第13話 そしてボクは生まれゆく 前編
低い唸りのようなブザー音が始まりを告げると、喧騒に包まれた空気が一瞬のうちに静けさへと変わっていく。目を瞑り、俺は深く呼吸した。体中に湧き上がる緊張感………それは快感。俺にとっては適切な表現だった。
「さぁ、開演だ」
「うん」
幕が上がり、俺は光に包まれた。
「ただ、ただ目の前の女性が俺の未来だ。果てることの無い道程、どこまでも続く彼方へ…。けれど、どうすればいい………」
「そんなデカイ体してそんなこと言うなよ、カズ」
彼は笑い飛ばした。
「だってもうすぐ卒業なんだもん。ショウジは淋しくないの?」
「どうせ卒業したって会えるさ。一生会えないわけじゃないんだぜ」
ショウジとカズは机を椅子代わりにして座り、放課後を他愛の無い話に費やしていた。
「終わった〜。アイちゃん、ありがとね」
「どうってことないよ。親友のキョウコのためだもん」
ショウジは彼女たちを待っている間、キョウコの彼氏でもあるカズと暇を持て余していた。もちろんカズは彼にとって親友に値する人物であるし、付き合いの長い友でもある。
「遅いぞ〜。待ちくたびれちまった」
「うるさいわね〜。一言も待ってくれって言った覚えは無いよ」
「何!? は〜ん。キョウコが羨ましいから嫉妬してるんだ。あぁ、愛しいアイよ。俺の胸に飛び込んでおいで!!!」
「殴ってあげようか???」
「………ごめんなさい」
いつもこんな感じだった。
「カズ君、ショウジ君と何を話してたの?」
キョウコは慣れているせいか、構わずカズに質問を投げかけた。
「もうすぐ卒業だなぁ〜って。離れ離れになったら淋しいし」
「カズ君らしいね。優しいと言うか何と言うか」
この二人はお似合いのカップルというほどお似合いではない(口に出したらアイに殺されるな、きっと)が、羨ましく思える二人だった。恋人らしいことは何一つしていない。ただ、一緒にいることだけで幸せという、何とも安上がりな恋人なのだ。
「いいな〜。共感できる相手が大好きな人だなんて」
「アイに恋人なんて…」
「なんか言った!?」
「いいえー」
卒業したらこのメンバーで会える日なんて、そうはないだろう。けれど大切にしなくてはならない絆の一つだ。
机から飛び降りて、足の先から指の先まで身体全体を伸ばした。大きなあくびを一つした後、黒板に向かって歩き出す。ショウジは頭の中にある言葉が過ぎったことを、黒板に書き始めた。
『第二の誕生』
「もちろん知ってるよな? ある有名な人が説いた」
いきなり何を言い出すんだ、と言わんばかりの曇った表情で見られた。
「一度目はこの世に生まれ、そして二度目は自我が生まれることです」
「センセ〜。正確に言うと違うと思いま〜す」
「うるさい! 言いから聞きなさい」
生徒になったカズが先生となったショウジに質問してきたが、細かいことには気にも触れない。左手に見えない教科書を持ち、右手で眼鏡を直す仕草をした。ゆっくりと歩きながら説明に入る。
「おっほん、これには海よりも深〜い意味があるのだ。君たちは普段、独りで生きているように感じている時があると思う。しかしながら、自分という存在は自分だけでは生まれないのだ。君たちは両親のおかげでこの世に生れ落ちることができた。そして今はたくさんの友人、先輩や後輩、教師。他人によって自分が生まれてくるのだ。よく『自分探し』というが、つまりは色々な人と出会って自分を形成すること。それが第二の誕生なのだ。君たちは離れ離れになる。けれども、忘れないで欲しい。自分がいること、すなわち、周りには多くの人々がいることを…」
「センセ〜。結局、何が言いたいんですか? って、危ないよショウジ」
「一度やってみたかったんだよな、チョーク投げ」
手についたチョークの粉を払い落とす。ショウジは薄ら笑いをして、ふとアイの方を横目でチラリと見たとき、何やら考え込んでいる様子の顔がそこにはあった。眉一つ動かさずに一点を見つめているアイの目の前に手をかざした。何も反応が無い。もしかしたら、何も考えていないというのが正解だろうか。
「どうしたんだ? 考え事か?」
まだダメか───心の中の呟きをどうすればいいか、ショウジはいつまでも壁を越えられずにいた。わだかまりが日に日に大きくなり、そして想いも溢れそうになっている。明らかに空元気なところを見せられると、どうしようもない。アイツがいなくなってアイは悲しみさえも仮面の中に隠してしまい、暗闇に背中を押されて毎日を過ごしているかのようだった。それを感じているのは、きっと自分だけではないだろう。キョウコもカズも、そしてアイ自身も。口に出さず過ごすことに慣れてしまった生活…。
「私、帰ろっかな」
「俺もそうしようかな」
仕方のないことだ。浮いた存在はいつまで経っても浮いたままなのだ。
「恋人の邪魔をするつもりはないからね。ショウジはそこまでバカじゃないか」
「俺だってそこまで無粋じゃないよ」
聞こえないように小声で話す。
楽しそうに話している二人と無意識に距離をとることによって、世界は二分化されていた。薄々予感はしていたが、結果がこうなってしまってはどうしようもない。
「よし帰ろう。キョウコ、私たち帰るね。バイバイ」
「え? もう帰っちゃうの? じゃあ私たちも…」
「いいんだよ、別に気を使わなくても。それじゃあな」
お互いにこれ以上は気を使うことはなかった。今までもそうだったから。
そう、今やっておかなくはならないことがある。ずっと心の中で燻っているモノを。
「アイ、時間あるか?」
「あるけど、何か用?」
「用がないと話しちゃダメなのか?」
意地悪な言い方だ。自分で言って嫌気がさす。
教室の窓から覗く景色はオレンジの絵の具で塗りつぶされようとしていた。机に掛けてあった鞄を引っかけ、アイと共に教室を後にした。
太陽の光は波の動きに合わせて輝いていた。草花は今とばかりに、蕾から花びらが顔を覗かせている。ここ一帯は川原とは程遠く、人が隅々まで行き届きあらゆる物に手が加えられている。コンクリートで固められた川。アスファルトで造られた歩道。そしてショウジ達がいるこの場所も、木で作られたベンチ、丸くて洒落た机が並んでいた。子供が遊べるように遊具などもあった。
歩幅を合わせながら、アイの隣をゆっくり歩いた。一歩、二歩…。視線をアイに向けると、川に反射した光で顔を窺うことは出来なかった。
「教室で、何であんなこと言ったの?」
「何でって? あぁ、やっぱり旅立ちの日が近いからな」
正直に応えた。隠す必要など全く無かったから。
「ショウジらしいよ…」
「すまなかったな、アイがいるのに。けどさ、やっぱりアイがいたから話したかったんだよ…。座って話さないか?」
ショウジは思考を巡らしていた。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。アイの過去を知っている自分には絶対やっていけないことだ。彼女の心の傷を抉り、時間を戻してしまった。
少し距離をとって二人はベンチに腰掛けた。それはずっと今まで変わらなかった。近づくこともなく遠くなることもなく…。見えない壁が隔てられていた。
「アイ、俺はアイツに頼まれたんだ」
「………」
返事は返ってこない。
「夢を追いかける奴を止めるなんて誰にもできなかったよ、アイ以外。けれど、アイの性格を一番知ってるんだ。確かに相談されたのは俺だけだ」
「………」
「その時にな、俺に頼みたいことがあるって言ったんだよアイツ」
やっと、表情が微かに動いた。
「アイのことを頼むって…」
風が二人の隙間を縫って過ぎ去っていく。頬を撫でる春の風はまだ冷たかった。
「それは私だけが知らないんだよね? カズ君とキョウコは知ってるんだよね?」
「………」
今度は沈黙するのが自分になった。
「だからかぁ〜。変に空気が重たいときがあったのは」
アイは立ち上がり川岸の柵まで歩いていった。
「私ねー、別に何とも思ってないよー」
川の方に向かっているので、ショウジに聞こえるように大声で話し始めた。
「アイツの判断は間違ってないと思うんだー。仕方ないじゃん。進むべき道に私は必要なかった。ただそれだけー」
「………」
「何か言ってよー。話があって私を呼んだんでしょー。………悔しいのは勝手に私から去っていったことー。そして、誰もが私に同情したことー」
「アイー。泣いたことってあるかー?」
同じようにショウジも大声で話した。
「聞くほどの質問でもないと思うよー」
「アイツもな、泣いたんだよー。バカでごめんって。俺は優しい言葉一つ掛けれなかったー」
あれからどれくらい経ったのだろう…。もう一度思い出す。いきなり呼び出され、打ち明けられた日のことを………。
教室に呼び出されたショウジを待っていたのは、どこか遠くを見つめているアイツだった。ちょうど真中の机に、もたれるように立っていた。
「おう、ショウジ来たか。時間を作ってもらってすまない」
「何だよ、俺は忙しいんだ」
「そう怒った顔すんなよ」
アイツに歩み寄っている間、ショウジは嫌な予感を背中にビリビリと受けていた。目が、アイツの目がマジの時だったからだ。
「別に怒ってないよ。早く用件言え」
「………俺はこの学校を辞めて、夢へ突っ走る。だから、アイのことを頼む。以上、用件はそれだけだ」
明らかにオカシイ事を言われたのに、脳は正常に働かない。ショウジは放心状態だった。
「じゃあな、明日からもう来ないから」
その時、何かがショウジの中で弾けた。
「待てよ。いきなり何を言い出すんだよ!」
「もう…決めたんだ………」
こっちを振り向き、少し淋しげな表情で言ってきた。
「てめぇっ! ふざけるな!!!」
罵声を浴びせると同時に、アイツの顔面に拳をぶつけた。その衝撃で机や椅子を巻き込んで倒れこんだ。
「アイを頼むだ!? 何のつもりだよ! 訳わかんねぇよ!!! ………何でそんなに急ぐ必要があるんだ? いや違うな。何で俺に言うんだよ。アイに言うのが筋だろ!!!」
少しよろけながら立ち上がった。アイツの口から一筋の鮮血が見えた。
「殴ってくれてありがとな………。バカでごめん」
これが最後の別れになった。
「ちくしょー!!!」
思い切り机を蹴飛ばした。…いつもそうだ。独りで決めて独りで突っ走りやがって。バカ野郎…。
アイツは殴られる瞬間、笑っていた。
「黙っていて悪かった…」
「アイツらしいね…」
これでアイツの気持ちが伝わった訳ではない。
「ね? 結局さ、同情してくれてるのー?」
「さぁなー。ただこれだけは言っておきたかったんだ」
本当の思いはまだ何一つ言ってない。
「アイツの言葉を借りることになるけどよ、やっぱりアイには笑っていて欲しい。アイツはアイに出会って『生まれたんだよ』。夢へ向かう力、明日に羽ばたく勇気、別れを乗り越える想い。そんな存在だった気がするんだよ」
伝えたい言葉を必死に繋げていく。アイツの代わりに言っているのではなく、ショウジ自身の思いとして。
「…勝手だよ。そんなの勝手だよ! 私の気持ちはどうなるの!?」
勝手だよな―――置き去りにされた者に残るのは疑念と失望。それ以外何もない残らない。
ショウジは隣にゆっくりと歩いていった。そして、彼女の手を包むように握る。
「勝手だよ………。アイツもショウジも………」
「だったら手を離してみろよ」
「………バカ」
俺たちは喝采を浴びることは無かった。
読んでいただきありがとうございます。この物語はいよいよ終盤を迎えました。あと1話で終わりです。
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