第79話 霊峰への道と北海の狂戦士
巨大な六輪の車輪が、道なき荒野の岩や低木を粉砕しながら爆進していく。
ヒュドラの魔石を動力源である「星脈の核」に直結させた鋼殻の移動要塞は、これまでの常識を覆すほどの出力と走破性を手に入れていた。
車体の周囲には淡い紫色の強固な魔力結界が展開されており、吹き荒れる砂埃や小石を完全に弾き飛ばしている。外は立っていることすら困難な荒れ地であるにもかかわらず、要塞の内部は微かな振動を感じる程度で、驚くほど快適な空間が保たれていた。
「すげえ……。あんなデコボコな岩場を走ってるのに、鍋のスープが一滴もこぼれねえぞ」
バクスが厨房のコンロの上で煮立っている鍋を見つめ、信じられないというように獣の耳をピクピクと動かした。
「がはははっ! 当たり前だ! ヒュドラの莫大な魔力を使って、車体のサスペンション機構に重力制御の魔法陣を組み込んでやったからな! これぞ伝説の罠師にして最高の建築家、このバルガン様の芸術的設計よ!」
操縦席で舵輪を握るバルガンが、得意げに豪快な笑い声を上げる。
居住区画に設置された頑丈なオーク材のテーブルでは、ルミナが羽ペンを走らせ、羊皮紙にずらりと並んだ数字を計算していた。
「結界の魔力消費量、車体の耐久値、すべてにおいてザルツの商会から奪った最新鋭の馬車の比ではありません。これなら、どんな過酷な環境でも物資を傷めずに運搬できます。私たちの『移動する国』の基盤として、これ以上ない完璧な城ですね」
ルミナの言葉に、ヴァンは窓の外を流れる景色を見つめながら静かに頷いた。
誰にも脅かされない、絶対的な安全圏。かつて勇者パーティーの野営で、いつ魔物に襲撃されるか分からない中、一人で見張りと雑用を押し付けられていた日々を思えば、ここはまるで天国のような環境だった。
だが、彼らの目指す道は決して平坦ではない。
「バルガンさん、前方に巨大な障害物です! 峡谷の入り口が、完全に塞がれています!」
要塞の天井に設けられた観測窓から前方を偵察していたセリアが、鋭い声を上げた。
バルガンが要塞の速度を落とすと、一行の視界に絶望的な光景が飛び込んできた。
目指す「獣人たちの霊峰」への入り口となる巨大な峡谷。そのルートが、山の上部から崩落したと思われる無数の巨大な岩石によって、文字通り完全に封鎖されていたのだ。
さらに悪いことに、その巨大な岩山の頂上や隙間には、ギラギラとした赤い眼を持つ数十頭の魔物が群れを成してこちらを威嚇していた。
「あれは……『鋼砕きの山狼』の群れですね」
ルミナが商人の知識を引き出し、即座に魔物の正体を言い当てた。
「岩を主食にする特殊な魔物で、その牙と爪は鋼鉄すら容易に引き裂きます。あそこを巣にしているようですね……。迂回ルートを探しますか?」
「いや、迂回すれば数日のロスになる。それに、あれしきの障害で立ち止まっていては、この先の未開の地は進めない」
ヴァンは立ち上がり、背中に帯びた漆黒の斬馬刀の柄に手をかけた。
「俺が道を切り開く」
短く告げて要塞の扉を開け、ヴァンは荒野の大地へと降り立った。
その背中を追うように、青い外套を翻してセリアが続く。
彼女の深い紫色の瞳には、すでに召喚のための神秘的な光が宿っていた。
「分かったわ、ヴァン。あの分厚い岩盤ごと魔物の群れを粉砕するために、とびきり荒々しい魂を降ろすわよ」
セリアはヴァンの背後に立ち、両手を天高く掲げて詠唱を開始した。
「凍てつく北の海を制し、巨大な氷河を力のみで砕いた無敗の戦鬼。死を恐れず、ただ己の闘争本能のままに荒れ狂う北方の狂戦士よ。その凍てつく怒りと圧倒的な破壊の力を、今この器に宿したまえ!」
虚空に展開された氷色の魔法陣から、凄まじい吹雪とともに、毛皮を纏い、筋骨隆々とした巨大な戦鬼の幻影が出現した。幻影は空気を震わせるほどの雄叫びを上げ、ヴァンの体へと一直線に同化していく。
「同化召喚・北海の狂戦士」
直後、ヴァンの全身から極寒の冷気を伴う白い闘気が爆発的に噴き上がった。
痛覚を持たないヴァンの器は、狂戦士の「怒り」という感情すらも完全に制御下に置き、純粋な破壊力だけを抽出して肉体に上乗せする。
「ギガァァァァッ!」
侵入者を排除すべく、鋼砕きの山狼たちが岩山の上から一斉に襲いかかってきた。鋼を容易く噛み砕く無数の牙が、四方八方からヴァンへと殺到する。
しかし、ヴァンの瞳は氷のように冷たく、静かだった。
彼は背中の斬馬刀を引き抜くと同時に、狂戦士の冷気を刃に極限限まで圧縮した。漆黒の刀身が、絶対零度の冷気を纏って真っ白に凍りつく。
「砕けろ」
ヴァンが斬馬刀を横凪ぎに一閃した瞬間、凄まじい轟音とともに極寒の衝撃波が峡谷に放たれた。
空間そのものを凍結させるような一撃。
宙を舞っていた山狼たちは、刃に触れる前に冷気の衝撃波を浴びて一瞬で氷像と化し、地面に激突して粉々に砕け散った。
さらに、その衝撃波の余波は止まることなく前方の巨大な岩山へと直撃する。何万トンという質量の岩石が、内部から急速に凍結し、狂戦士の圧倒的な膂力によって放たれた斬撃の力に耐えきれず、凄まじい音を立てて爆散した。
まるで巨大な氷の華が咲き誇ったかのように、視界を塞いでいた岩の壁が一瞬にして消し飛び、霊峰へと続く広大な道がぽっかりと開通した。
「……討伐完了だ」
ヴァンが斬馬刀の冷気を払い、鞘に収めると、背後からセリアが駆け寄ってきた。
「見事な一撃だったわ、ヴァン。狂戦士の力は制御を誤れば我を忘れる危険な魂だけれど、あなたの器なら全く問題ないわね」
「ああ。バクスの飯で体が内側から作り変えられていたおかげで、筋肉の軋みすらなかった。完璧な状態だ」
二人が要塞に歩み寄ると、バルガンが興奮した様子で扉を開け放っていた。
「がはははっ! さすが大将だ、相変わらず無茶苦茶な破壊力をしてやがる! 道は完全に開いたぜ!」
「おいおい、あいつら氷漬けになって粉々になっちまったじゃねえか! 鋼砕きの山狼の肉は、筋繊維が太くて煮込み料理には最高だったんだぞ! もったいねえ!」
バクスが厨房から顔を出し、本気で悔しそうな声を上げて尻尾を垂らした。
「ごめんなさい、バクスさん。でも、無傷で残っている個体もいくつかあるみたいですよ。ほら、あそこに!」
ルミナが岩の陰を指差す。
「おっ! 本当だ! よし、今のうちに回収して、今夜の夕食は『山狼の極厚ステーキ』にしてやる! 大将の消費したカロリーを即座に補填する特製ソース付きだ!」
途端に機嫌を直したバクスが、大きな包丁を片手に意気揚々と外へ飛び出していった。
笑い声が響く中、ヴァンは峡谷の奥を見据えた。
その先には、天を衝くほど巨大で険しい山々、獣人たちの霊峰がそびえ立っている。
未開の地への最初の関門を、彼らは持ち前の圧倒的な力と連携で容易く突破した。
どの国にも属さず、誰の理不尽にも縛られない彼らの国を創るための道のりは、まだ始まったばかりである。要塞の重低音が再び鳴り響き、一行は獣人たちの領域の奥深くへと、その足を踏み入れていった。




