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追放された戦士は『同化』で覚醒する〜不要とされた俺が伝説の剣豪を身に宿し、やがて多民族国家を創り上げるまで〜  作者: 八咫 日本


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第32話 沼地の死闘と円の理

深緑の天蓋に覆われた静寂の森の最奥。腐敗した落ち葉と泥が混ざり合う沼地帯に、ヴァンとセリアは足を踏み入れた。

鼻を突くメタンガスの匂いと、淀んだ空気。周囲の木々の間には、一見するとただのツル草のように見える赤黒い粘液状の糸が、幾重にも張り巡らされていた。事前情報がなければ、熟練の冒険者であってもただの自然の景観だと見過ごしていただろう。

「……ヴァン、上よ。かなり高い位置の樹冠に、巨大な魔力反応があるわ」

背後を歩くセリアが、探知魔法の網を広げながら緊迫した声で囁いた。

「ああ。俺の足元にも、奴の感知網が張り巡らされている。どうやら、俺たちという獲物が沼地の中心まで入ってくるのを待っているらしい」

ヴァンは、スラムの鍛冶屋に打たせた刃渡り二メートル近い長大な斬馬刀を右肩に担いだまま、歩みを止めなかった。彼の視線は、周囲の木々の配置と、足元の泥の深さ、そして上空の枝の密度を正確に計算し続けている。

勇者パーティーで長年、野営地の選定や魔物の奇襲への備えを一人で担わされてきたヴァンにとって、戦場の地形を立体的に把握し、敵の思考をトレースすることは、息をするのと同じくらい自然な行為だった。

「セリア。準備しろ。……ここが一番、足場が悪い」

ヴァンが沼地の最も泥が深く、動きが制限される場所で立ち止まった、その時だった。

彼はわざと、足元に隠されていた赤黒い糸の一本を、分厚いブーツで力強く踏み躙った。

ビィンッ、という不快な弦鳴りのような振動が、静寂の森に響き渡った。

直後、頭上の分厚い樹冠が爆発するように吹き飛び、漆黒と銀色の中間のような不気味な光沢を放つ巨大な影が、音もなく降下してきた。

体長は四メートル近い。巨大な蜘蛛の胴体に、カマキリのように鋭く発達した四本の腕を持つ変異種、四ツ腕の鎧蜘蛛だった。魔法を反射する強固な甲殻が、森に差し込むわずかな光を不気味に照り返している。

「来るわ。あなたの分析通り、沼地の足場を無視して立ち回り、敵の攻撃を柔く受け流す魂……。極東の歴史において、水上を歩くが如き歩法と、円の理を極めたとされる流派の祖」

セリアが両手を胸の前で結び、頭上から迫る巨体を見据えながら、凛とした声で詠唱を紡ぐ。

「濁流すらも受け流し、柔なる円の理にて万物を制した流水の武芸者よ。その変幻自在なる歩法と見切りの記憶を、今この器に宿したまえ」

虚空に、水面を思わせる淡い蒼色の魔法陣が展開される。

そこから、ゆったりとした道着を纏い、長い薙刀を手にした老齢の武術家の幻影が現れた。幻影は、迫り来る巨大な蜘蛛を一瞥すると、静かに微笑みながらヴァンの巨体へと溶け込んでいった。

「同化召喚、流水の薙刀将」

ドクン、という鼓動とともに、ヴァンの肉体に劇的な変化が訪れた。

これまでの剛力や神速をもたらす魂とは対照的だった。全身の筋肉から極限まで無駄な力が抜け落ち、まるで自らの身体が液体になったかのような、異常なまでの脱力感と柔軟性が肉体を支配する。

四ツ腕の鎧蜘蛛が、重力と自重を乗せた四本の鋭利な腕を、ヴァンの頭上へと一斉に振り下ろしてきた。

まともに受け止めれば、いかにヴァンの膂力があろうとも、足元の泥に深く沈み込み、次の一手を封じられてしまう。それこそが、この変異種が沼地を戦場に選んだ最大の理由だった。

だが、ヴァンの動きは、鎧蜘蛛の知能が予測した「戦士の防御」とは全く異なっていた。

「……シッ」

ヴァンは斬馬刀の柄を軽く握り、正面から受け止めるのではなく、巨大な刃を円を描くように滑らせた。

刀身の腹を、振り下ろされる蜘蛛の腕に斜めから接触させる。流水の武芸者の記憶が、敵の攻撃の軌道を完璧に見切り、その運動エネルギーを殺すことなく横へと逸らす「受け流し」の絶技を体現したのだ。

ギィィィンッ。

甲高い摩擦音とともに、鎧蜘蛛の放った必殺の四連撃は、ヴァンの斬馬刀の表面を滑るように逸らされ、空回りして足元の泥沼へと深く突き刺さった。

「ギチッ!?」

自らの攻撃の威力を利用され、前のめりに体勢を崩した鎧蜘蛛が、驚愕に似た摩擦音を漏らす。

「重い攻撃ほど、受け流された時の隙は大きくなる。お前のその立派な装甲も、体勢を崩せばただの重りに過ぎない」

ヴァンは泥の表面を滑るような独特の歩法で、一切足を取られることなく鎧蜘蛛の側面に回り込んでいた。円の理を極めた歩法は、体重を一点に留めることなく常に流動させるため、泥沼のような悪路において真価を発揮する。

鎧蜘蛛は焦ったように泥から腕を引き抜き、ヴァンに向かって腹部から赤黒い粘液状の糸を大量に噴射した。獲物を拘束し、動きを封じるための絶対的な罠だ。

「ヴァン、糸が来るわ」

後方の安全圏から戦況を見守っていたセリアが叫ぶ。

「想定内だ。むしろ、これを待っていた」

ヴァンは全く動じることなく、巨大な斬馬刀を水車のように回転させた。

ただし、糸を刃で切ろうとはしない。斬馬刀の平らな腹の部分を利用して、飛来する赤黒い糸を自らの武器に巻き取るように絡め取ったのだ。

強靭な粘液の糸が、斬馬刀に幾重にも巻き付く。

鎧蜘蛛は、獲物の武器を封じたと判断し、一気に糸を引き寄せようと力を込めた。

「お前が自ら糸を張ってくれたおかげで、俺から近づく手間が省けた」

ヴァンの瞳に、冷徹な狩人の光が宿る。

彼は糸を引き合おうとはせず、蜘蛛が糸を引く力を利用して、自らの巨体を振り子のように前方へと跳躍させたのだ。

流水の歩法による脱力と、敵の力を利用する円の理。

斬馬刀を軸にして空中に舞い上がったヴァンは、鎧蜘蛛の死角である頭上の空間へと完全に回り込んだ。

「ギチィィッ!?」

立体的な機動力において自分より上回る動きを見せた人間に、鎧蜘蛛の知能が完全にパニックを起こした。慌てて上空の木々に糸を張り、逃走を図ろうとする。

だが、遅い。

「セリア。同化の解除と同時に、上書きを頼む」

空中でヴァンが叫ぶ。

「ええ、任せて。受け流しはここまでよ。次は、その硬い甲殻ごとぶち抜く絶対の破壊」

ヴァンの観察眼が敵の罠と機動力を完全に無力化し、セリアの的確な同化対象の選択が、戦局を完全に支配していた。沼地に引きずり込まれ、自らの糸に動きを阻害された変異種に、もはや逃げ場はない。

完璧な連携によって追い詰められた獲物に対し、ヴァンは空中で斬馬刀を高く振りかぶり、トドメの一撃を放つための準備に入った。

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