第34話 漆黒の斬馬刀と勇者の焦燥
城塞都市の最下層、スラム街の奥深く。
常に分厚い煤と鉄の匂いが立ち込めるその一角に、ヴァンとセリアが贔屓にしている寂れた鍛冶屋があった。店主は、かつて都市の中央で腕を振るっていたものの、貴族の理不尽な要求に逆らって追放されたという老齢のドワーフである。
薄暗い工房の作業台の上に、ヴァンは静寂の森から持ち帰った巨大な戦利品を無造作に積み上げた。
「……おいおい、冗談だろ」
老ドワーフは、片目に嵌めた鑑定用の拡大鏡を落としそうになりながら、目の前の物体に釘付けになった。
「四ツ腕の鎧蜘蛛の甲殻。しかも、傷一つない完璧な状態の魔法反射装甲じゃないか。おまけにこの赤黒い糸……変異種のものか。一体どうやってこんな極上品を、スラムの底辺冒険者が手に入れたんだ」
「どうやって倒したかは問題じゃない。問題は、これで俺の力に耐えうる武器が作れるかどうかだ」
ヴァンは、先日完全に砕け散った鉄の太刀の残骸を台の端に置き、老ドワーフを真っ直ぐに見据えた。
「俺が全力で振るっても、絶対に折れない刃と強度が必要だ。この甲殻の硬度と、糸の強靭さを柄の補強に使えば、ただの鉄塊よりも遥かに頑丈なものができるはずだ」
ヴァンの言葉に、老ドワーフは職人としての血を騒がせたように、ニヤリと深く皺を刻んで笑った。
「なるほどな。魔法を反射する装甲を、あえて物理的な質量兵器として打ち直すってわけか。お前のその馬鹿げた筋力なら、刃の鋭さより重さと硬さを追求した方がいい。……三日待て。俺の職人人生の全てを懸けて、お前専用の化け物じみた得物を打ってやる」
三日後。
再び工房を訪れたヴァンの前に差し出されたのは、異様な威圧感を放つ一本の巨大な剣だった。
刃渡り二メートル。刀身は鎧蜘蛛の甲殻を幾重にも鍛接して作られており、光を一切反射しない漆黒に染まっている。柄には赤黒い粘液糸が特殊な製法でガチガチに編み込まれ、いかなる衝撃でも手から滑り落ちない完璧なグリップを実現していた。
「名付けて、漆黒の斬馬刀だ。魔法を弾き、岩を砕き、竜の鱗すらも叩き割る。だが、重すぎて普通の人間じゃ持ち上げることすらできねえ。まさに、お前という規格外の器のためだけに存在する武器だ」
ヴァンは漆黒の斬馬刀を片手で無造作に持ち上げ、軽く素振りをしてみせた。
ブォンッ、という重く低い風切り音が工房内の空気を震わせる。これまでの鉄の太刀とは比べ物にならない完璧な重心と、絶対的な強度の感覚が、彼の手のひらを通じて伝わってきた。
「完璧だ。これなら、どんな高位の魂を降ろされても、武器が壊れる心配はない」
「ええ。これで私の同化召喚も、出力の制限を完全に外すことができるわ」
セリアもまた、漆黒の刃を見つめながら満足げに頷いた。
変異種の討伐という圧倒的な実績と、それに伴う最高クラスの素材の獲得。ヴァンとセリアの戦力は、ここに来てさらに一段階上の次元へと引き上げられていた。
一方、時を同じくして。
城塞都市の歓楽街にある高級宿屋の一室では、酷く重苦しい空気が漂っていた。
「どういうことだ、リーゼ! なぜ事前の偵察で、ゴブリンの群れの背後にオークの上位種が隠れていることに気づかなかった!」
勇者レオンが、苛立ちを隠せずに机を強く叩いた。
彼らは昨日、中級ランクの討伐依頼に向かったものの、敵の伏兵を見落とし、危うくパーティーが半壊するほどの苦戦を強いられて逃げ帰ってきたのだ。
「仕方ないじゃない! 私の魔法は広範囲の索敵には向いていないわ。それに、森の地形がぬかるんでいて、足場が悪すぎたのよ。事前の野営準備だって、テントは雨漏りするし、食事は干し肉ばかりで誰もまともに眠れなかったんだから」
魔術師のリーゼが、疲労で目の下に隈を作りながら反論する。
他のメンバーたちも、無言でうつむいている。彼らの装備は手入れが行き届かずに刃こぼれが目立ち、防具の留め金は緩んだままだ。
今まで、それらの泥臭く目立たない雑務の全てを、無能と見下して追放したヴァン一人に押し付けていた。彼がいなくなった途端、勇者パーティーの戦闘継続能力は、まるで土台を失った砂の城のようにボロボロと崩れ始めていた。
「言い訳をするな! 俺たちは勇者パーティーだぞ。こんな低級の依頼で苦戦するなど、世間が知ったらどうなるか……」
レオンが声を荒らげた時、開け放たれた窓の外から、酒場に集う冒険者たちの喧騒が風に乗って聞こえてきた。
『なあ、聞いたか? 静寂の森の変異種、あの四ツ腕の鎧蜘蛛を、たった二人で討伐した奴らがいるらしいぞ』
『ああ、ギルドマスターが直々に緊急依頼を出したっていうあの化け物だろ。なんでも、身の丈ほどもある大剣を軽々と振り回す無口な巨漢と、銀髪の召喚師のコンビだったって話だ』
『あの大剣の男、一切魔法を使わずに、純粋な力と身のこなしだけであの変異種の装甲を叩き割ったらしい。まるでどこかの英雄の生まれ変わりみたいだったってよ』
その会話を耳にした瞬間、リーゼの顔からスッと血の気が引いた。
「……無口な巨漢の、戦士。レオン、まさか……」
「馬鹿なことを言うな!」
レオンは血走った目でリーゼを睨みつけ、窓を乱暴に閉め切った。
「あいつのわけがないだろう! 魔力も持たないただの荷物持ちのゴミクズだぞ。変異種なんて、俺たちですら手を焼く相手だ。あんな卑怯者に倒せるはずがない!」
レオンは激しく否定したが、その声の裏には、認めたくない現実に対する強烈な焦燥と恐怖がへばりついていた。
魔法を持たない戦士が、規格外の力で高ランクの魔物を次々と屠っている。
その噂は、もはやギルド内だけでなく、都市の一般市民の間にまで英雄譚として広がり始めていた。
自分たちが理不尽に追放した最底辺の男が、誰もが到達できないほどの高みへと駆け上がっていく。その足音が、勇者という虚像にすがりつくレオンたちの背後に、確実な死神の足音として迫りつつあることを、彼らはまだ完全に理解してはいなかった。




