間章 3
あれから気になって眠れなかった。寝ようと思ってもなかなか寝付けずに、あいつのことばかり見ていた。月明かりが入り込む空間、光に照らされた寝顔はとても可愛かった。言いたい事を言った後の子供のようにすっきりとしていた。
バッグに入れていた携帯を取り出し文字を打ち始める。もちろん宛名は月奈。
『明日の昼頃っていうか今日かな、もし時間があるなら会いたいんだけど。メールで話せる内容じゃないから、直接会って話したいんだ。ちょっと健二のことでね。健二と一緒に飲んでたらさ、酔った勢いで『あの事』話し始めたの。ほとんど泣きながらに近かったよ。月奈、協力してくれる?』
決定ボタンを押すと、紙ヒコーキが飛んでいく。画面には送信完了の文字。
人ってやっぱり何かを隠しながら生きていくんだね。そばにいてくれる人にさえ隠し事をする。そばにいてくれる人だからこそ、隠し事を言えないのだろうか。でも、好きな人のことなら…。
言葉で伝えらないのなら心で伝えればいい。温もりだけで人は落ち着くことできる。けれど実際、健二にはあの時の記憶は全く無い。私は何も知らないことになっている。どうしよう、いきなり突っ込んだ話はできないし。このまま終わらせたくない。どうすれば、どうすれば………。
思考が止まったと同時にまどろみの中に落ちていった。
予想していた通りオレには面倒な事だった。面倒と言うより、オレの知ったことではないと言うのが正解だ。さっさと帰りたい…。折角の休みが全部パァーというのはかなり気分が悪い。久しぶりに昼まで寝れると思ったら、電話の嵐で起こされ飯を食う暇もなく連行されてしまった。
目的地の公園にいたのは演劇部の『母』と呼ばれた真弓先輩だった。険相な顔を浮かべながらもどこか悔しそうな空気をかもし出していて、オレは眉をひそめ動きを待っている。
周り包む冷たい空気は、今から始まる情の殴り合いを隠滅させているように思えた。
「ごめんね、私のために時間作ってくれて」
「いえ、私、真弓先輩のためっていうか、健二先輩のためですから」
「オレは帰る。アイツのことなんて知らねぇ。久しぶりの休みだからゆっくり寝たいんだよ、っぐふっっっ!!!」
圧迫感が喉を襲い空気の供給が一瞬止まった。
「………」
月奈の視線が飛び込んでくる。さすがの鈍いオレでも逃げられないことが察する事ができた。仕方なくこの場に残ることにした。
「真弓先輩、これだけは言わせてください。健二先輩は良い人です。だからこそ真弓先輩に言えなくて、人に相談とかできなくて…。確かに人は痛みをこらえながら生きていく生き物です。だけど、誰かに甘えたくて仕方がないときだってあるんですよ」
甘い…。そんなガキが言うような事を言ってるようじゃ駄目だな。生きられない…。生き残るには誰にも頼らず誰にも求めず、ただひたすら前に突き進むしかないんだ。一度それにすがったら二度と這い上がってこれない。
「横から口を挟むようで悪いが、あの人はあの人なりに頑張ってるならいいんじゃないのか? 諦めて止めたのも逃げ出していなくなったのも、弱かったからじゃないのか? そんな奴のことなんか心配しても仕方ない。時間の無駄だ」
オレという人間はこんな皮肉しか言えない人間だ。嫌われているのもわかっている。
「浩行君はいつもそう。冷たく突き放して嘲り笑う…。仲間じゃなかったの!? 同じ道を歩む仲間じゃなかったの!?」
それが甘いっていうんだよ…。
オレだって始めからあの人を嫌っていたわけじゃないだろう。月奈だって知っているはずだ。尊敬していたんだ。健二さんはオレにとっては目標だったんだ。たった一言で観客を魅了させ、たった一つの仕草で心を掴む表現力。オレにないものを全て持っていたのが健二さんだった。あの劇団に入ったのもあの高校に入ったのも、健二さんがいたからなんだ。
いつの間にか劇団にも顔を出さなくなったと思ったら、突然やめちまったなんて…。裏切られたのはこっちの方だ。
「知らないね。アイツはもうオレの知っていた奴じゃないし…。なんでアイツをかばう!? もう放っておけばいいだろう!?」
何かが動く気配を感じた瞬間、視界が右へと飛ばされた。左の頬が痛み出す。
「真弓先輩も同情だけならやめたほうがいいですよ。余計にあの人が傷付くだけです」
さらにもう一発平手打ちが飛んできたが、今度はなんなく払い落とした。
俯いているせいで彼女の顔は見えないが、体全体が震えているようだった。きっと寒さのせいで震えているわけではないだろう。オレの言葉が彼女の心を逆上させ、暴力にまで至らせたのだ。
「…助けたいよ! 黙って見守ることなんてできないよ! 私は、私は健二のことが好きだから!!! ………夢を諦めたっていいじゃない。誰だって逃げ出したいことがあるよ。それが何だっていうの!?」
風が体を突き刺すように流れていく。聴覚に届いてくるのは枯れ葉が踊る音だけ。
「どうしたいんですか? 真弓先輩はどうしたいんですか?」
「私…私は………」
月奈に不意の質問をされ、明らかに動揺が表に出ていた。
もはやどうしようもないだろう。答えられなかったのだから。
「月奈、もう止めだ。そんなことも答えられないようじゃ、助けることさえできやしない。真弓先輩、これはアイツの問題じゃなくてあなたの問題なんですよ! 帰るぞ月奈…」
「…うん………」
もうここにいる理由などない。別れの挨拶もなくここを立ち去った。
月奈はずっと無言のままだった。オレがもっと気を使うこと知っていれば、何とでも声をかけただろう。あれこれ考えながら横顔をちらりと窺うと、そこには痛々しい顔が見えた。期待していたのにもかからわらず裏切りのナイフで抉られ、結局は会話が続かないということになったのだから仕方ないだろう。
最後まで一声もかけないまま別れ道にさしかかった。
「ひとまず、付き合ってくれてありがとう…」
「ひとまずって…。まぁいい」
「今度ね、健二先輩に会うよ。今のままでは多分駄目だろうから。だから…」
「パス! 絶対にパス!!!」
「私は知ってるよ。浩行君はそんな悪者じゃないってね。それじゃ、また連絡するね」
最後に笑顔を向けて走っていく。
「ったく、何で女という生き物はこうまで強いんだ」
誰にも届かない声でグチを吐き出した。
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