第80話 迫る不穏な影と、異端者たちの幕開け
夕闇が迫る荒野を、巨大な鋼殻の移動要塞が地鳴りのような駆動音を響かせながら進んでいく。
ヒュドラの魔石という無尽蔵の動力を得た要塞は、険しい岩場や急勾配の坂道すらも平地のように駆け抜け、着実に「獣人たちの霊峰」へと距離を縮めていた。
車内の居住区画には、食欲を暴力的なまでに刺激する濃厚な香りが充満していた。
「さあ、お待ちかねの夕食だぜ! 昼間に大将が氷漬けにした『鋼砕きの山狼』の極厚ステーキ、バクス特製・超回復ガーリックソース掛けだ!」
バクスが大皿をテーブルの中央にドンと置くと、ジュージューと肉が焼ける音とともに、香ばしい湯気が立ち上った。
鋼鉄すら噛み砕く山狼の肉は、本来であれば筋繊維が強靭すぎて人間の歯では到底噛み切れない代物である。しかし、魔物専門の料理人であるバクスの包丁さばきと、特殊な香草を用いた下処理によって、その肉は驚くほど柔らかく、かつ肉本来の野性味あふれる旨味を完全に閉じ込めた極上の逸品へと昇華されていた。
ヴァンがナイフで肉を切り分け、口に運ぶ。
噛み締めた瞬間、濃厚な肉汁が溢れ出し、同時にカッと熱くなるような活力が胃の腑から全身の血管へと駆け巡っていくのが分かった。
「美味い。……先ほどの狂戦士の同化で消費した熱量が、一瞬で補填されていくようだ」
ヴァンが静かに、しかし確かな賛辞を送ると、バクスは尻尾をピンと立てて得意げに笑った。
「だろ? その肉には、大将の筋肉の繊維をより太く、より強靭に編み直すための栄養素がこれでもかってくらい詰まってる。俺の飯を食い続ければ、大将の体はどんな強大な英霊を降ろしてもビクともしない、最強の器に進化していくはずだぜ」
「がはははっ! 飯も最高だが、この要塞の走り心地も最高だろう? ヒュドラの魔力のおかげで、防御結界に回すエネルギーにも全く余裕がある。これなら、霊峰の凶悪な魔物どもが束になってかかってきても、傷一つつけられねえぞ!」
バルガンがワインの入った木彫りのカップを片手に、豪快に笑い声を上げる。
かつてそれぞれの社会から「不要な存在」として切り捨てられ、路地裏や荒野で孤独に生きていた者たち。彼らが今、こうして一つのテーブルを囲み、温かい食事と絶対的な安全を共有し、共に笑い合っている。
それは、純血至上主義と召喚術の力がすべてを支配するこの理不尽な世界において、奇跡のような光景だった。
しかし、そんな和やかな空気の中、食事を終えたルミナがふと真剣な表情になり、手元の羊皮紙をテーブルに広げた。
「皆さん。交易都市ファルガーを離れる直前に、私の情報網が捉えた少し気になる噂について、共有しておきたいと思います」
ルミナの真摯な声色に、バルガンもバクスも笑いを収め、ヴァンとセリアも静かに彼女の言葉に耳を傾けた。
「私たちがヒュドラを討伐し、未開の地へと進んでいる裏で、人間たちの国家間で少しずつ不穏な動きが出始めているようです。特に、勇者パーティーを擁する大国が、自国の領土拡大のために強引な派兵を繰り返しているという情報が入っています」
「勇者パーティー……レオンたちのことか」
ヴァンが短く呟く。かつて自分を無能と嘲笑い、理不尽に追放したかつての同級生たちの顔が脳裏をよぎったが、今のヴァンの心に彼らに対する執着や怒りは微塵もなかった。ただ、彼らの強欲さが引き起こす波紋が気にかかるだけだ。
「はい。彼らは強力な召喚獣の力に物を言わせ、周辺の小国や亜人たちの集落を次々と制圧しているようです。しかし……」
ルミナは羊皮紙の地図の、遥か南東の端を指差した。
「噂によれば、彼らが次に狙いを定めているとされる『ダークエルフの領土』周辺で、不可解な事件が連続して起きているそうです。偵察に向かった人間の正規部隊が、音もなく次々と消息を絶っているとか。召喚師たちが魔法を発動する間もなく、部隊ごと暗闇に飲まれて消滅しているという不気味な噂が流れています」
「ダークエルフ、か」
セリアが深い紫色の瞳を細めた。
「彼らは森の影に潜み、視覚や聴覚、そして魔力そのものを封じるという陰湿で強力な搦め手を使う種族。もし彼らが本気で人間たちへの反撃を始めたのだとすれば、力押しの召喚術しか知らない人間の軍隊では、どれほど強力な召喚獣を持っていようと分が悪いはずよ」
「……世界が、大きく動き始めようとしているみたいだな」
バクスが腕を組み、低く唸るように言った。
「どこの国にも属さない、俺たちだけの国を創る」
ヴァンは静かに口を開き、テーブルの上の仲間たちを真っ直ぐに見据えた。
「その目標を掲げた以上、既存の国家システムや、理不尽な力で他者を支配しようとする思惑と、いずれは衝突することになるだろう」
人間たちの強欲な侵攻。影で暗躍を始めたダークエルフたち。
世界が少しずつ戦乱と混沌の渦に巻き込まれようとしている中、彼らが目指す「誰もが平等に笑って暮らせる国」という夢は、あまりにも途方もなく、険しい道のりだ。
「それでも、立ち止まる理由にはならないわ」
セリアがヴァンの隣に立ち、彼の背負う斬馬刀にそっと触れた。
「世界がどれほど理不尽に満ちていようと、私たちにはそれを斬り裂く力がある。あなたという最強の器と、私の同化召喚。そして、この頼もしい仲間たちがいる限り、どんな巨大な国家が相手だろうと恐れることはないわ」
「おうよ! 大将とセリアの姉御が前を切り開くなら、俺が極上の飯で命を繋ぐ!」
「俺の最高の建築技術で、どんな軍勢も寄せ付けない絶対の城を築いてやる!」
「私が、国を運営するための完璧な資金と物資を調達してみせます!」
バクス、バルガン、ルミナが次々と力強い決意を口にする。
その声には、かつての絶望や孤独の影はもう一切なかった。あるのは、自分たちの手で新たな居場所を創り上げるという、揺るぎない覚悟と希望だけだ。
ヴァンは小さく、しかし確かな笑みを浮かべた。
「行くぞ。まずは知識と力を蓄えるため、獣人たちの霊峰へ。俺たちの国を創るための、本当の戦いはここからだ」
夜明け前。
車窓の向こうに、天を衝くほど巨大で険しい山脈のシルエットが、紫紺の空に浮かび上がってきた。
勇者パーティーを追放され、社会の底辺へと転落した戦士。
異端として迫害され、教会の地下に隠れ住んでいた召喚師。
そして、人間に利用され、夢を絶たれた異種族の仲間たち。
世界から不要とされた彼らは、圧倒的な力と確かな絆を武器に、誰の支配も受けない「自分たちだけの国」を創るという途方もない夢へ向かって、その重厚な轍を力強く刻んでいく。
未知なる領域、そして世界を巻き込む巨大な戦乱の予感を孕みながら。
集いし異端者たちの真の成り上がりの物語が、今、新たな幕を開けた。




