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追放された戦士は『同化』で覚醒する〜不要とされた俺が伝説の剣豪を身に宿し、やがて多民族国家を創り上げるまで〜  作者: 八咫 日本


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第58話 深淵の悪魔と虚無の器

巨大な霊体の騎士が、神殿の天井に届くほどの大剣を静かに振り上げた。

剣の切先から空間の魔力が渦を巻いて収束し、致死量の光の奔流となって神殿全体を青白く照らし出す。次の一撃が放たれれば、ヴァンたちはおろか、この地下空間そのものが跡形もなく消し飛ぶだろう。

物理的な攻撃が一切通用しない、純粋な魔力の結晶体。

絶望的な力量差を前にして、しかしヴァンの背中は岩礁のように揺るがなかった。彼の視線はただ真っ直ぐに、死の光を放つ霊体の騎士を見据えている。

「俺の器を信じろ、セリア。お前の持つ最も深く、最も黒い魂を、俺に降ろせ」

その静かで揺るぎない覚悟の声が、セリアの心の奥底にあった恐怖を打ち砕いた。

彼女は強く唇を噛み締め、覚悟を決めたように深く息を吸い込む。そして、神殿の冷たい空気の中で、両手を天へと大きく広げた。

「……分かったわ、ヴァン。あなたの魂ごと、私が繋ぎ止めてみせる」

セリアの口から紡がれる詠唱は、これまでのどんな英雄や神獣を呼ぶものとも全く異なっていた。

それは、世界そのものを呪うような、重く、低く、おぞましい響きを持った古代の禁呪。

「深淵の底、光すら届かぬ原初の闇に蠢く者。理を喰らい、魔を焼き尽くす絶対の拒絶。万物を等しく無へと還す、暴虐なる冥府の悪魔よ。その忌まわしき漆黒の炎と絶望の記憶を、今この器に宿したまえ」

虚空に展開されたのは、光を吸い込むような漆黒の魔法陣だった。

陣の周囲からおぞましい泥のような瘴気が溢れ出し、神殿内の青白い光を次々と喰らい尽くして闇へと変えていく。

その絶対的な暗闇の中から姿を現したのは、山羊のような捻じ曲がった巨大な双角を持ち、背に漆黒の炎の翼を広げた、恐るべき深淵の悪魔の幻影だった。

悪魔の幻影は、周囲の空間を歪めるほどの圧倒的な悪意と殺戮の衝動を撒き散らしながら、ニタリと笑い、ヴァンの巨体へと真っ直ぐに飛び込んだ。

「禁忌同化・深淵の悪魔」

直後、ヴァンの肉体を凄まじい異変が襲った。

ドクン、という心臓の巨大な鼓動音が神殿に響き渡ったかと思うと、ヴァンの全身の毛穴から、実体を持った漆黒の炎が爆発的に噴き出したのだ。

それは熱を持たない炎。触れたあらゆる魔力と生命力を焼き尽くし、概念すらも灰にする原初の闇の炎である。

『グルルル……我ヲ喚ビシ愚カナル器ヨ。狂エ、壊レロ、絶望ノ淵ニ沈メ』

ヴァンの脳内に、直接悪魔の意志が響き渡る。

通常の人間であれば、この漆黒の炎を身に宿した瞬間に、全身の血液が沸騰するような激痛に耐えきれず発狂し、自我を悪魔に喰い破られて完全な化け物へと成り果てる。悪魔の魂は、ヴァンの精神の主導権を奪うべく、彼の中に無数の恐怖と痛みの幻覚を流し込んだ。

しかし、ヴァンの顔には微塵も苦痛の色が浮かばなかった。

彼の瞳は、白目の部分までが漆黒に染まり上がっていたが、その焦点は確かな理性を保ったまま、目の前の霊体の騎士を捉え続けていた。

「……静かにしろ」

漆黒の炎の中で、ヴァンが短く呟く。

彼には痛覚がない。悪魔がどれほどの激痛を肉体に与えようとも、彼の脳はその信号を一切受け付けないのだ。

そして何より、彼の心には悪魔がつけ入るべき「隙」が存在しなかった。

勇者パーティーで無能と蔑まれ、泥水をすすり、命を囮として捨てられた過去。誰も自分を顧みない孤独の中で、ただ黙々と雑用をこなし続けた日々の果てに、ヴァンの心は一切の執着を捨て去った「虚無の器」として完成していた。

悪魔が流し込む底知れぬ悪意や絶望すらも、ヴァンの心の奥底にある底なしの虚無に吸い込まれ、あっけなく霧散していく。

『バ、馬鹿ナ……我ガ闇ヨリモ深イ、コノ空虚ハ何ダ……ッ!?』

悪魔の魂が、逆にヴァンの底知れぬ虚無に呑み込まれ、恐怖に震え上がる。

ヴァンは自らの意志で悪魔の力を完全に掌握し、右手に握った漆黒の斬馬刀へと、深淵の炎を極限まで圧縮して纏わせた。

巨大な剣が、燃え盛る黒い炎の塊へと姿を変える。

霊体の騎士が、目前の異常な事態に反応し、収束させていた魔力の大剣を無音で振り下ろした。

空間そのものを両断するような、必殺の光の刃。

しかし、ヴァンは回避すらしなかった。

彼は黒炎を纏った左手を無造作に突き出し、霊体の騎士が振り下ろした魔力の大剣の刃を、素手で真っ向から受け止めたのだ。

バチバチバチッという凄まじい音とともに、光の大剣がヴァンの左手の中で急速に消滅していく。

深淵の悪魔の黒炎が、純粋な魔力の塊である大剣を「餌」として喰らい、焼き尽くしてしまったのである。

霊体の騎士の青白い瞳に、初めて動揺のような光が走った。

「物質が斬れないのなら、魔力ごと焼き斬るまでだ」

ヴァンは低い声で告げると、踏み込みと同時に、黒炎を纏った斬馬刀を横凪ぎに一閃した。

先ほどはすり抜けてしまった霊体の装甲。しかし今回は違った。

漆黒の刃が霊体の騎士の胴体に触れた瞬間、黒炎が爆発的に燃え上がり、霊体の構成要素である純粋な魔力そのものを強制的に灰へと変えていく。

音のない絶叫を上げながら、霊体の騎士の巨体が上下に両断された。

真っ二つになった体が修復しようと魔力を集めるが、切り口にこびりついた黒い炎が、集まる魔力を次々と喰らい尽くしていく。

「これで終わりだ」

ヴァンは高く跳躍し、空中で身を捻りながら、黒炎の斬馬刀を上段から一気に振り下ろした。

悪魔の膂力と、魔を絶つ黒炎の力が完全に融合した、文字通りの必殺の一撃。

刃が霊体の騎士の脳天から股下までを真っ向から両断し、巨大な黒い火柱が神殿の天井を突き破らんばかりに立ち昇った。

霊体の騎士は、もはや修復するための魔力すら残されておらず、黒い炎に包まれながらガラスが砕けるような音を立てて粉々に砕け散り、虚空へと完全に霧散した。

後に残されたのは、祭壇の上で静かに光を放つ多面体の水晶だけである。

あれほど巨大な炎を振り回しながらも、ヴァンはアーティファクトには傷一つつけないという、神業のような制御を見せつけていた。

神殿に再び静寂が戻る。

ヴァンはゆっくりと息を吐き出し、斬馬刀から黒炎を消し去ると同時に、同化を解除した。

背中の悪魔の幻影が断末魔のような叫びを上げて空間に溶け込み、ヴァンの肉体から急速に力が抜け落ちていく。

ガクン、とヴァンの膝が崩れ、石畳の床に片膝をついた。

痛覚がないとはいえ、深淵の悪魔という強大な概念をその身に宿した代償は大きく、彼の筋肉と魔力回路は限界を超えて悲鳴を上げていた。口からどす黒い血が吐き出される。

「ヴァン!」

セリアが外套を翻して駆け寄り、すぐさまヴァンの背中に手を当てて治癒の魔法を流し込んだ。

「無茶よ……。悪魔の自我を完全に押さえ込んで、力だけを完璧に引き出すなんて。一歩間違えれば、あなたの魂が永遠に暗闇に飲まれていたのよ」

セリアの声は微かに震え、その紫色の瞳には涙が滲んでいた。

後方から、バクスとバルガンも駆け寄ってくる。

「おいおい……マジかよ。あの化け物を一方的に焼き尽くした挙句、悪魔に取り憑かれても平然としてやがる」

バルガンは額に脂汗を浮かべ、ヴァンの底知れぬ異常性に畏怖の念を隠せなかった。

「ははっ、本当にあんたは規格外だぜ。こんな常識外れの戦士、世界中探したってどこにもいねえ」

バクスが安堵の笑みを浮かべ、腰の包丁を撫で下ろす。

彼らは皆、かつてないほどの強烈な畏怖と、同時に絶対的な信頼の眼差しをヴァンに向けていた。

どんな強大な敵が立ち塞がろうとも、どんな呪われた魂を宿そうとも、この男の心は決して折れることなく、ただ仲間を護るためにその力を振るう。

その狂気的なまでの自己犠牲と虚無の器こそが、彼ら異端者たちを繋ぎ止める、何よりも強固な希望の光だったのだ。

「……問題ない。アーティファクトは無事だ」

ヴァンは口元の血を拭い、セリアの肩を借りてゆっくりと立ち上がった。

古代遺跡の最深部で、神殿を支配していた強大な霊的な脅威は完全に排除され、彼らの前には莫大な魔力を秘めた未知の遺産が静かに輝き続けていた。

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