第61話 国境の交易都市と混血の少女
魔境の未開拓領域を抜け、バルガンが設計した鋼殻の移動要塞は、数日ぶりに文明の気配が漂う街道へと合流していた。
木々の間から見えてきたのは、高い石造りの城壁に囲まれた巨大な街だった。
人間の国とエルフの国の国境付近に位置する緩衝地帯、中立交易都市・ファルガー。世界中から様々な物資や冒険者、商人が集まる活気あふれる街であると同時に、種族間の差別や召喚術至上主義の歪みが最も色濃く現れる場所でもあった。
「人間の街に入るのは久々だな。だが、この要塞のまま突っ込んだら、衛兵どもに魔物の大群と勘違いされて蜂の巣にされるぞ」
操縦席でバルガンがレバーを引き、要塞を森の木陰に停車させた。
「ああ。要塞はこの森に隠し、俺たちは歩いて街に入る。物資の補充と、魔境で手に入れた素材の換金が必要だ」
ヴァンは漆黒の斬馬刀を背負い直し、淡々と答える。
彼らの目的は、魔境での激戦で消費した塩などの基本調味料や、バルガンが要塞の改造に使う細かな金属部品の調達だった。バクスの料理によってヴァンの器は進化を続けているが、それでも人間社会の市場でしか手に入らないものは存在する。
要塞の周囲にセリアが認識阻害の結界を張り、四人は徒歩で交易都市の門をくぐった。
街の中は、凄まじい喧騒と活気に満ちていた。
大通りには所狭しと露店が並び、香辛料の匂いや鍛冶屋の槌の音が響き渡っている。豪奢なローブを着た人間の召喚師たちが護衛を連れて肩で風を切って歩く一方で、ドワーフや獣人たちは露店の裏通りで身を縮めるようにして荷運びなどの重労働をこなしていた。
「相変わらず、反吐が出るような光景だぜ。召喚術が使えるってだけで、人間どもは世界の王様にでもなった気でいやがる」
バルガンが忌々しそうに舌打ちをする。
「おいおい、おっさん。あんまり睨みつけるなよ。面倒事はお断りだ」
バクスがバルガンの背中を軽く叩きながらも、周囲の人間たちから向けられる獣人への冷ややかな視線に、耳をペタリと伏せた。
ヴァンは無言のまま、その鋭い観察眼で市場の様子を静かに見渡していた。
彼の視線は、立派な店構えの商人たちではなく、裏通りの入り口に近い、日陰の粗末なゴザの上に並べられた小さな露店へと向けられた。
そこに座っていたのは、十五、六歳ほどの少女だった。
亜麻色の髪に、エルフ特有の尖った耳。しかし、その耳の先端はエルフのように鋭く尖りきっておらず、丸みを帯びている。人間とエルフの混血、ハーフエルフである。
純血を尊ぶエルフからは「穢れた血」と蔑まれ、人間からは「不気味な長耳」として気味悪がられる。どちらの社会にも属することができず、最も冷遇される存在の一つだった。
少女の服はあちこちが擦り切れ、ひどく汚れていた。しかし、その瞳だけは強い意志の光を宿しており、ゴザの上に丁寧に並べられた品物は、他のどの露店よりも質が良いことをヴァンの目は見抜いていた。
魔力を帯びた薬草は適切な処理が施されて鮮度を保ち、魔石の欠片は純度ごとに綺麗に分類されている。彼女が豊富な知識と、商売に対する誠実な情熱を持っていることは一目瞭然だった。
「いらっしゃいませ。傷薬の調合に最適な、上質な星見草はいかがですか。適正価格の銅貨三枚でお譲りします」
少女は通りがかる人々に必死に声をかけている。しかし、誰も彼女の店には見向きもしない。それどころか、彼女がハーフエルフだと気づくと、露骨に顔をしかめて足早に通り過ぎていく。
「……質の良いものを適正な価格で売ろうとしている。だが、種族というだけで客が寄り付かないか」
ヴァンが静かに呟くと、セリアも外套のフードを深く被り直しながら頷いた。
「ええ。この街の商人ギルドは人間の純血主義者が牛耳っていると聞いたことがあるわ。彼女のような混血は、ギルドに登録することすら許されず、まともな商売ができないのよ」
その時だった。
少女の露店の前に、三人の柄の悪い男たちが立ち塞がった。彼らの胸には、この街で最大の力を持つ『金貨の天秤商会』の紋章が刻み込まれている。
「おい、薄汚いハーフ。誰の許可を得てここで店を広げている」
先頭に立った恰幅の良い男が、傲慢な態度で見下ろして言った。
少女はビクッと肩を震わせたが、すぐに顔を上げ、気丈に言い返した。
「こ、ここはフリーマーケットの区画です。商人ギルドの許可は必要ないはず……」
「口答えするな、エルフの出来損ないが! この街の流通はすべて我々商会が管理している。お前のようなゴミが勝手に商売をして、市場の価格を乱すことは許されねえんだよ!」
男は怒鳴りつけると、少女が丁寧に並べていた星見草の束を、泥のついたブーツで容赦なく蹴り飛ばした。
「ああっ! やめて、それは売り物なんです!」
少女が悲鳴を上げて散らばった薬草を拾い集めようとするが、男はその手を思い切り蹴り上げようと足を振り上げた。
「これ以上調子に乗るなら、その耳ごと切り落として……」
男のブーツが少女の細い腕を砕く寸前。
突如として、男の体が宙に浮き上がり、裏通りの石壁に向かって激しく投げ飛ばされた。
ドゴォンッ。
「がはっ!?」
肺から空気を吐き出し、男が白目を剥いて崩れ落ちる。
残された二人の手下は何が起きたのか理解できず、呆然と立ち尽くした。
少女の前に立っていたのは、背中に無骨な大剣を背負った巨漢の戦士だった。
「その薬草は、俺が買う」
ヴァンは倒れた男を一瞥すらせず、腰の革袋から銀貨を一枚取り出し、少女の前に転がした。
「な、なんだ貴様! 戦士風情が、我々『金貨の天秤商会』に楯突いてただで済むと……」
手下の一人が腰の剣を抜こうとした瞬間、ヴァンの横からすっと現れたセリアが、冷ややかな紫色の瞳で彼らを射抜いた。
「それ以上武器を抜けば、その腕の骨を内部から粉砕するわよ。自分の命の価値が商会の看板より重いと思うなら、さっさとこの場から消えなさい」
セリアの全身から放たれる、底知れぬ魔力の威圧感。
それは、彼らが普段見慣れている街の召喚師たちとは次元が違う、死の淵を歩き続けてきた者だけが持つ本物の殺気だった。
「ひぃっ……!」
手下たちは腰を抜かしそうになりながら、気絶した男を引きずって慌てて逃げ出していった。
静まり返った路地裏で、ヴァンはゴザの上にしゃがみ込み、散らばった星見草を拾い集める少女を手伝い始めた。
「す、すみません……。助けていただいて……」
少女は震える手で薬草を受け取りながら、信じられないものを見るようにヴァンを見上げた。人間が、ましてや武装した戦士が、ハーフエルフである自分を助け、さらに適正価格以上の銀貨を支払おうとしているのだ。
「質の良い薬草だ。手入れの行き届き方を見れば、お前がどれだけ商品に気を配っているか分かる」
ヴァンは残りの薬草を少女の手に乗せ、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「名前は」
「ル、ルミナです……。ルミナ・リーフ……」
少女は戸惑いながらも、その名前を絞り出した。
「ルミナ。この薬草の処理方法、そしてこの魔石の分類。これだけの知識と技術を持ちながら、なぜあんな三流のゴロツキに絡まれている」
ヴァンの静かな、しかし的を射た問いかけに、ルミナは悔しそうに俯き、唇を噛み締めた。
彼女の背負っているものは、単なる種族の壁だけではなかった。この街の闇に深く根を下ろした、理不尽な搾取の鎖が彼女を縛り付けていたのだ。




