第38話 崩壊する虚像と旅立ちの朝
城塞都市の冒険者ギルドは、朝から異様な空気に包まれていた。
かつては誰もが道を譲り、称賛の声を上げていた勇者レオンのパーティー。彼らが今、ギルドのカウンター前で、無様な言い争いを繰り広げていたのだ。
「ふざけるな! 俺は勇者レオンだぞ! なぜこんな低ランクの討伐依頼しか回してこない!」
レオンがカウンターを拳で叩きつけ、血走った目で受付嬢を怒鳴りつける。
彼の見事だった黄金の鎧は手入れが行き届かずに薄汚れ、パーティーメンバーである魔術師のリーゼたちも、疲労とストレスで青ざめた顔をしてうつむいていた。ヴァンという雑用を完璧にこなす土台を失った彼らは、依頼の失敗と野営でのトラブルを繰り返し、すでに資金も信用も底を突きかけていた。
「申し訳ありません、レオン様。しかし、最近の皆様の依頼失敗率を鑑みますと、これ以上の高ランク依頼はギルドとしてもお任せできず……」
「ええい、黙れ! だったら、あのヴァンという男を俺のパーティーに戻すよう、ギルドから命令しろ! あいつは俺の荷物持ちだ。俺がいないと生きていけない無能なんだぞ!」
レオンのその見苦しい叫びが響いた瞬間。
酒場にいた冒険者たちから、一斉に冷ややかな嘲笑が漏れた。
「……勇者様よ。あんた、まだ現実が見えてないのか」
中堅の冒険者の一人が、呆れたようにため息をついた。
「ヴァンはもう、あんたの荷物持ちなんかじゃない。たった二人で災害級の陸竜を屠り、静寂の森の変異種を無傷で討伐した、この都市の英雄だ。今のあんたたちじゃ、あいつの足元にも及ばないんだよ」
「なっ……なんだと!」
レオンが激高して剣の柄に手をかけようとしたその時、重厚な足音とともにギルドマスターが姿を現した。その目は、かつて勇者に向けていた温かなものではなく、完全に冷徹な評価者のそれに変わっていた。
「よさぬか、レオン。彼らの言う通りだ。我々は皆、あの男の真の力を見誤っていた。お前が彼を追放した理由は聞いておるが……今となっては、それがお前自身の虚栄心から出た嘘であることは、都市の誰もが知っている」
ギルドマスターの宣告に、レオンの顔から完全に血の気が引いた。
「それに、お前がいくら喚こうとも無駄なことだ。ヴァン殿とセリア殿は、すでにこの街にはいない。彼らは今朝早く、新たな旅へと出発した」
「た、旅立ちだと……?」
「ああ。この小さな都市の枠組みは、彼らにはもう狭すぎるのだ。彼らは真の高みを目指し、大陸を巡る道を選んだのだよ」
ギルドマスターの言葉が、レオンに決定的な絶望を突きつけた。
自分が見下し、踏みつけにしていたはずの男は、自分たちに復讐するどころか、もはや気にかけることすらなく、遥か上の次元へと飛び去ってしまったのだ。
残されたのは、崩壊していくパーティーと、地に落ちた勇者という虚像だけ。
レオンは膝から崩れ落ち、ただ虚空を見つめることしかできなかった。
一方、その頃。
城塞都市から遠く離れた街道を、ヴァンとセリアは静かに歩みを進めていた。
ヴァンの背には、鈍い光を放つ漆黒の斬馬刀が担がれ、セリアは旅の装いである深い青の外套を羽織っている。背後にそびえる城塞都市の影は、すでに朝靄の中に霞んで見えなくなっていた。
「……気分はどう、ヴァン。あの街を出て、少しは清々した?」
街道の風に銀髪を揺らしながら、セリアが隣を歩く巨漢の相棒に問いかけた。
「特になにも。ただ、次にどんな魔物と戦い、どんな魂をお前が降ろしてくれるのか。それだけが楽しみだ」
ヴァンの声は相変わらず淡々としていたが、その瞳の奥には、確かな熱が宿っていた。
勇者への恨みも、街で得た名声への執着も、彼の中には欠片も存在しない。あるのはただ、自らの空洞を埋めるための、より強大な力への純粋な渇望だけだった。
「ふふ、あなたらしいわね。でも、覚悟しておきなさい。この先は、人間の常識が通用しない魔境ばかりよ」
セリアは一枚の古い羊皮紙の地図を広げた。
「まずは西方大陸へ向かうわ。そこには、古代の神々が封じられたとされる遺跡や、神話に登場するような幻獣が未だに生息しているという伝承がある。今のあなたになら、神の魂すら降ろすことができるかもしれない」
「神の魂、か。……悪くない」
ヴァンは、スラムの鍛冶屋が最後に渡してくれた手入れ用の油袋を腰に確かめながら、静かに口角を上げた。
かつて、全てを奪われ路地裏に捨てられた戦士。
そして、忌み嫌われ地下に隠れ住んでいた異端の召喚師。
社会の最底辺で出会った二人は、お互いの欠落を完璧に埋め合わせることで、誰も到達したことのない圧倒的な力と絆を手に入れた。
彼らの歩む先にあるのは、栄光か、それとも破滅か。
確かなことはただ一つ。この世界に存在するいかなる理不尽も、今の二人を止めることはできないということだ。
一つの街での物語は終わりを告げ、遥かなる未知の力を求める二人の旅が、今、静かに幕を開けた。




