第74話 竜殺しの極意と九つの死
ヒュドラの切り落とされた首が、不気味な泡立ちとともに瞬く間に再生していく。
底なしの毒沼の中心で、九つの凶悪な頭部が再びヴァンを囲み、勝ち誇るかのように耳障りな咆哮を上げた。
斬っても死なない。どれほど致命傷を与えても、数秒で完全に修復される圧倒的な不死性。
並の冒険者であれば、この光景を見ただけで心が折れ、逃げ出すことすらできずに毒沼の餌食となっていただろう。
しかし、ヴァンの瞳には焦燥も絶望も一切なかった。
彼は鋼杭の上で低く構えたまま、ヒュドラの巨体を流れる魔力の脈動を静かに、そして鋭く観察していた。
(首を斬り落とした瞬間、胴体の中心から莫大な魔力が断面へと急速に送り込まれている。それが再生の起点か)
ヴァンの脳内に宿る「竜殺しの英雄」の記憶が、その観察結果を裏付けるように一つの極意を囁きかける。
多頭蛇の不死性を打ち破る方法はただ一つ。胴体から再生のための魔力が送り込まれるコンマ数秒の間に、九つの首すべてを「同時」に斬り落とし、魔力核の循環そのものを完全にショートさせることだ。
「九つ同時か。……やれないことはない」
ヴァンは短く呟き、赤銅色の闘気を纏う斬馬刀を横に構え直した。
しかし、巨大な九つの首はそれぞれが独立した意志を持っているかのように、四方八方から別々のタイミングで襲いかかってくる。これを一振りの剣、あるいは一息の連撃ですべて斬り落とすためには、奴らの首を一時的に「一点に束ねる」必要があった。
「バルガン!」
ヴァンが毒沼の只中から、後方の移動要塞に向かって鋭く叫んだ。
「足場を俺の頭上に集中させろ! 螺旋状にだ!」
「なんだと!? こんな足場の悪いところで上に向かって飛ぶ気か! 落ちれば一巻の終わりだぞ!」
操縦席でバルガンが驚愕の声を上げる。
「構わない。奴の首を一つに纏める」
ヴァンの短く確信に満ちた声。
バルガンは一瞬だけ目を見開いた後、すぐにニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「……死んでも知らねえぞ、大将! お前の無茶に、俺の最高傑作の技術で応えてやる!」
バルガンは操作盤を激しく叩き、要塞の射出機構の角度を急激に変更した。
ガシュゥゥゥンッ! ガシュゥゥゥンッ!
連続する重低音とともに、特殊コーティングされた鋼杭が次々と空に向かって射出され、ヒュドラの巨体を取り囲むように、空中を螺旋状に登っていく「奇跡の足場」が形成された。
「行くぞ」
ヴァンは足元の杭を力強く蹴り上げ、空中に打ち出された新たな杭へと跳躍した。
バクスの劇薬『激昂のミートボール』によって三倍に引き上げられた脚力は、彼自身の筋肉繊維を引きちぎりながらも、その痛みを「虚無の器」が完全に黙殺することで、常軌を逸した跳躍力を生み出し続けている。
ヴァンが空中の杭を次々と蹴って螺旋状に駆け上がっていくのを見て、ヒュドラの九つの首が完全に彼を「脅威」として認識した。
「ギシャァァァァァッ!」
九つの首がすべて上空を向き、逃げ場のない空中にいるヴァンを確実に仕留めるべく、一点に集中して殺到してくる。
「今だ! ヴァンさん!」
要塞の窓から、解毒の血清の効力を確信しているルミナが叫ぶ。
「食らい尽くせェ、ヴァン!」
バクスが厨房から身を乗り出して吠える。
ヴァンを追い詰めたと確信したヒュドラの九つの顎が、空中で一箇所に密集し、同時に噛み砕こうと迫る。
それこそが、ヴァンの狙いだった。
「これで、束ねた」
ヴァンは空中の最も高い位置にある鋼杭を蹴り、あえて自ら、密集して迫り来る九つの首の真ん中へと落下していった。
そして、空中で身体を限界まで捻り、斬馬刀に宿る竜殺しの赤銅色の闘気を、極限まで圧縮する。
「セリア」
ヴァンが小さく名を呼ぶ。
「ええ。あなたの器なら、英雄の限界すらも超えられるわ!」
要塞の屋根の上で、セリアが両手を天に掲げ、同化している竜殺しの魔力をさらに爆発的に引き上げた。
竜殺しの絶対的な力と、劇薬による筋力強化、そして痛覚を持たない虚無の器だからこそ可能な、肉体の限界を完全に無視した神速の剣撃。
「断頭の剣舞」
静かな呼気とともに、落下するヴァンの身体が空中で独楽のように回転した。
赤銅色の閃光が、まるで空中に巨大な花を咲かせるかのように、全方位に向かって放たれる。
一撃、二撃、三撃。
斬馬刀が空気を切り裂く音すら置き去りにし、肉と骨を断つ重い音だけが連続して響き渡る。
四撃、五撃、六撃。
ヒュドラの硬い鱗も、極限まで高められた竜殺しの刃の前では紙切れと同義だった。
七撃、八撃、そして九撃目。
コンマ数秒という、瞬きする間もない一瞬の出来事。
赤銅色の巨大な斬撃の円環が空中に描かれた直後、ヒュドラの九つの首が、付け根から完全に同時に斬り飛ばされた。
ズバァァァァァァァァンッ!!
九つの巨大な頭部が、血の雨を降らせながら毒沼へと次々に落下していく。
胴体から魔力が送り込まれる暇もないほどの、完璧な同時切断。再生の起点を失ったヒュドラの巨体は、ピクリと痙攣した後、魔力核のショートに耐えきれず、内側からドロドロと崩壊を始めた。
ヴァンは空中で姿勢を制御し、バルガンが最初に打ち込んでいた最も低い位置の鋼杭へと、音もなく着地した。
彼の背後で、かつて大陸を恐怖に陥れた災害級の魔物が、断末魔すら上げることなく完全に毒沼へと沈み込み、溶けて消滅していく。
「……討伐完了だ」
ヴァンは青い血清と赤銅色の闘気が混ざり合う斬馬刀を静かに振り下ろし、刃の血を払った。
その顔には疲労の色一つなく、ただ仲間たちが作ってくれた完璧な舞台の上で、与えられた役割を全うしたという静かな達成感だけが漂っていた。




