第36話 凱旋と反転する評価
城塞都市の正門をくぐった瞬間から、空気はこれまでと全く違っていた。
いつもならば、泥にまみれて帰還するヴァンとセリアに投げかけられるのは、冷ややかな視線か、あるいはあからさまな嘲笑の言葉だった。しかし今日、門番たちは直立不動で彼らに敬礼し、通りを歩く市民たちは畏敬と好奇の入り混じった眼差しで彼らの道をあけた。
ヴァンの背には、巨樹の核を粉砕したあの巨大な「漆黒の斬馬刀」が担がれている。その異様な威圧感と、二人が纏う歴戦の気配は、もはやスラムの底辺冒険者のそれではなく、都市を救った本物の英雄のそれだった。
冒険者ギルドの重厚な扉を開けると、そこにはすでに都市中の冒険者たちがすし詰めになって集まっていた。
「……おお、戻られたか! 我らが都市の救世主よ!」
ギルドマスターが自らカウンターの前に進み出ると、感極まった声で叫んだ。
それを合図に、ギルド内に地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こる。
「見ろよ、あの大剣。鎧蜘蛛の甲殻をそのまま打ち直したっていうぜ……」
「瘴気の巨樹を、魔法も使わずにぶった斬ったんだろ? 信じられねえ筋力だ」
「それに、隣の銀髪の娘さん。彼女の召喚術が、あの男の力を限界まで引き出しているらしいぞ」
歓声の中には、かつてヴァンを「勇者パーティーの無能な荷物持ち」と蔑んでいた者たちの声も混じっていた。しかし今、彼らの顔に浮かんでいるのは、純粋な称賛と、自らの見る目のなさを恥じるような気まずさだった。
「報告通り、瘴気の巨樹は完全に伐採した。森の浄化は数日内に自然と終わるはずだ」
ヴァンは周囲の熱気など意に介さない様子で、漆黒の斬馬刀を床に下ろし、巨樹の残骸の一部をカウンターに静かに置いた。
「見事だ……。魔法を持たない戦士が、これほどの偉業を成し遂げるとは。我々は、とんでもない逸材をただの雑用係としてくすぶらせていたのだな」
ギルドマスターは深く頭を下げた。それは、ギルドという組織全体が、ヴァンの実力を完全に認め、過去の評価を撤回した瞬間だった。
その時、歓声の輪を割って、一人の男が前に進み出てきた。
見事な金糸の刺繍が施されたローブを纏う初老の男。この都市で最も高位の召喚師として知られ、かつてセリアの「同化召喚」を異端の欠陥術式だと切り捨て、彼女をギルドの表舞台から追放した張本人、ベテラン召喚師のガルドだった。
ガルドは、ヴァンの隣で静かに佇むセリアの前で立ち止まると、ゆっくりと、そして深く頭を下げた。
「……セリア君。いや、セリア殿。私は、君の術を『肉体を破壊するだけの呪い』だと断じていた。だが、それは私の浅はかな思い込みだったようだ。君の召喚術は、それを真に受け止めることのできる器と、君自身の的確な戦術眼が組み合わさって初めて完成する、究極の術式だったのだな」
かつて自分を否定した権威からの、公の場での完全なる謝罪と称賛。
セリアは一瞬だけ目を丸くしたが、やがて静かに首を横に振った。
「私一人の力ではありません。ヴァンという絶対の器と、彼の持つ百戦錬磨の観察眼があったからこそ、私の術は意味を持ったのです。私たちは、二人で一つの力を成しているに過ぎません」
その凛としたセリアの言葉に、ガルドは感嘆の溜息を漏らし、再び深く一礼をして引き下がった。
ギルド中に、さらに大きな拍手が鳴り響く。
社会から不要とされ、路地裏の泥水の中で生きてきた二人。彼らが自らの実力と絆だけで、都市の常識を覆し、確かな居場所と名声をもぎ取ったカタルシスが、その空間を満たしていた。
「……気分はどうだ、セリア」
歓声の波の中で、ヴァンは隣に立つ相棒に短く問いかけた。
「悪くないわ。でも……」
セリアは、周囲の熱狂をどこか冷めた目で見渡しながら、小さく微笑んだ。
「この街の連中が私たちを見る目が変わったところで、私たちの本質は何も変わらない。私たちは、ただ目の前の敵を倒し、力を証明しただけだもの」
「同感だ」
ヴァンは、漆黒の斬馬刀の柄を軽く撫でた。
「この都市の常識は、俺たちにはもう狭すぎる」
勇者レオンという虚像の支配下にあったこの街は、今や彼らにとって窮屈なだけの檻でしかなかった。彼らが手に入れた力は、もっと広く、もっと深い未知の領域で振るわれるべきものなのだ。
誰もが二人を英雄と讃える喧騒の中で。
最底辺から這い上がった戦士と異端の召喚師は、誰にも聞こえない声で、次なる舞台への静かな決意を交わし合っていた。




