第93話 轟く紫電と反撃の狼煙
広場を覆っていた絶望の暗闇が晴れ、陽光が再び石畳を照らし出した。
先遣隊の指揮官を両断し、静かに斬馬刀の血振りを行うヴァンの背中を、都市の市民や防衛隊の兵士たちは声もなく見つめていた。
「あいつ……勇者レオンのパーティーで、いつも一番後ろで巨大な荷物を背負わされていた男だろ? なんで、あんな力を持ってるんだ……」
「魔法陣も使わずに、高位の魔力攻撃を素手で握り潰したぞ。あれが、ただの荷物持ちの戦士の動きだって言うのか……?」
召喚師至上主義のこの国において、戦士とは「魔力を持たない底辺の肉体労働者」と同義だった。しかし今、彼らの目の前で絶対的な力を見せつけたのは、高名な召喚師などではなく、彼らが最も見下していたはずの一人の戦士であった。
自らの無知と偏見を恥じるように、兵士たちが次々と武器を下ろして跪きかける。
だが、ヴァンの戦士としての研ぎ澄まされた直感は、まだ一切の警戒を解いてはいなかった。彼に宿っていた『白銀の神狼』のオーラが役目を終えて静かに霧散していく中、都市のさらに奥深く――中央尖塔の方向から、先遣隊とは比較にならないほど巨大でどす黒い魔力のうねりが接近してくるのを感じ取ったのだ。
「……感傷に浸っている暇はないぞ。退がれ。次が来る」
ヴァンが短く警告を発した直後、広場を囲む建物の屋上や路地裏の影から、新たに数十人ものダークエルフの本隊が姿を現した。
「先遣隊が全滅しただと……? たかが人間の戦士一人に!」
本隊を率いる漆黒の鎧を纏ったダークエルフの将が、眼下のヴァンを忌々しげに見下ろす。
「だが、近づかなければどうということはない! 奴は物理攻撃しかできない肉ダルマだ。我々の射程外から、広場の人間どもごと影の海に沈めてしまえ!」
将の号令と共に、屋上に立ち並んだダークエルフたちが一斉に強大な影の魔法を詠唱し始めた。
空を覆う暗雲から無数の影の蔦が滝のように降り注ぎ、それらが空中で鋭利な『影の巨大な槍』へと形を変えていく。その数は数百を下らない。彼らはヴァン一人を狙うのではなく、広場に逃げ遅れた数百人の市民全員を標的にして、広範囲の面制圧攻撃を仕掛けてきたのだ。
「ひぃぃっ! 上から来るぞ!」
「防壁結界を……駄目だ、魔力が練れない!」
絶望的な範囲攻撃を前に、兵士たちは完全に戦意を喪失して頭を抱えた。
「ヴァン!」
背後からセリアの叫び声が飛ぶ。
「ああ、分かっている。広範囲の同時迎撃だ。奴らの影より速く動ける『足』をくれ」
ヴァンは斬馬刀を両手で構え、己の肉体を限界まで弛緩させた。新しい魂の受け入れ準備である。
「応えるわ。あなたの器に、天を裂く雷鳴を降ろす!」
セリアが両手を天へと掲げ、流麗かつ力強い古代の詠唱を虚空に響かせた。
『天を穿ち、大地を焦がす怒りの化身。紫電を纏いし狂暴なる神の獣よ。今、強靭なる鉄の器を以てその荒れ狂う魂を縛り、我らが敵を討つ迅雷となれ』
セリアの足元から、今度は目を焼くような紫色の閃光が弾け飛んだ。
バチバチと大気を焦がす放電音と共に、石畳の上に巨大な紫電の召喚陣が展開される。その中心から、紫色の雷そのもので構成された巨大な獣――『紫電の雷獣』が咆哮を上げながら顕現した。
触れるものすべてを炭化させる圧倒的な高電圧と、光に迫る超音速の機動力を誇る破壊の権化。
「同化ッ!」
セリアの号令と共に、雷獣は紫色の稲妻となってヴァンの肉体へと直撃した。
常人であれば一瞬で消し炭になるほどの超高圧電流が、ヴァンの体内に強引に封じ込められる。痛覚を持たないヴァンでさえ、筋肉の繊維が悲鳴を上げ、奥歯が砕けそうになるほどのすさまじい負荷。しかし、彼はその規格外の肉体強度で暴れ狂う雷獣の魂をねじ伏せ、完全に己の力として支配下に置いた。
ヴァンの全身から、バチバチと紫色の放電が迸る。
彼の筋肉は雷の力で極限まで活性化され、黒髪は静電気で逆立ち、その瞳は紫色の閃光を放っていた。無骨な斬馬刀の刀身にも高密度の紫電が纏わりつき、刃そのものが巨大なプラズマの塊と化している。
「いくぞ」
数百の影の槍が、市民たちの頭上へと雨のように降り注いできたその瞬間。
ヴァンの姿が、文字通り「消えた」。
ドガァァァァァァンッ!!
遅れて、鼓膜を破るような落雷の轟音が広場に響き渡った。
市民たちの目に映ったのは、広場の上空を縦横無尽に駆け巡る、一本の巨大な『紫色の稲妻』だった。
ヴァンは雷獣の超音速の機動力を得て、空を飛ぶように建物の壁や影の槍そのものを蹴り渡りながら、迫り来る数百の槍を片端から斬り払っていたのだ。
「ガァァァッ!」
ヴァンの裂帛の気合いと共に振るわれる紫電の斬馬刀が、影の槍に触れた瞬間。
魔力で構成された影は、超高圧の雷撃によって一瞬で物理的に分解され、チリ一つ残さず蒸発していく。
「バ、馬鹿な!? 影の降雨を、たった一人の剣技で全て撃ち落としているだと!?」
屋上のダークエルフの将が、信じられないものを見るように目を見開いた。
「魔法に頼りきった貴様らの攻撃は、軌道が単調すぎる」
不意に、将の背後から声がした。
「なっ――!?」
振り返るよりも早く、紫色の稲妻を纏ったヴァンが、すでに屋上の縁に降り立っていた。広場の影をすべて処理し終えた直後、垂直の石壁を雷の速度で駆け上がってきたのだ。
「ヒッ、化け物……!」
ダークエルフたちがパニックに陥り、至近距離から魔法を放とうとする。
「遅い」
ヴァンが斬馬刀を一閃させた。
紫電を纏った横薙ぎの一撃は、直接刃が届かない距離にいたダークエルフたちをも、刀身から放たれた真空の雷刃によってまとめて薙ぎ払った。
凄まじい放電と共に、屋上にいた数十人の本隊が一瞬にして黒焦げとなり、声を発する間もなく崩れ落ちる。
圧倒的、あまりにも圧倒的な蹂躙劇。
遠距離からの面制圧というダークエルフの必勝戦術すらも、ヴァンの規格外の肉体と、セリアの同化召喚による「閉ざされた魔力」の前には全く意味を成さなかった。
屋上から広場へと静かに飛び降りたヴァンは、纏っていた紫電のオーラを霧散させ、ゆっくりと斬馬刀を鞘に収めた。
「……す、すげえ……」
「助かった……俺たち、助かったんだ!」
「うおおおおおっ! ヴァン! ヴァン! ヴァン!!」
静寂に包まれていた広場が、次の瞬間、爆発的な歓声と涙で揺れた。
絶望のどん底に突き落とされていた市民と兵士たちが、涙を流しながらヴァンの名を叫び、彼を新たな英雄として狂喜乱舞して讃え始めたのだ。
かつて無能と蔑まれた戦士が、都市防衛の最前線において、誰よりも頼もしい絶対の盾にして最強の剣であることを、その身をもって証明した瞬間であった。




