第5話 栄光の陰と無言の矜持
岩山地帯での討伐を終え、城塞都市の冒険者ギルドへと帰還した一行を待っていたのは、割れんばかりの歓声と熱狂的な称賛だった。
ギルドの重厚なオーク材の扉が押し開かれた瞬間、むせ返るような安酒と汗、そして古びた羊皮紙の匂いが入り混じった空気が流れ出してくる。薄暗いホールにひしめき合っていた荒くれ者の冒険者たちは、入り口に立つ勇者レオンの姿を認めるなり、一斉に立ち上がって道を開けた。
「見ろ、勇者様たちの帰還だ」
「なんと美しい……一切の汚れすらない。どれほど高位の召喚獣を使役すれば、あんな涼しい顔で岩山の魔物を討伐できるんだ」
畏敬の念に満ちたざわめきの中を、レオンはまるで王宮の赤絨毯の上を歩くかのように堂々と進んでいく。リーゼとキースもまた、周囲からの羨望の眼差しを当然の権利として浴びながら、優雅な足取りで受付カウンターへと向かった。
その華やかな行進の最後尾。歓声が作り出した熱気から完全に切り離されたかのように、ヴァンは巨大な麻袋を引きずりながら無言で歩を進めていた。
麻袋の中には、岩石蜥蜴から剥ぎ取った重い魔石と、硬い鱗がぎっしりと詰め込まれている。荒縄が肩に深く食い込み、昨夜の鋏大百足の酸で焼かれた左腕の傷口が、荷物の重みで鈍く脈打って痛んだ。しかし、ヴァンの顔にはわずかな苦痛の表情も浮かばない。周囲の冒険者たちが向けてくる「なぜこんな神聖な場所に戦士などというゴミがいるのか」というあからさまな嫌悪の視線も、彼にとってはただの日常の風景でしかなかった。
受付カウンターの奥から、恰幅の良いギルドマスターが自ら顔を出した。彼はレオンを見るなり、深々と頭を下げる。
「レオン様、リーゼ様、キース様。この度の岩山地帯の討伐、誠にご苦労様でした。さあ、こちらが報酬の金貨となります」
革袋に詰められた大量の金貨が、カウンターの上に重々しい音を立てて置かれた。レオンはそれを見下ろし、満足そうに頷く。
「ヴァン、素材を出せ」
レオンが背後を振り返りもせずに顎で指示を出すと、ヴァンは重い麻袋をカウンターの端に静かに下ろした。結び目を解き、中から血と脂の匂いが染み付いた布包みを取り出す。布を開くと、ソフトボールほどの大きさがある岩石蜥蜴の魔石が五つ、鈍い輝きを放って転がり出た。
それを見たギルドの鑑定士が、片眼鏡を直しながら驚きの声を上げた。
「これは……素晴らしい。岩石蜥蜴の魔石は、分厚い岩の装甲の奥深くにあるため、取り出す際にどうしても傷がついてしまうものですが。この魔石には、ただの一つの傷も、魔力漏れすら見当たらない。完璧な状態です」
鑑定士の言葉に、周囲の冒険者たちが感嘆のどよめきを漏らす。
「レオン様、見事な魔法の制御力ですね。広範囲の破壊魔法を放ちながら、魔石のある一点だけは威力を抑え、無傷で残すとは。これほどの繊細な魔力操作、王宮の筆頭魔術師様でも不可能でしょう」
ギルドマスターがすり手をしてレオンを持ち上げる。魔物から無傷で魔石を取り出したのは、レオンの魔法によるものではない。魔法で黒焦げになった死骸の山から、泥と悪臭にまみれながら、ヴァンが己の解体技術とナイフ一本で寸分の狂いもなく抉り出した成果だ。
しかし、レオンはさも自分がやったことであるかのように、薄く笑って前髪をかき上げた。
「これくらいは造作もないことだ。僕の聖騎士の剣撃は、対象の急所だけを正確に捉えるからね」
リーゼとキースも、その言葉に何の疑問も抱かずに微笑んでいる。彼らの脳内では、自分たちの高貴な召喚術が全てを解決したという都合の良い現実が完成しているのだ。戦士が解体作業を行ったことなど、彼らにとっては「魔法で綺麗に取り出された魔石を、ただ拾い集めて袋に入れただけの雑用」としか認識されていない。
ヴァンはカウンターの端から一歩下がり、その茶番を静かに見つめていた。自分の手柄を横取りされたという怒りはない。ただ、魔法の制御と物理的な解体の違いすら理解できない彼らの観察眼のなさを、事実として冷徹に分析しているだけだった。
「さて、ギルドマスター。僕たちはいつまでもこんな低俗な依頼でくすぶっているつもりはない。国中が僕たちの更なる活躍を待っているんだ。次はもっと歯応えのある、高難度の討伐依頼を用意してくれないか」
レオンの傲慢な要求に、ギルドマスターは少しだけ顔をしかめ、カウンターの下から古びた羊皮紙を取り出した。
「実は……東の『迷いの深森』にて、通常の召喚獣が通用しないという奇妙な変異種の魔物が目撃されています。すでに中堅の召喚師パーティーが二組、消息を絶っておりまして……」
「ふん、通常の召喚獣が通用しないだと? それはそいつらが三流だからだ。僕の聖なる召喚術の前に、ひれ伏さない魔物など存在しない」
レオンは羊皮紙を乱暴にひったくると、ろくに詳細も読まずに依頼を受理した。リーゼもキースも、絶対の自信に満ちた表情でそれに続く。
「ヴァン、聞いたな。明日の早朝には深森に向けて出発するぞ。僕たちの魔法の妨げにならないよう、森を歩くための特殊な防虫香と、野営の強化機材を調達しておけ」
レオンは背中越しに冷たく言い放つと、冒険者たちの歓声を背に受けながら、ギルドを後にしていった。
ギルドに取り残されたヴァンは、金貨の入った小さな袋を無言で受け取ると、買い出しのために市場へと足を向けた。
街の裏路地を歩きながら、ヴァンは空を見上げた。厚い雲が太陽を覆い隠し、空気がひどく湿り気を帯びている。明日は雨になる。ただの雨ではない、森の魔物の動きを活性化させる、魔力を帯びた重い雨だ。
ヴァンは懐から小さなナイフを取り出し、左腕に巻いていた汚れた布を切り裂いた。昨夜の百足の酸で焼かれた皮膚は、痛々しく赤黒く変色している。彼は薬屋で買った安価な軟膏を傷口に擦り込み、新しい清潔な布をきつく巻き直した。
通常の召喚獣が通用しない変異種。消息を絶った二組のパーティー。そして、明日の悪天候。
状況は、最悪の事態を予想するに十分な要素が揃っていた。しかし、ヴァンにパーティーの決定を覆す権限はない。どれほど危険な兆候があろうとも、戦士である彼の言葉が聞き入れられることはないのだ。
ヴァンは裏路地の壁に背を預け、背中に負った両手剣の柄を静かに握りしめた。使い込まれた革巻きの感触が、焦燥感をわずかに和らげてくれる。
明日、何が起ころうとも。たとえ英雄たちがどれほど慢心していようとも。
自分はただ、己の役割を果たすだけだ。誰に称賛されずとも、誰に蔑まれようとも、戦士としての矜持だけは決して手放さない。
冷たい風が吹き抜ける路地裏で、ヴァンは明日の過酷な野営と、未知の脅威に対する物理的な対処法だけを、思考の海で静かに組み立て続けていた。




