に嬉しいと喜ぶ自分がいる。このまま、永遠に時が止まってしまえばいいのに、なんて。
「それで、話って?」
私がそう問えば、悠斗は顔を上げて、私を見つめた。
吸い込まれそうなほど真っ直ぐな瞳。呼吸をすることさえも、忘れてしまいそうなー‥。いたたまれなくなって、私は目を逸らそうとした。
「逸らさないで、葵。俺を、見て」
急に紡がれた言葉に私は捕らわれたように動けなくなる。悠斗は一歩、離れていた私との距離を詰めた。
「俺、ずっとあれから考えてたんだ。後悔、してた。どうして気づけなかったんだろう、って。どうして俺が葵のことを守れなかったんだろう、って」
何のことなんかなんて、言われなくてもわかった。だけど、今その話をされるだなんて思っていなかったから、少し驚く。
「守れなかっただなんて、そんな」
「だから、葵が俺と距離を置いた時も、しょうがないって、少し思った。このまま別れることになっても、俺は何にも言えないなって。でも、果音に言われたんだ。逃げちゃダメだって。きちんと向き合えって。確かに、俺は逃げてた。きちんと葵と向き合うことを。本当は、向き合って別れを切り出されるのがたまらなく怖かったし、俺が葵のそばにいることで、葵を傷つけるのが嫌だった。でも、俺はもう逃げないって決めた。だから、葵も逃げないで。はっきりさせよう、葵」
悠斗の手が、動けない私の頬に触れる。先程まで走っていたせいか、温かい。
「俺は、葵のことが好きだよ。本当は、ずっと葵のそばにいたい。叶うことなら、一生一緒にいたい。葵のためなら、俺は何でもするよ。何があっても、葵のことは守る。ーーでも、葵がもう俺のことを嫌いだって言うのなら、俺と一緒にいたくないって言うのなら、俺は、」
悠斗の瞳には泣きそうな顔をした私が映っている。いや、泣きそうなのは私だけじゃない。悠斗も、だ。
別れ話なんかじゃ、なかった。悠斗は、私が考えている以上に私のことを思ってくれていて、それなのに、私は、
悠斗が優しく親指で私の目尻を撫でる。そこで私は初めて自分が泣いていることに気がついた。
「葵の気持ち、聞かせて」
何も知らなかった中学生の時。
二度目の中学校生活。何もかも頑張っていたけれど、どこか孤独を感じていたあの時。光をくれたのは、悠斗だった。
一緒にいると緊張して、でも幸せになれて。悠斗が他の女の子と喋っている時は、悲しくて。両想いになれた時は、凄く凄く、嬉しかった。その気持ちは、自分が“野村葵”だと思い出しても、野村葵が死ぬ未来を回避しても、変わっていない。
でも。私がここでそれを悠斗に告げれば、悠斗と果音ちゃんが結ばれることはもうなくなるだろう。
ーーいや、私が死んでいない時点でもう物語は変わっているのだ。ううん、私が“野村葵”の時点で物語はもう変わっている。此処は、漫画の世界じゃない。
本当は、悠斗と果音ちゃんが一緒にいるなんて、それだけで胸が張り裂けそうだった。悠斗と一緒にいたい。よぼよぼのお婆ちゃんになるまで生きて、その隣には悠斗がいてほしい。
「私はーー、悠斗のことが好き。大好き。世界で1番好き。ずっとずっと、一緒にいて」
ーーずっと昔、凄く好きな少女漫画があった。
でもいくら好きでも、命の方が大事で、大好きな人と一緒にいることの方が大切。そう思ってしまう私は、少し自己中で、我儘なのかもしれない。
そう言えば、あの少女漫画のタイトル、なんだっただろうか。
ーーまあ所詮は、そんなものだよね。




