第76話 轟く名声と星空の宴
国境の交易都市ファルガーは、かつてない騒然とした空気に包まれていた。
裏社会を牛耳っていた闇ギルド「宵闇の梟」と、悪徳商会である「金貨の天秤商会」が一夜にして壊滅した事件の余波が冷めやらぬ中、さらなる凶報……いや、奇跡の報告が街に飛び込んできたからだ。
街の南西に位置する「忘却の泥沼」。そこを数千年にわたって覆い尽くしていた禍々しい紫色の瘴気が、完全に晴れ渡っていたのである。
偵察に向かったギルドの斥候部隊が持ち帰った報告によれば、沼の主であった災害級の魔物・多頭蛇の巨体が完全に消滅し、周囲の環境が急速に浄化され始めているという。
「おい、聞いたか? あのヒュドラを討伐したのは、先日ザルツの商会をぶっ潰したっていう、あの規格外のパーティーらしいぞ」
「ああ。巨大な斬馬刀を背負った無表情な戦士に、青い外套の美しい召喚師。それに……隻腕のドワーフと獣人の料理人、ハーフエルフの商人が連れ立っていたって話だ」
酒場や裏通りで、人々の噂話が駆け巡る。
特に、スラムで肩を寄せ合って生きる亜人や、不当な扱いを受けていた中小の商人たちの間では、彼らの名は半ば英雄のように語り継がれようとしていた。
純血至上主義や権力に阿ることなく、理不尽を圧倒的な力でねじ伏せた異端者たちの存在は、虐げられてきた者たちの心に小さな希望の火を灯していたのだ。
一方、噂の渦中にあるヴァンたちは、そんな街の喧騒など知る由もなく、浄化された泥沼を越えた先に広がる未開の大地を進んでいた。
夜の帳が下りる頃。
手付かずの自然が残る澄んだ湖の畔に、鋼殻の移動要塞は静かに停車した。
「よし、今日の野営地はここにするぞ。周囲の索敵は完了した。大型の魔物の気配はねえ」
操縦席から降りてきたバルガンが、周囲の安全を宣言する。
「なら、今日は久々に外で火を囲もうぜ! 要塞の中も最高に快適だが、これだけ空気が美味くて星が綺麗な場所なんだ。たまには外の風を感じながら、とびっきりの宴会を開かねえとな!」
バクスが大量の薪を抱えて外に飛び出し、手際よく湖畔に大きな焚き火の準備を始めた。
その提案に、誰も異論を挟む者はいなかった。
ヒュドラという災害級の魔物を退け、未知の領域へと足を踏み入れた記念すべき夜である。
「それなら、ザルツの隠し金庫から頂戴した、百年物のエルフワインを開けちゃいましょう! 祝勝会には最高のお酒が必要ですし、私たちのお金はまだまだたっぷりありますからね!」
ルミナが車内から立派な木箱を抱えて降りてくる。その表情は、かつて路地裏で怯えていた頃からは想像もつかないほど、明るく自信に満ち溢れていた。
パチパチと薪が爆ぜる心地よい音とともに、焚き火に火が灯る。
バクスが手早く組み上げた野外用の調理台では、先ほどまで仕込んでいた特製の串焼き肉が香ばしい匂いを漂わせ、大鍋では野菜と香草のスープがグツグツと煮立っている。
ヴァンは焚き火のそばの倒木に腰掛け、パチパチと燃える炎を静かに見つめていた。
熱も、痛みも感じない彼だが、焚き火の赤い光と、仲間たちが賑やかに準備を進める光景には、確かな温もりを感じていた。
「はい、ヴァン。お疲れ様」
隣に腰を下ろしたセリアが、木彫りのカップに注がれたワインを差し出す。
「ああ、助かる」
ヴァンがカップを受け取ると、セリアは自らのカップを軽く掲げて微笑んだ。
「こうして火を囲んで賑やかな声を聞いていると、教会の地下であなたと初めて契約を交わした日のことを思い出すわ。私が異端としてあそこに隠れ住んでいた頃は、誰かとこんなふうに穏やかな夜を過ごせる日が来るなんて、想像もしていなかったけれど」
セリアの言葉に、ヴァンはゆっくりと頷いた。
「あの時は、ただ自分を切り捨てた理不尽を斬り裂き、生き延びることしか考えていなかった。お前と二人、血の道を進むだけだと思っていた。だが、今は違う」
ヴァンの視線の先には、豪快に肉を焼くバクス、その横で酒の蘊蓄を語るバルガン、そして彼らに笑顔で給仕をするルミナの姿があった。
人間、獣人、ドワーフ、ハーフエルフ。
種族も、歩んできた道も全く違う。それぞれの社会から不要とされ、理不尽に迫害されてきた者たち。
「お待たせしました! ヒュドラ討伐と、未開の大地への到達を祝して……乾杯!」
ルミナの明るい声に合わせて、五つのカップが焚き火の上で高らかに打ち鳴らされた。
「くぅーっ! このワイン、最高に美味えな! 俺の肉とばっちり合うぜ!」
バクスが尻尾を激しく振りながら串焼きに齧り付く。
「がははっ、いい夜だ! 俺の要塞も無傷でヒュドラの毒沼を乗り越えられたし、ルミナの仕入れのおかげで次の改造計画も順調そのものだ!」
バルガンがワインを一気に呷り、髭についた雫を豪快に拭う。
ヴァンは静かに串焼きを口に運んだ。
バクスの料理は、ただ空腹を満たすだけでなく、ヒュドラ戦で酷使したヴァンの肉体の奥深くまで染み渡り、疲労を根こそぎ癒していく確かな力があった。
「美味しいか、ヴァン?」
セリアが優しく問いかける。
「ああ。世界で一番美味い」
短く、しかし偽りのない言葉に、バクスが照れくさそうに耳を掻いた。
星空の下、焚き火を囲む異端者たちの間には、どんな強固な城壁よりも温かく、絶対的な安心感を持つ居場所が完成していた。
そして、酒が入り、夜が更けていくにつれ、彼らの会話は自然とこれからの旅の目的、それぞれの胸の内に秘めた「夢」へと向かっていくのだった。




