第56話 鋼の轍と忘れられた古代遺跡
ガシャン、ガシャンという小気味よい歯車の音を響かせながら、鋼殻の移動要塞は魔境の深い森を確実に進んでいた。
ロック・ワームの強固な装甲殻で覆われた六輪の巨大な車体。その外見の無骨さとは裏腹に、車内は驚くほどの快適さに包まれていた。バルガンが組み込んだ特殊なサスペンション機構と滑車が、悪路の揺れを完全に吸収しているのだ。
「すげえな、この馬車。こんな岩だらけの森の中を走ってるのに、鍋のスープが一滴もこぼれねえぞ」
車内の調理スペースで、獣人のバクスが歓喜の声を上げた。
彼の手元では、魔石ストーブの安定した火力で、氷河の猪の脂と森で採れた酸味のある果実を煮込んだ特製のホットパイが焼き上がろうとしていた。甘酸っぱい果実の香りと、香ばしく焼けたパイ生地の匂いが、広々とした車内を満たしていく。
「当然だ。俺の計算し尽くした歯車の連動を舐めるなよ。どんな悪路だろうと、揺れを完全に殺して走るように設計してあるんだ」
操縦席から、バルガンが振り返りもせずに得意げに鼻を鳴らす。かつての人間不信と絶望に塗れていた隻腕のドワーフの姿はそこにはなく、今は自らの技術を存分に振るう生粋の職人としての活力がその背中から溢れ出ていた。
ヴァンは車内の窓から、流れていく深い緑の景色を静かに眺めていた。
勇者パーティーにいた頃、移動といえば戦士である彼がすべての荷物を背負い、泥濘む道を最後尾で歩かされるのが常だった。雨が降れば野ざらしにされ、魔物の奇襲があれば盾として前に立たされた。
それが今、自分のためだけに設計された専用の要塞の中で、仲間が作った温かい飯の匂いに包まれながら、次の目的地へと向かっている。
「ヴァン、お茶が入ったわよ。バクスのパイと一緒にどうかしら」
セリアが美しい銀髪を揺らしながら、陶器のカップをヴァンの前のテーブルに置いた。
「ああ、もらう」
ヴァンがカップに口をつけると、香草の爽やかな香りが鼻を抜け、心地よい温かさが胃の腑に落ちていく。バクスが切り分けてくれた焼き立てのパイを頬張れば、猪の脂の濃厚なコクと果実の酸味が絶妙に絡み合い、これまでの戦闘で張り詰めていた神経を優しく解きほぐしてくれた。
「美味い。この環境があれば、どんな遠征でも限界なく戦い続けられるな」
ヴァンの飾らない言葉に、バクスが尻尾を激しく振って喜び、バルガンが操縦席で嬉しそうに歯車を微調整する。
やがて、移動要塞が深い森の木々を抜け、開けた空間へと躍り出た。
「着いたぞ。雪山の頂上から見えていた、巨大な遺跡だ」
バルガンの声に、ヴァンたちは窓の外へ視線を向けた。
そこにそびえ立っていたのは、人間の国の建築様式とは全く異なる、真っ白な石材で組み上げられた巨大な建造物群だった。長い年月を経て蔦や苔に覆われているものの、天を突くような複数の尖塔と、幾何学的な模様が刻まれた巨大な神殿のような本殿が、静かな威容を放っている。
要塞を安全な場所に停車させ、四人は外へと降り立った。
「……信じられないわ。これほど巨大な遺跡が、どの文献にも記録されずに魔境の奥深くに眠っていたなんて」
セリアが遺跡の入り口である巨大な石の扉を見上げ、紫色の瞳を驚きに見開いた。
「それに、この空気の重さ。荒野や雪山とは比べ物にならないほど、古くて濃厚な魔力が遺跡全体から淀みなく溢れ出しているわ。間違いなく、この奥には莫大な魔力を秘めた何かが眠っている」
「宝の匂いがする反面、嫌な予感もするぜ。こんな美味そうな魔力の塊、強力な魔物が縄張りにしないわけがねえ」
バクスが鼻をヒクヒクと動かしながら、腰の包丁の柄に手をかけた。
「バルガン、この扉の仕掛けは分かるか」
ヴァンが巨大な白い石の扉を指差して問う。バルガンは扉の表面を手で撫で、歯車や鍵穴の有無を慎重に確認した。
「駄目だ。物理的な仕掛けは一切ねえ。ただの巨大な石の塊が、異常なほどの密度で隙間なくはめ込まれているだけだ。俺の持っている工具じゃ、傷一つつけられねえぞ」
「物理的な鍵がないのなら、魔力による完全な封印ね。でも、これほど古い時代の魔法となると、解呪の術式を解析するだけで何日もかかってしまうわ」
セリアが顎に手を当てて思考を巡らせる。しかし、ヴァンは背中の漆黒の斬馬刀の柄を軽く叩き、静かに前へと出た。
「何日も待つ必要はない。物理的な仕掛けがなく、魔法で無理やり閉じているだけなら、その封印ごと叩き割るだけだ」
ヴァンの言葉に、セリアは一瞬驚いた顔をした後、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。
「ふふ、そうね。私たちのやり方は、いつだってそうだったわ。ヴァン、あなたの器に、全てを粉砕する破壊の化身を呼ぶわね」
セリアが深い青の外套を翻し、遺跡の入り口で両手を広げて高らかに詠唱を紡ぐ。
「東方の荒野にて、難攻不落の城門をただ一撃で粉砕したとされる剛腕の攻城兵。巨大なる戦鎚を振るいし破城の将よ、その無慈悲なる破壊の記憶を、今この器に宿したまえ」
虚空に、重厚な赤銅色の魔法陣が展開される。
そこから現れたのは、上半身裸で筋骨隆々の肉体を持ち、身の丈の倍はある巨大な戦鎚を肩に担いだ東洋の巨漢の幻影だった。幻影は荒々しい雄叫びとともに、ヴァンの肉体へと一直線に同化する。
「同化召喚・破城の戦鎚将」
ヴァンの全身の筋肉が異様なほどに隆起し、血管が肌の表面に浮き上がる。
彼自身の質量が倍増したかのような錯覚を覚えるほどの、圧倒的な密度の力がその身に宿っていた。
ヴァンは漆黒の斬馬刀を鞘のまま両手で握り、それを巨大な戦鎚に見立てて大きく上段に振りかぶった。破城の将の記憶が、最も効率的に硬い物体を粉砕するための重心移動と筋肉の連動をヴァンに強制する。
「砕けろ」
短い呼気とともに、鞘に収まったままの斬馬刀が、巨大な白い石の扉の中心に向かって渾身の力で振り下ろされた。
ドゴォォォォォォォォンッ。
隕石が衝突したかのような凄まじい轟音が森中に響き渡る。
いかなる工具も受け付けなかった白い石の扉が、中心からクモの巣状に亀裂を走らせ、次の瞬間、爆発するように内側へと吹き飛んだ。
魔法の封印ごと、巨大な質量による純粋な暴力が扉を粉砕したのだ。
土煙が晴れると、そこには遺跡の深部へと続く、底知れぬ暗闇の通路が口を開けていた。
「相変わらず、無茶苦茶な腕力だぜ……」
バルガンが呆れたように呟く横で、ヴァンは静かに同化を解除し、斬馬刀を背中へと戻した。
「道は開いた。行くぞ」
ヴァンの先導のもと、四人は遺跡の暗闇の中へと足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が肌を撫で、通路の壁面には仄かに青く光る苔が自生して足元を照らしている。
しかし、彼らが足を踏み入れたその瞬間、遺跡の奥深くで、何かが目覚めるような重い振動が響いた。
暗闇の奥、通路の先から、ギギギギという金属が擦れ合うような不気味な音とともに、無数の青白い眼光が浮かび上がる。
莫大な魔力を秘めた古代遺跡。その眠りを妨げた侵入者を排除するため、数千年の時を越えて、遺跡の守護者たちが静かに動き始めていた。




