第69話 暁の帰還と商人の決意
地下迷宮から続く薄暗い階段を上り、ヴァンたちは交易都市ファルガーのスラム街へと帰還した。
夜明け前の冷たい空気が、地下の淀んだ血の匂いを少しずつ洗い流していく。
入り口付近では、見張りに立っていたバクスとバルガンが、足元に数人の闇ギルドの残党を転がして待っていた。
「おう、大将。随分と派手にやったみたいじゃねえか。こっちに逃げてきた連中も、みんな腰を抜かしてやがったぜ」
バルガンが残された右腕で連射弩を肩に担ぎ直し、ニヤリと笑う。
「ルミナも無事だな。怪我がなくて何よりだ」
バクスが優しく声をかけると、ルミナは背負っていた巨大な荷袋を下ろし、深く頭を下げた。
「バクスさん、バルガンさん。ご心配をおかけしました。でも、もう大丈夫です。ヴァンさんとセリアさんが、私を縛っていたものをすべて断ち切ってくれましたから」
その晴れやかな笑顔と、彼女の足元に置かれたパンパンに膨らんだ荷袋を見て、バルガンが目を丸くする。
「おいおい、小娘。その袋の中身、まさか……」
「はい。金貨の天秤商会と宵闇の梟が隠し持っていた、不正な財産の一部です。白金貨に純度の高い魔石、それに希少な素材。これだけあれば、私たちの旅の資金としては当分困りません」
ルミナが胸を張って答えると、ドワーフの職人は狂喜の声を上げた。
「がははっ! さすがはうちの商人だ! こんだけ上質な魔石があれば、移動要塞の結界をもう一段階強化できるぞ!」
「立ち話はこれくらいにして、早く要塞に戻りましょう。ヴァンの体に、少し毒が入っているわ」
セリアの冷静な声に、バクスとバルガンの表情が引き締まる。
ヴァンは首を横に振り、静かに答えた。
「大したことはない。もう痛みも痺れもない」
「強がるな、大将。毒百足の瘴気は厄介だ。要塞に戻ったら、俺が一番効く解毒スープを作ってやるからな。急ぐぞ」
バクスが素早く荷袋を担ぎ上げ、一行は夜明けの光が差し込み始めた森へと急いだ。
森の奥で待機していた鋼殻の移動要塞に戻ると、車内はすぐに活気と温かな空気に包まれた。
バクスは調理スペースの魔石ストーブに火を入れ、霊水と解毒作用の強い薬草、そして以前手に入れた氷河の猪の骨を煮込み始める。
ヴァンは居住区画のベッドに腰を下ろし、セリアが慎重に彼の傷口を拭い、浄化の魔法をかけていた。
「驚いたわ……。傷口周辺の壊死が、すでに止まっている。あなたの魔力回路が、毒の成分を自ら分解して魔力に変換しているのよ」
セリアはヴァンの異常なまでの回復力に、改めて畏怖の念を抱いた。
深淵の悪魔の魂すら受け入れた「虚無の器」は、単に痛覚を遮断するだけでなく、肉体そのものをどんな過酷な環境にも適応させる規格外の生存能力を獲得しつつあった。通常の戦士であれば、猛毒に侵された時点で精神が崩壊し、肉体が腐り落ちているはずだった。
「俺の体は頑丈なだけだ。それよりも、ルミナ。その帳簿の確認を頼む」
ヴァンが視線を向けると、ルミナはテーブルの上に広げた分厚い革張りの帳簿に目を落とした。
「はい。やはりこの帳簿には、交易都市の領主や、商人ギルドの幹部、さらには高位の召喚師たちが、闇ギルドと結託して違法な奴隷売買や魔薬の取引を行っていた証拠が詳細に記されています。彼らのサインと魔力印もばっちり残っています」
ルミナは商人の鋭い目でページをめくり、確信に満ちた声を上げた。
「これを私たちが持っている限り、彼らは絶対に表立って私たちを追跡することはできません。もし手を出せば、この帳簿を周辺国家の王室や、聖騎士団に暴露されると恐れるからです。私たちは、この街の連中から完全に自由になりました」
「見事な交渉の切り札だ。暴力で全てを解決するのは簡単だが、後腐れなく旅を続けるには、そういう裏の盾が必要になる。お前を仲間にして正解だった」
ヴァンが静かに称賛すると、ルミナの丸みを帯びた耳が嬉しそうにピクピクと動いた。
「それにしても、見事な手際だったわね。あんな短い時間で、敵の隠し金庫からこれだけの価値のあるものを的確に選び出すなんて」
セリアがテーブルに積まれた白金貨の山と、希少なポーションの瓶を見つめて感嘆する。
「ハーフエルフとして、そして借金奴隷として扱われてきたからこそ、物の本当の価値や、悪党がどこに大事なものを隠すのかが痛いほど分かるんです。……これからは、この知識を、ヴァンさんたちのために使います」
ルミナは深く頭を下げ、そして顔を上げて決意の表情を見せた。
「ヴァンさん。私を、あなたたちのパーティーの財務と物資調達の責任者に任命してください。この莫大な資金を元手に、私が最高の装備、最高の食材、そして安全な通行ルートをすべて手配してみせます」
「ああ、頼む。俺たちの命と財産は、お前に預ける」
ヴァンが即答すると、ルミナは感極まったように何度も頷いた。
「よし、解毒の薬草スープができたぞ! ヴァン、これを一滴残さず飲み干せ。ルミナも、怖い思いをして腹が減っただろ。たっぷり食って力をつけろ」
バクスが湯気を立てる木の器をテーブルに並べる。
解毒の薬草の爽やかな香りと、猪の骨から出た濃厚な旨味が車内に広がり、徹夜の戦いで張り詰めていた彼らの神経を優しく解きほぐしていった。
ヴァンはスープを口に運んだ。
温かな液体が胃の腑に落ちると同時に、体内に残っていたわずかな毒の残滓が完全に中和され、新たな活力となって全身の細胞に染み渡っていくのを感じた。
「美味い。これで完全に動ける」
「へへっ、俺の料理と霊水、そしてお前のふざけた体の相乗効果だな。これで毒の耐性まで上がっちまったんじゃないか?」
バクスが嬉しそうに笑う。
バルガンも白金貨の山を一つ一つ数えながら、機嫌良くスープをすする。
「これだけの資金と素材があれば、移動要塞に自動迎撃の弩砲を組み込むこともできる。王都の城壁すら凌駕する、正真正銘の歩く城の完成も遠くないぜ」
朝の光が、森の木々を抜けて移動要塞の窓から差し込んできた。
冷遇され、居場所を奪われていたルミナは、温かいスープを飲みながら、自分を囲む仲間たちの顔を一人一人見つめた。
痛覚を持たずすべてを斬り伏せる戦士。
異端の術を操る美しき召喚師。
迫害を乗り越えた極上の料理人。
孤独を捨てた伝説の建築家。
彼らとともに歩む道は、決して平坦ではないだろう。しかし、ここには確かな希望と、種族の壁を超えた絶対的な信頼があった。
「さあ、出発の時間よ。こんな埃っぽい街には、もう未練はないでしょう?」
セリアがカップを置き、優雅に立ち上がった。
「ああ。次の目的地は、地図にない魔境のさらに奥だ。俺たちの国を創るための、広大な大地を探す」
ヴァンが力強く宣言し、漆黒の斬馬刀を背負い直す。
「お任せください。物資の管理は完璧です!」
ルミナが元気よく答えた。
バルガンが操縦席のレバーを押し込むと、星脈の核から生み出される莫大な魔力が歯車に伝わり、鋼殻の移動要塞が重厚な駆動音を響かせて前進を開始した。
交易都市の腐敗した闇を完全に浄化し、有能な商人を仲間に加えたヴァンたちは、朝日が昇る未開の大地へと向かって、新たな轍を刻み始めた。




