第99話 二天の雷神と崩壊する限界
「たかが泥に這いつくばる人間の分際で、この私を舐めるなァァァッ!」
絶対領域を破られた屈辱に、ダークエルフの王シュヴァルツが激昂した。
彼の黄金の瞳が怒りに見開かれ、全身から立ち昇る漆黒の魔力が広場中の空間を歪ませる。足元の石畳から、先ほどまでの比ではない――数千、いや数万に及ぶ「影の刃」が津波のように隆起し、ヴァンを四方八方から押し潰さんと殺到した。
回避不能の全方位攻撃。
しかし、紫電を纏う神速の二刀流剣士は、その場から一歩も動くことなく、深く静かに息を吐いた。
(……見切り、捌き、断つ。雷の速さで)
地球の英霊『宮本武蔵』の極致である「空」の境地。
あらゆる殺気や魔力の流れが、ヴァンの脳内ではスローモーションのように完全に処理されていく。そこに、雷獣がもたらす超音速の反射神経が加わることで、ヴァンの肉体は「見切ったものを、確実に斬り落とす」という神業を可能にしていた。
「シッ!」
ヴァンが、右手の巨大な斬馬刀と左手の小太刀(鉈)を同時に振るった。
その瞬間、ヴァンの周囲に幾重もの紫電の斬撃による「球状の防壁」が形成された。
ギィィィィィンッ!!!
数万の影の刃がヴァンに到達した瞬間、すべてが紫電の刃に弾かれ、切り裂かれ、光の塵となって霧散していく。
重厚な斬馬刀が、巨大な影の塊を大波を割るように粉砕する。そして、斬馬刀の死角を縫って迫る細かな影の刃を、左手の小太刀が精密な軌道でことごとく弾き落としていく。
長短二つの刃が互いの弱点を補い合い、無限の連撃を生み出す『二天一流』の絶対防御。
「ば、馬鹿な!? 私の影の豪雨を、すべて弾き落としているだと!?」
驚愕するシュヴァルツの視界から、突如としてヴァンの姿が「消失」した。
ドガァァァンッ!
遅れて、ヴァンが先ほどまで立っていた石畳が、爆発したかのようにクレーター状に陥没する。雷獣の超音速の踏み込みがもたらした物理的な衝撃波だ。
「どこだ!?」
シュヴァルツが慌てて周囲を見渡した次の瞬間、彼の頭上から紫色の落雷が降り注いだ。
「――ここだ」
空中に跳躍していたヴァンが、右手の斬馬刀を脳天に向けて振り下ろす。
「チィッ! 影の盾!」
シュヴァルツが咄嗟に数メートルもの厚さを持つ高密度の影の盾を頭上に展開する。
ドゴォォォォォッ!!
斬馬刀の重撃が影の盾に激突し、凄まじい火花と雷光が弾け飛ぶ。王の魔力で凝縮された影の盾は、辛うじて斬馬刀の一撃を受け止めていた。
「ハッ! 力任せの剣撃など、私の盾を貫けはしな――」
シュヴァルツが嘲笑を浮かべた、まさにその時。
「二天の理は、一の太刀にあらず」
斬馬刀を盾に押し付けたまま、空中のヴァンが身体を捻り、死角から左手の小太刀を下から上へと掬い上げるように一閃した。
ジリィィィンッ!!
小太刀に圧縮された紫電の刃が、厚さ数メートルの影の盾を、下部から紙切れのようにあっさりと切り裂いた。大太刀(斬馬刀)で相手の意識と防御を引きつけ、小太刀で本命の急所を抉る。これこそが、無双の剣鬼が編み出した二刀流の神髄である。
「ガ、アアアァァァッ!?」
切り裂かれた盾の隙間を抜け、紫電の小太刀がシュヴァルツの左腕を深々と斬り裂いた。
漆黒の血が宙を舞い、ダークエルフの王が悲鳴を上げて後方へと大きく吹き飛ぶ。
石畳に着地したヴァンは、追撃の手を一切緩めなかった。
雷光を引いて地を這うように突進し、息もつかせぬ連続攻撃でシュヴァルツを蹂躙し始める。
右から斬馬刀の重斬撃が襲い、それを防げば左から小太刀の刺突が急所を狙う。防御を固めれば、雷獣の速度で背後へと回り込まれ、紫電の刃が空間ごと影を断ち斬る。
圧倒的、あまりにも圧倒的な剣戟の嵐。
魔力を喰らうはずのシュヴァルツの影は、武蔵の「空」の剣筋に付け入る隙を一切見出せず、逆に紫電の超高圧電流によって次々と焼き切られていく。
だが、この圧倒的な戦闘力を支えているヴァンの肉体は、すでに限界を遥かに通り越していた。
一太刀振るうたびに、ヴァンの腕の筋肉がブチブチと音を立てて断裂し、皮膚から真紅の血の霧が噴き出している。
二つの強大な魂を同時に宿す「多重同化」の負荷は、彼の肉体を内側から確実に破壊し続けていた。本来ならば、剣を振るうどころか立っていることすら不可能な状態だ。
『なぜだ……! なぜ倒れん!』
シュヴァルツは防戦一方になりながら、目の前の男が放つ異常性に根源的な恐怖を覚え始めていた。
『貴様の肉体は、とうの昔に壊れているはずだ! 筋肉は千切れ、骨は軋み、血を流し続けている! なぜ、これほどの苦痛の中で、剣の速度が全く落ちないのだ!』
シュヴァルツの問いに、ヴァンは表情一つ変えなかった。
痛みなど、初めからない。だが、肉体が崩壊していく感覚は確かにある。
千切れかけた筋繊維を、雷獣の紫電をギプス代わりに流し込んで強制的に繋ぎ止め、武蔵の技理によって骨格の歪みを最適化し、ただひたすらに前へ出て剣を振るう。
己の命を削りながら、血飛沫を上げて神速の刃を振るうその姿は、狂気と呼ぶにふさわしい冷徹な凄みに満ちていた。
「限界? 苦痛?」
ヴァンが、斬馬刀と小太刀を交差させる「十字の構え」を取りながら、氷のように冷たい声で言い放った。
「そんなものは、俺が誰かを護ると決めた日に、とうの昔に捨ててきた」
ゴォォォォォッ!!
ヴァンの全身から、これまでで最大出力の紫電のオーラが爆発的に吹き上がる。
血に染まった鋼の肉体が、真の雷神と化してシュヴァルツに死の宣告を突きつけていた。




